マツダ・コスモとは、マツダが1967年から1996年にかけて生産をされていた乗用車である。
概要
車名の由来は、イタリア語で「宇宙」の意味から。
初代モデルは、「量産」車では世界初のロータリーエンジンを搭載をした車種として知られているが、少なくとも世界で初めて「市販」された車種はNSU・ヴァンケルスパイダーである。このヴァンケルスパイダーに関しては、生産台数が少ないから「量産」ではないと言う論があるが、Wikipedia曰く生産台数はヴァンケルスパイダーの方が多くその上期間は短い。これを以って直ちに「量産」、即ち流れ作業での製造が行われたと断じる事は出来ないが、数の問題では完敗している。
しかしながら、ヴァンケルスパイダーのロータリーエンジンは問題点が多かったらしく、これを以って「実用品でない」と見做し、コスモスポーツを世界初の「実用」ロータリーエンジンを搭載した車種と見做す説もあり、これと世界初の「量産」型ロータリーエンジンを搭載した車種と言う説を併記している例も存在する。世界初に固執するあまり屁理屈捏ねてる様にしか見えない
少なくとも会社を傾かせないだけ市場に受け入れられるだけの信頼性を備えた、レシプロエンジンと比して実用に耐えるロータリーエンジンを搭載した車両である事は間違いないだろう。また、市販車としては世界初の2ローター車である事も間違いない。日本初のロータリーエンジン搭載市販車である事は言うまでもない。
初代モデルはロータリーエンジンのみであったが、二代目と三代目は、直4気筒のエンジンも搭載されていた。最終型の四代目は、再びロータリーのみとなった。駆動方式は代々FR(フロントエンジン・リアドライブ)を採用し続けた。
ボディは基本的には2ドアクーペとなるが、三代目のみ4ドアのセダンとハードトップが用意されていて、ルーチェとの姉妹車的な位置となっていた。
名称も初代が「コスモスポーツ」、二代目が「コスモAP及びコスモL」、三代目が「マツダ・コスモ」で、四代目が「ユーノスコスモ」となる。
初代モデル(1967年~1972年)
1967年に登場。世界初量産車でのロータリーエンジン搭載車として華々しくデビューをする。スタイリングもロータリーエンジンの特徴でもある車高の低さを訴えたデザインでかなり個性的なデザインとなる。
1968年にマイナーチェンジ。フロントグリルを変更をし、ホイールベースの延長やミッションの4速から5速化等の性能向上を目指した。同時にエンジンもパワーアップ化がされた。
そのスタイリングとロータリーエンジンのスムーズさで、世界をあっと言わせた程であった。また特撮作品の『帰ってきたウルトラマン』の劇中でMAT車両MATビハイクルのベースにもなっている。
1972年にモデル廃止をし、一度はブランドが消滅をしている。
二代目モデル(1975年~1981年)
コスモスポーツが消滅をした3年後の1975年にブランドが復活をした。名称もコスモAPとなり、当時深刻な社会問題であった排出ガスの低公害化が進められた。エンジンはロータリーが二種類で、初の直4気筒エンジンの2000ccと1800ccが用意された。シャーシやエンジンもルーチェと共用になった箇所も多い。
スタイリングも初代とは違い、アメリカ車みたいな華やかなデザインとなった。ボディも2ドアクーペから3ドアのファストバッククーペとなる。また装備も充実をして豪華さをアピールした。
1977年にバリエーションの追加で、2ドアノッチバッククーペの「コスモL」が登場。ルーフの一部が皮貼りとなっていて、コスモよりもゴージャス感を強めていた。
1979年にマイナーチェンジ。フロントデザインを変更し、ヘッドランプが丸型4灯から角型2灯式になり、グリルデザインも縦線から格子状のタイプとなった。
このコスモが登場したおかげで、他社のスポーツタイプの乗用車が次々と登場をするなど、クーペ型乗用車が流行をしたきっかけとなった。
この型は歴代コスモの中でも大ヒットをしたモデルとして知られ、特にCMソングは、歌手・しばたはつみの代表作になったものが多く、しばた本人が1977年の『NHK紅白歌合戦』に出場をするほどの人気ぶりであった。
三代目モデル(2ドアモデル・1981年~1990年 4ドアモデル・1981年~1986年)
1981年に初のモデルチェンジ。この代は四代目ルーチェとの部品共用が多くなり、姉妹車化がされる。
ボディバリエーションも従来の2ドアクーペに加えて、4ドアのハードトップとセダンが加わった。コスモのみに2ドアクーペが用意された。スタイリングと内装はかなり未来的なデザインとなり、2ドアクーペはヘッドライトが格納式のリトラクタブル・ヘッドライトとなった。
エンジンは当初直4気筒の2000ccのみで登場をし、すぐにロータリーエンジン搭載車も登場。後にセダンのみに用意された直4気筒の2200ccのディーゼルエンジンも用意された。
1982年、2ドア車にルーチェと同時に世界初のロータリーターボエンジン搭載車が用意された。これが1980年代には他社でもターボエンジン搭載車が多くなった要因となった。
1983年にマイナーチェンジ。あまりにも個性的なデザインで売れ行きが芳しくなく、4ドアハードトップのフロントデザインを一般的なタイプとなった。また4ドアにもロータリーターボエンジン搭載車が用意された。
1984年に2ドア系をマイナーチェンジをし、リトラクタブル・ヘッドライトから一般的な固定式ヘッドライトへと変更をされた。
1986年にルーチェのモデルチェンジのため、4ドア系が廃止をされ2ドアのみとなり。1990年まで継続生産がされた。
このモデルは、あまりにも曖昧なコンセプトのため売り上げが減少した。
四代目モデル(1990年~1996年)
1990年にモデルチェンジ。当時マツダの多チャンネル化を推進をしていたため、名称も『ユーノスコスモ』となった。エンジンもロータリーのみとなり、世界初の3ローターエンジンが用意された。3ローターモデルは333馬力で開発されていたが、自主規制枠によって280馬力でリリースされた。従来の2ローターモデルも用意された。ミッションはATのみとなった。
開発時期がバブル真っ盛りだったこともあって、コンセプトもラグジュアリークーペとなり、豪華さを誇ったモデルでもある。スタイリングは3ナンバー化をし、伸びやかなデザインとなる。また世界初のGPS式ナビゲーションも搭載された。
1996年にモデル廃止となった。これは当時マツダの経営が逼迫をしていたため、車種の絞込みを行ったためでもある。発売されてすぐにバブル景気は崩壊しており、このような贅の限りを尽くしたような車は急速に冬の時代に突入していくのであった。それでも、そのスタイリングに魅了をされる人は今でもいる。
関連動画
関連商品
関連項目
- 1
- 0pt