- プロ野球選手一覧 > フレデリク・セペダ
フレデリク・セペダ(Frederich Cepeda Cruz、1980年4月8日-)とは、キューバ出身のプロ野球選手(左翼手)である。
概要
| ディフアナ・ブルズ | |
|---|---|
| フレデリク・セペダ Frederich Cepeda |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | サンクティスピリトゥス州 |
| 生年月日 | 1980年4月8日 |
| 身長 体重 |
178cm 93kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投両打 |
| 守備位置 | 左翼手、指名打者 |
| プロ入り | 1997年 |
| 経歴 | |
| 国際大会 | |
| 国籍 | キューバ |
| 五輪 | 2004年、2008年 |
| WBC | 2006年、2009年、2013年、2017年 |
| プロ野球選手テンプレート | |
1997年に、キューバ国内リーグのサンクティ・スピリトゥスに入団。
2002年の第15回IBAFインターコンチネンタルカップにキューバ代表として出場し、チーム優勝に貢献した。2004年のアテネ五輪では金メダル、2008年の北京五輪では銀メダルを獲得している。
2006年の第1回WBC(8試合・打率.385・2本塁打・8打点)、2009年の第2回WBC(6試合・打率.500・3本塁打・10打点・首位打者とベストナインを獲得)にも出場。2013年の第3回WBCでは四番打者として活躍した。
日本球界時代
2014年4月19日に読売ジャイアンツがキューバ政府とセペダが入団合意に至ったことを発表。5月12日に来日し入団会見を行った。背番号は23。
2014年5月15日に出場選手登録され、同日の対東京ヤクルトスワローズ戦に「4番・レフト」で先発出場。来日4日目で巨人の第80代4番打者の重責を負うこととなった。そして5月17日、広島エース前田健太からホームランを放ち巨人ファンを大いに期待させた。その後18試合ほど4番として出場したがパッとせず7月12日二軍落ち。一軍二軍往復を繰り返しシーズン終わってみれば52試合.194 6本 18打点という結果に終わった。ところがクライマックスシリーズ直前にまさかの一軍復帰。ファンを不安にさせるも案の定第1戦チャンスに併殺打。第3戦にチャンスに凡退。負けたら終わりの第4戦5点差を追う9回裏で記念打席的に登場。そしてここへ来てようやく遅きに失したソロホームラン。最後の最期で至宝らしいところを一応見せた。オフに背番号を5に変更した。
2015年は開幕から25打席無安打と深刻な打撃不振に陥った。この年は無安打で、巨人の助っ人史上初の打率.000に終わり、自由契約になった。
人物
右利きながら6歳の時に父親の指導のもと両打ちに転向。そのパワーと柔軟性を兼ね備えたバッティングから第2回WBCではメジャーリーグのスカウトから高評価を得ている。
キューバ国内リーグでは指名打者としての出場が多かったが、読売ジャイアンツでは左翼手でも起用される。
また、キューバ政府が容認する野球選手の日本移籍1号となった。
応援歌
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| 巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#1090 | 12740 |
成績
- (2018年終了時点)
通算打撃成績
| 通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| CNS:14年 | 1062 | 5054 | 3848 | 866 | 1300 | 246 | 40 | 203 | 789 | 24 | 2 | 31 | 1116 | 57 | 531 | 114 | .338 | .490 |
| NPB:2年 | 72 | 160 | 129 | 12 | 21 | 3 | 0 | 6 | 19 | 0 | 0 | 1 | 30 | 0 | 44 | 5 | .163 | .319 |
関連動画
関連項目
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