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東京ヤクルトスワローズとは、日本のプロ野球球団でセントラル・リーグの球団である。
概要
| セントラル・リーグ | |
|---|---|
| 東京ヤクルトスワローズ | |
| 基本情報 | |
| 創設 | 1950年 |
| 本拠地 | 明治神宮野球場 |
| 一般略称 | ヤクルト |
| アルファベット | S |
| 優勝回数 | |
| 優勝 | 9回 |
| 日本一 | 6回 |
| セ・パ交流戦 | 2回 |
| アジアチャンピオン | 0回 |
| 経歴 | |
| 球団組織 | |
| 運営母体 | ヤクルト本社 |
| オーナー | 成田裕 |
| プロ野球球団テンプレート | |
- 日本プロ野球リーグの球団の一つ。マスコットは燕をモチーフとしており、つば九郎、つばみの2匹からなる。
- 親会社はヤクルト本社
。そのため選手にヤクルトが支給されている。 - ホームスタジアムは明治神宮野球場。
- 監督は池山隆寛(2026年~)
プロ野球が2リーグ制に移行した1950年に国鉄スワローズとして結成され、同時にセ・リーグに加入した。ノンプロのベテラン選手が主軸を打つ弱小チームであったが、夏に愛知県・享栄商の金田正一投手が高校を中退して入団し、辛うじて最下位を免れた。金田は2年目からいきなり20勝を記録するが、選手層の薄い国鉄は低迷を続け、初の勝ち越しとAクラス(3位)を記録したのは12年目の1961年のことであった。
翌1962年のシーズン中にサンケイ新聞との業務提携が発表されるが、この新経営陣と金田正一との関係は徐々に険悪となっていく。1964年オフについに不満の爆発した金田は「B級10年選手」特権を行使して巨人に移籍する。翌シーズン中に国鉄も正式にサンケイ新聞に経営権を譲渡し、5月10日よりサンケイスワローズとなった。
ちなみに、国鉄スワローズは結成時点から後楽園球場を本拠地としていたが、東映フライヤーズが明治神宮野球場の使用を認められると「第二球場を本拠地としたい」と表明。アマ側の抵抗により不許可に終わったが、1964年シーズンより明治神宮野球場を本拠地とすることとなった(明治神宮野球場の項にて詳述)。
サンケイスワローズは1シーズンのみに終わり、翌1966年からは手塚治虫が球団後援会副会長だった縁でサンケイアトムズと改称した。ところが、サンケイ新聞も業績不振からヤクルトに球団を譲渡する運びとなり、1969年は表向き共同経営という形でアトムズと名乗ることになった。翌1970年1月に正式に経営権をヤクルトに譲渡し、球団名もヤクルトアトムズとなった。だが、1973年オフに虫プロダクションの倒産により鉄腕アトムのキャラクター使用を中止することとなり、元のスワローズを復活させてヤクルトスワローズとなった。
2006年にはチーム名を現在の東京ヤクルトスワローズに改称するなど在京球団をアピールしているが、東京には同じセ・リーグに読売ジャイアンツがいるためどうしても影に隠れがち。2001年に日本一になって以降、2000年代は3位前後をうろうろし、下には12球団最強のネタチームである横浜ベイスターズがいたため、低迷していた広島東洋カープと共に存在感が薄い(電気グルーヴとスチャダラパーがコラボで制作した曲でヤクルト×広島戦がネタされた事もある)球団だった。
2011年に2位になって以降は、山田哲人やウラディミール・バレンティンといった記録的な成績を残す主力選手の登場と故障者の多さにより、ほぼ2位以上か5位以下の2択という極端に浮き沈みの激しいチームになっており、セ・リーグの順位予想を困難にしている。
同じ東京に本拠地を置く読売ジャイアンツ(ちなみに本拠地の最寄り駅は中央線一本で4駅分しか離れていない)には、金田正一からアレックス・ラミレスに至るまで半ば伝統というレベルで主力選手を奪われ続けており(ジャック・ハウエル、広澤克実、ロベルト・ペタジーニ、セス・グライシンガー、etc…)、その関係もあってヤクルトファンにはアンチ巨人が多い。その感情はある意味、広島ファンが阪神へ向ける対抗心より根が深い。しかし一方で、過去にオーナーが巨人ファンであると明言したり、歴代監督に巨人OBが多かったりする。なお、21世紀に入ってから2010年まで、ヤクルトは一度も巨人にシーズンで勝ち越したことがなかった(2011年にようやく勝ち越し)。
外国人スカウトが優秀な球団として知られ、自前で獲得してきた優良外人選手は数多い。そして資金力不足によって他球団に移籍される。野村克也政権の黄金時代も、日本一になったのはおおむね外国人選手の当たり年であり、選手層の薄さを外国人選手や、他球団を解雇された選手のリサイクルで補うのが得意な球団である。
近年は親会社が医薬品などを取り扱っている会社でもあるにも関わらず、梅雨や秋に入ると感染症が蔓延したり、怪我人が続出したりして一軍のメンバーが足らなくなるなど、「ヤ戦病院」と揶揄されるほど離脱者が多い。コンディショニングの管理体制が不十分であることから球団の体質について不満を述べる選手も少なくない。
球団名
「スワローズ」の名称は元々は1950年、国鉄が球団を持った時(正確には財団法人鉄道協力会が主体となり、財団法人鉄道弘済会日本通運日本交通公社(現:JTB)などの企業で、「国鉄野球株式会社」と言うのを作った。と言う事で国鉄本体が経営していたわけではない)。
当時、国鉄で数少ない特急列車だった「つばめ」から取ったという説が有力だが、一応国鉄職員からの公募制で選考会議を経て決まった。
ちなみに「最初はコンドルズだったが、『混んどる』というイメージがつくのでスワローズに変えた」は嘘であり、選考会議の時に委員の一人がコンドルの名前を見て「コンドルは『混んどる~』につながる。『坐わろ~』の方がいい」と冗談を飛ばしたのが事実である[1]。
1966年、既に経営権を譲渡されていたサンケイがアトムズ(鉄腕アトム)に改名するが、1973年に虫プロダクションが倒産。アトムの名前を使えなくなり、スワローズに再改名。以後はずっとスワローズ(一説ではあまりにも当時弱かったために虫プロ側からアトムの名を使わないで欲しいと言われたという説も)。
ちなみに2008年に企画としてアトムズ時代のユニフォームが復刻された。
関係者
首脳陣
※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。
| 一軍 | 二軍 |
|---|---|
所属選手
※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示
があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。
| 支配下選手 | |||
|---|---|---|---|
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
|
|||
| 育成選手 | |||
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
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記事のある打撃投手・ブルペン捕手
記事のあるその他のスタッフ
- 青木宣親(ゼネラルマネージャー)
- 阿部健太(スカウト(関西・北陸地方担当))
- 伊東昭光(編成部部長)
- 上村和裕(スカウト(東北地区担当))
- 大村孟(二軍マネージャー)
- 岡林洋一(球団編成グループ課長・プロスカウト担当)
- 小川淳司(ゼネラルマネージャー)
- 小野公誠(査定担当)
- アーロン・ガイエル(駐米スカウト)
- 川島亮(球団職員)
- 河端龍(広報課長)
- 武内晋一(育成担当)
- 中澤雅人(一軍マネージャー)
- トニー・バーネット(編成部アドバイザー)
- 松岡健一(スカウト(東海地区担当))
- 宮本賢治(ファームディレクター)
- 山部太(球団職員)
- 吉田大成(スコアラー)
- 渡邉大樹(スコアラー)
アカデミー
OB
戦績
1968年
1968年にエース石戸四六が20勝を記録して勝率.492と5割まであと一歩のところまで行くが、1970年にその石戸が体調不良で低迷するとチームも勝率.264で最下位を独走する(年現在、セ・リーグで勝率3割を下回ったのはこれが最後)。シーズン途中で監督の別所毅彦は解任された。
1970年代
1971年より三原脩が監督に就任する。1970年のドラフト会議で、中西太打撃コーチ(三原の女壻)の推挙により若松勉が指名された。若松は中西の指導で1年目から頭角を現し、2年目にはいきなり首位打者を獲得した。在任3年間で一度もAクラスには手が届かなかったが、3年目には勝率.488まで持ち直すなど崩壊しかけたチームを一気に建て直した。
1974年より打撃コーチの荒川博が監督に昇格する。1年目は勝率5割未満ながら13年ぶりのAクラス入りを果たし、オフに日本ハムファイターズとの間で超大型トレードが成立し、大杉勝男を獲得した。
1976年は開幕から低迷し、荒川は5月に辞任、監督代行を経て6月より広岡達朗が監督に就任した。シーズン負け越し記録は国鉄時代の1962年から15年連続となり、これは現在でもセ・リーグワーストタイ記録である。
1977年は来日2年目のチャーリー・マニエルが日本野球に順応し、首位の読売ジャイアンツには大差をつけられたが2位に躍進した。
そして迎えた1978年、新外国人選手のデーブ・ヒルトンも活躍し、巨人を振り切ってついに悲願の初優勝を果たした。日本シリーズでも阪急ブレーブスを4勝3敗で下し、日本一に輝いた。だが、シーズンオフに主砲のマニエルを放出(守備が壊滅的に酷かった)した。
1979年は打線が崩壊、チームも空中分解を起こし広岡はシーズン中に辞任を発表した。
1980年代
1980年からは生え抜きの武上四郎が監督に就任するが、1982年から2年連続の最下位で迎えた1984年も開幕から低迷し、4月に監督を辞任した。
1984年6月より監督に昇格した土橋正幸は1986年まで監督を務め、広澤克実、池山隆寛ら若手を辛抱強く使い続けた。チーム成績は低迷したがイケトラコンビは話題となり、チーム人気はむしろ高まった。
1987年から3年間は関根潤三が監督を務めた。投手力の弱さからなかなか順位は上向かなかったが、1988年に池山と広澤が30本塁打を記録するなど、野手陣は急成長を遂げていた。
1989年からは野村克也が監督に就任するが、その辺りの時代についてはヤクルト黄金時代という項があるので、それに譲りたいと思う。
2006年~2009年
詳細
2006年(70勝73敗3分、3位) 監督:古田敦也(選手兼任)
この年から若松勉に代わり、古田敦也が野村克也以来となる選手兼任監督に就任。球団名を「東京ヤクルトスワローズ」に変更。古田を慕って石井一久と高津臣吾からメジャーから復帰、さらに木田優夫を獲得して迎える。
野村のID野球の後継者として手堅い野球をするものと思われていた古田だったが、蓋を開けてみれば長距離砲のアダム・リグスを「バントをしない2番打者」として起用し、青木宣親、アダム・リグス、岩村明憲、アレックス・ラミレス、グレッグ・ラロッカと並ぶ重量打線を組む攻撃的野球を披露。リーグ最多の161本塁打を放った。
一方、投手陣は石井弘寿と五十嵐亮太の戦線離脱で特にリリーフのコマ不足は否めず、リック・ガトームソンのノーヒットノーランなどはあったが、ほぼシーズンを通して5割進行。3位は確保したものの、借金3に終わった。また監督の古田自身も右肩痛で36試合の出場に留まった。
オフ、岩村明憲がポスティングでメジャーへ移籍。ガトームソンとラロッカが退団した。
2007年(60勝84敗、6位) 監督:古田敦也(選手兼任)
新外国人としてセス・グライシンガーとアーロン・ガイエルを獲得。開幕前から面白い名前の外国人として話題になったが、蓋を開けてみればグライシンガーは16勝を挙げ最多勝。ガイエルも35本塁打を放ち本塁打王争いを繰り広げ、また四死球の多さや珍プレーを多数誘発したことで「魔将」「魔空間」と呼ばれ一躍人気者になった。ラミレスが204安打を放って右打者初の200本安打を達成するなど助っ人が奮闘する。
ところがチームは予見されていた弱点を補えず低迷。岩村明憲の後釜となるサードには外野手の飯原誉士や宮出隆自をコンバートし、畠山和洋と3人で競わせようとしたが失敗。結局誰も定着できずに終わった。さらにリグスが不振に陥って攻撃力が前年から大きく低下した。
投手陣も、先発は石川雅規の不振、ディッキー・ゴンザレスの故障でコマ不足に陥る。石井弘寿、五十嵐亮太が不在のまま補強もなかったリリーフは高津臣吾が衰えを隠せなくなり崩壊。シーズン中にブライアン・シコースキーを獲得、館山昌平を急遽抑えに回すなどしたが、シーズンを通して後ろを固定できなかった。
9月にBクラスが確定すると古田は監督辞任と現役引退を表明。最終的に青木宣親が首位打者と最高出塁率、ラミレスが打点王と最多安打、グライシンガーが最多勝と個人タイトルは多く輩出したが、チームは最下位に終わった。
オフ、グライシンガーとラミレスが揃って巨人に引き抜かれ、9勝を挙げた石井一久がFAで西武に移籍。7勝の藤井秀悟が坂元弥太郎・三木肇とともにトレードで日本ハムへ放出され、高津とシコースキーは戦力外となり、大幅に戦力が流出した。
2008年(66勝74敗4分、5位) 監督:高田繁
前年まで北海道日本ハムファイターズでGMとして手腕を振るっていた高田繁が監督に就任。グライシンガーに代わる新外国人としてダニエル・リオスを、また守護神として林昌勇を獲得。日本ハムから川島慶三、押本健彦、橋本義隆をトレードで、西武からは石井一久の人的保証で福地寿樹を獲得した。
前評判の高かったリオスは見事に期待はずれに終わり、挙げ句にドーピング違反で7月には解雇されてしまうが、逆に韓国では終わった投手扱いされていた林昌勇が懸案だったクローザーに定着。移籍してきた押本に故障から復活した五十嵐、先発から転向した松岡健一の4人で前年とは比べものにならない強力リリーフ陣が形成された。またサードには足の故障で宮本慎也がコンバートされることになり、代わりの遊撃手に川島慶三が定着。前年の弱点はカバーされる格好となった。
しかし、ラミレスの抜けた打線は福地が1番打者として盗塁を量産したが、リグスは大不振で7月に解雇、ガイエルも不調で破壊力不足が否めず、交流戦からは年俸900万円の畠山和洋が4番打者に抜擢されて「球界一年俸の安い4番打者」と話題になる状態だった。先発陣も石川の復活に館山がローテーションに定着、村中恭兵が台頭するなどしたが過渡期の感は否めなかった。
グライシンガーとラミレスを引き抜かれた巨人には開幕3連戦こそ叩くもののその後は完全にカモにされる。結局シーズンを通して勝率5割弱のところをうろうろし続け、借金8の5位に終わった。石川が最優秀防御率、福地が盗塁王を獲得。
2009年(71勝72敗1分、3位) 監督:高田繁
古田が兼任監督となって以来、米野智人・福川将和・川本良平のドングリーズが背比べを続けていた正捕手争いに終止符を打つべく、球団初のFA獲得選手となる相川亮二を横浜から獲得。相川は期待に応えてドングリーズを一蹴し、新天地でも正捕手に定着した。
前年破壊力を欠いた打線は、新外国人のジェイミー・デントナの加入とガイエルの復活で長打力が補われ、青木宣親が前半戦大不振に陥ったものの前年より攻撃力は改善された。リリーフは松岡の不調があったものの前年に続き奮闘。先発陣は館山が快調に白星を重ね、石川は安定、由規が台頭、戦力外から育成枠で獲得したユウキも活躍するが、村中や増渕竜義ら若手投手陣が伸びきらず充実とまではいかなかった。
前年から全体的に戦力が底上げされたことで夏場までは巨人と中日を追いかけていたが、後半戦で失速し、終盤は阪神・広島と低レベルな熾烈なCS争いに突入。どうにか2チームをかわし、借金1だったものの3位に滑り込んで初のCS進出を果たした。
CSでは1stステージで中日に敗れる。福地が2年連続の盗塁王を獲得。前半戦不振だった青木も最終的に3割まで巻き返してしっかり最高出塁率をさらっていった。オフには五十嵐亮太がFAでメジャーへ移籍。
2010年代
詳細
2010年(72勝68敗4分、4位) 監督:高田繁→小川淳司
詳細はプロ野球2010を参照
- 打線が機能せず交流戦に入った5月には9連敗などで借金19を抱え最下位独走状態になる。
- 代行として小川淳司ヘッドコーチが監督代行をとると打線の構築が成功し。19あった借金19が最終的に貯金4まで巻き返した。その快進撃は「メークミルミル」とも呼ばれた。
- オフに小川の監督続投が決定した。
2011年(70勝59敗15分、2位) 監督:小川淳司
詳細はプロ野球2011を参照
- ウラディミール・バレンティン、濱中治、宮出隆自(復帰)を獲得。
- 首位を走って一時はセ・リーグの貯金を独占していたが、故障者が相次ぎ中日に抜かれると独走を許し、2位に終わった。
- クライマックスシリーズでは初めてファイナルステージに進出したが、中日に2勝4敗で敗れた。
- 石井弘寿、浜中治、魔将アーロン・ガイエルが現役を引退した。
- 青木宣親がポスティングシステムを行使してMLBのミルウォーキー・ブルワーズに移籍した。
2012年(68勝65敗11分、3位) 監督:小川淳司
詳細はプロ野球2012を参照
2013年(57勝83敗4分、6位) 監督:小川淳司
詳細はプロ野球2013を参照
- ウラディミール・バレンティンがシーズン本塁打の日本記録・アジア記録を更新する前人未踏のシーズン60本塁打を達成。史上初となる最下位チームからのMVPを受賞した。
- 小川泰弘が新人王を受賞。
- 宮本慎也と藤本敦士が現役を引退した。
2014年(60勝81敗3分、6位) 監督:小川淳司
詳細はプロ野球2014を参照
2015年(76勝65敗2分、1位) 監督:真中満
詳細はプロ野球2015を参照
2016年(64勝78敗1分、5位) 監督:真中満
詳細はプロ野球2016を参照
2017年(45勝96敗2分、6位) 監督:真中満
詳細はプロ野球2017を参照
2018年(75勝66敗2分、2位) 監督:小川淳司
詳細はプロ野球2018を参照
2019年(59勝82敗2分、6位) 監督:小川淳司
詳細はプロ野球2019を参照
2020年代
2020年(41勝69敗10分、6位) 監督:高津臣吾
詳細はプロ野球2020を参照
2021年(73勝52敗18分、1位、日本一) 監督:高津臣吾
詳細はプロ野球2021を参照
2022年(80勝59敗4分、1位) 監督:高津臣吾
詳細はプロ野球2022を参照
2023年(57勝83敗3分、5位) 監督:高津臣吾
詳細はプロ野球2023を参照
2024年(62勝77敗4分、5位) 監督:高津臣吾
詳細はプロ野球2024を参照
2025年(57勝79敗7分、6位) 監督:高津臣吾
詳細はプロ野球2025を参照
2026年(??勝??敗?分、?位) 監督:池山隆寛
詳細はプロ野球2026を参照。
年度別球団成績
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順位シーズン最高成績(チーム)シーズン最低成績(チーム) |
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関連項目
- ヤクルト黄金時代
- プロ野球選手一覧
- 東京音頭
- とびだせヤクルトスワローズ
- つば九郎 / 燕太郎 / つばみ / トルクーヤ
- 火ヤク庫
- 岡田正泰
- ミスタースワローズ
- My9Swallows TOPSTARS LEAGUE
外部リンク
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| 読売ジャイアンツ | 東京ヤクルトスワローズ | 北海道日本ハムファイターズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス |
| 横浜DeNAベイスターズ | 中日ドラゴンズ | 千葉ロッテマリーンズ | 埼玉西武ライオンズ |
| 阪神タイガース | 広島東洋カープ | オリックス・バファローズ | 福岡ソフトバンクホークス |
脚注
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