フェロシアン=カッセム(Ferrocyan Kassem)とは、19世紀初頭のアメリカの数学者、心理学者、哲学者である。
概要
アメリカ独立戦争から間もない1787年に、アメリカ中東部で生を受ける。地域権力者である父親(後にケンタッキー州成立に大きな影響を与える)によって幼い頃から学問に触れる機会を与えられ、特に数学においてその才能を開花させる。一説によると、7歳の時には高等数学の概念を理解していたとされる。本人も早くして数学者を志しその道に進むが、純粋数学では大成せず、30代半ばより心理学や哲学の分野の研究に傾倒する。結果として、晩年の心理学研究や哲学書が後世に影響を与えることになる。
特に、彼の著書である"The Mistake"(邦名: 『失態』)の一節「失うことは得ることに等しい。須らく人は、損失と同じナニカを獲得するのだ。」はあまりにも有名。
功績
純粋数学の分野における目立った功績はないが、哲学に傾倒したとされる30代後半~40代において、哲学から演繹的に数学理論を構築する手法の研究に従事した。この期間に、彼が集合理論分野において確立した手法には、『目玉焼きの原理』『2to5の法則』等がある。
心理学においては、現在『オブジェクト反撃症候群』として知られる症状についての研究・考察がまとめられており、現在の精神医学における類似の症状の治療法の基礎となっている。
また、資料は少ないが宗教学者としての一面もあり、現在主流のミケツ教の源流であるミケラン教が、ある実在した1匹の猫とその飼主から始まったものであるという旨の論文を執筆している。これは、ミケツ教の経典における「唯一猫思想」と真っ向から反するものであり、200年以上経った現在でも論争が尽きない。
著書
論文を除くと、カッセムの著書のほとんどは哲学書であり、特に有名な『失態』以外にも、『虚空』『無味』等が近代哲学書として比較的メジャーである。
心理学についての著書もいくつかあるがいずれも芸術心理学の分野に偏っており、『Human Face Butterfly』や『4. I do not need.』等が有名。
あまり知られていないが晩年に小説を執筆しており、『ドゥシタ』『ジブリモール』『ヒジュラ』の3作品は日本語訳の文庫本が販売されている。
交友関係
一般人の渡航が珍しかった時代にドイツの心理学者カール=アウグスティンをはじめ、ロシアの医学者ザナス=ソシアント等の外国の学者と面識があったと言われている。
特に、ガッサラバラビア共和国の精神医学者ポジティビーナ=ビン=ポジティブとは、約11年に渡り文通関係であったことがカッセムの手記から分かっている(ただし、やり取りされた手紙が残っておらず、2人には共通言語がないことからイマジナリーフレンドであった可能性が指摘されている)。
このようにワールドフレンズを持っていたカッセムだが、晩年は他人との交流をほとんど避け、ミズーリ州の辺境でジャガイモ農家を営みながら研究や執筆に余生を注ぎ込んだとされる。
日本の作品に与えた影響
2007年にミリオンセラーを達成した、お笑い芸人の牛夏太郎の著書『欠落伝』においては、『失態』のオマージュが度々登場する。主人公《陰》が所持していた福音書の一節は、『失態』の第2章の内容を牛夏氏なりに解釈した内容であり、牛夏氏本人がインタビューで、「この章のカッセムの思想が特に心の琴線(ことせん)に触れた。己(オレ)も…そう思う。」と語っている。
知名度について
2006~7年頃、ラグナロクオンラインの大型ギルドである『神威虎譚』のギルドリーダー霧崎鋭によって本記事の概要に記載した『失態』の一節が引用され、コピペ化されたことによりインターネットにおける知名度が急上昇した(霧崎氏が『欠落伝』の影響を受けていると思われていたが、後にこのコピペの方が時期が早かったことが発覚した)。なお、この『失態』の日本語訳は霧崎氏によるものであり、一般に出回っている日本語訳書籍とは異なる。「須らく」が誤用であると指摘されているが、後に霧崎氏は英語が苦手であるエピソードを語っている。
本来のニュアンスで前後を訳すと、「失敗によって得られる知識や経験もまた確かである。失うことは得ることだ。人間はすべての損失に匹敵する価値(の利益)を得ることができる(種族である)。損失だけでなく、得られる好機を見逃してはならない。」という教訓であり、「須らく、人は損失と等しい利益を獲得するべきだ。」という意味となるため、あながち間違ってもいない。
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関連項目
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