仁徳天皇
(にんとくてんのう ~399年1月16日)とは、第16代天皇である。
概要
応神天皇の第4皇子として生まれる。
仁徳天皇は難波の高津宮(大阪市中央区法円坂)で天下をお治めになった。
秦人といわれる、応神天皇の御世に朝鮮半島南部から渡来した集団を使役して、茨田堤と茨田三宅を作った。(茨田は現在の寝屋川市)
この時、枚方市から大阪市まで28kmに及ぶ堤防が築かれた。
また、池や堀江を作り、河内平野に溜まった水を大阪湾へ流れるようにして耕作力を大幅に高めた。
仁徳天皇は高い山にお登りになり、四方の国土をご覧になり「国中に炊煙が立ち上っていない。国内は皆、貧しいのだろう。今から三年の間、ことごとく人民の課と役を免除しよう」と仰せになった。(課とは朝廷に収める品 役とは労役)そのため、宮殿は破れ壊れ、ことごとく雨漏りするようになってしまったが、全く修理することなく、器でその漏れる雨を受け、漏れない所に移って避けていた。
やがて仁徳天皇が国中をご覧になると、国土に煙が満ちていた。そこで人民が豊かになったと思し召し、ようやく課と役を課した。
仁徳天皇陵
仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)又は大仙古墳(だいせんこふん)は日本にある古墳の中で最も大きく、墓域面積では世界最大の前方後円墳である。
仁徳天皇が埋葬されていると言われているが調査されていないため実際の埋葬者は不明である。そのため新聞などでは大仙古墳とも表記される。
歴史の教科書で空中写真を見ているはず。
堺市はこの仁徳天皇陵を含めた百舌鳥・古市古墳群をユネスコの世界遺産に登録する計画を持ち上げていたが、この計画には国内に於いて賛否両論があった[1]。しかし、令和元年(2019年)6月30日から同年7月10日迄に開催される第43回世界遺産委員会で登録が決定された。
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関連項目
15代 | 16代 | 17代 |
仁徳天皇(にんとくてんのう) 313~399 |
履中天皇(りちゅうてんのう) 400~405 |
脚注
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