概要
バンコクから北に約60キロ、日本で例えれば東京から栃木県小山市程度の距離に位置する。
一般的に知られるのはユネスコにも登録された遺跡群や寺院であるが、チャオプラヤー川の豊かな水源に平地の広がる地の利を生かしたタイでも有数の米どころであり、工業地帯を抱える県である。
鉄道で約1時間半程度、バスの場合は1時間ほどで現地に到着できる。その知名度の高さから、日本人をはじめ各国の人々が観光に訪れている。遺跡群や寺院めぐりをする場合、割合に狭い範囲で存在しているので、日帰りか1泊程度でほとんど網羅できる。
市内を散策するにはツアーを組んだり、またはバンコクでタクシーをチャーターしたり、現地でレンタルサイクルやトゥクトゥクで回るのがいいかと思われる。バンコクに比べれば交通量は断然に少ないので自転車などでも散策する手もある。但し交通量が少ないといっても運転の荒さに定評がある国なので、あまり変な運転すれば事故に合う事もある。無論、熱さも結構なものなので、体力に自身がなかったらトゥクトゥクを貸し切るのも手である。バーンパイン宮殿などトゥクトゥクでないとしんどい場所もある。なお、バンコクのものと形が異なり、一台一台に個性が出ているので、その辺を見るのも面白いと思われる。
遺跡群
アユタヤと言えば、中心街に点在する遺跡群である。ユネスコの世界遺産に登録されているこれらの遺跡群はかつて、この地に存在したアユタヤ王朝の名残が数世紀経て今なお存在している。寺院の形状は現在、タイで見られるような形ではなくクメール様式を取り入れた形となっている。また、完全な形で残っているものもあるが、多くの寺院では破壊されたり、仏像の首がないものがある。これは王朝崩壊時のビルマによる侵攻の為である。
王朝崩壊は1767年、日本で言えば江戸幕府10代将軍徳川家治治世の時代である。そして、割合に古くない時代にもかかわらず、遺跡群の中には土台のみと言うものがあり、その侵攻の凄まじさを今に伝えている。
※著名な遺跡一覧
- ワット・プラシーサンペット
数少ないアユタヤ王朝時代の仏塔。塔の中には王の骨が安置されている。 - ワット・マハータート
木の根っ子に埋まった仏像の頭がある事で有名な寺院「跡」。その仏様を撮影する時は自分の目線が仏様より高くならないように… - ワット・ローカヤスターラーム
巨大涅槃仏で有名な寺院。ストリートファイター2のサガットステージの仏像はこれがモデルである。
※なお、これらの遺跡群においては頭のない仏像に自分の顔を合わせたりなどのDQNな行為は絶対にしないようにしましょう。日本でもそのようなことをすれば罰当たりとか言われますが、現地では日本以上に仏教への信仰が厚く、温厚なタイ人でもこうした行為に対しては非常に厳しいです。
日本人との関係
アユタヤ王朝の時代、日本人街があった事は歴史の授業で習った方も多いと思われる。
14世紀頃には既に移民がいたとされるが、戦国の世となった時代から徳川幕府誕生の辺りで急に増えてきた。時は天下泰平に突き進み、戦が少なくなると浪人たちはその腕を海外に売り込みにいったが、その一つがアユタヤ王朝であった。折りしもビルマからの侵攻がたびたび発生し、数々の戦で実戦経験のある日本人はうってつけであった。そして、かの有名な山田長政が王朝の上位の官職に就いたと言われる。彼は元々、沼津藩主に仕えた駕籠かきからスタートした身であり、日本風に言えばどっかの市長の運転手から政府の高官に上り詰めた立志伝中の立志伝のような人物である。
そして、朱印船貿易で盛んに貿易を行っていたが、ご存知の通り日本はその後鎖国政策を取り、衰退し始めてきた。さらに長政を重宝していた王が死に、その後のゴタゴタで左遷された後に戦で戦死してしまうと、日本人街は焼き討ちの憂き目にあってしまう。
アユタヤの日本人街跡と言われる場所には、そこに日本人街があった碑があるぐらいで建物の跡すらないが、日本とタイの関係が古くから伝わっているいくつかの書物などが存在する。
そして、20~30代の人ならば一度はプレイした、もしくは名前を聞いたであろう格闘ゲームのストリートファイター2。四天王のサガットのステージに横たわる仏像は姿形こそ若干異なるが、それはワット・ローカヤスターラームの仏像そのものである。他にも現在では黒歴史化が進んでいるが「ウルトラ6兄弟&ハヌマーン」という作品で冒頭における寺院のシーンはアユタヤであるというのが濃厚である。
工業地帯に目をやると、日系企業が目立っている。その中でも自動車ではかつてホンダから「フィットアリア」というセダンがあったが、これは紛れもなくアユタヤ産である。
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