百舌鳥・古市古墳群とは、日本の世界遺産(文化遺産)である。2019年7月登録。
概要
古墳時代の最盛期である4世紀後半から5世紀後半にかけて、古代日本の政治・文化の中心地のひとつであり、大陸に向かう航路の出発点であった大阪平野に築造された。
大きさ、形状など世界に類を見ない多様性を持ち、葬送儀礼の舞台として幾何学的なデザインや埴輪などの装飾が施された、土製建築物の傑作である。
このことが世界に評価され、2019年に世界遺産として登録された。
墳墓の大きさや形状によって権力を象徴した、古代日本の歴史を物語る顕著な物証である。
登録までの経緯
国内選考
2007年、文化庁の世界遺産候補地公募に対し、「百舌鳥・古市古墳群」を提案。2010年に世界遺産センターの暫定リストへ掲載される。この後、正式に推薦されるまで7年を要することとなる。
問題点
構成資産のいくつかは宮内庁が管理しており、現在に至るまで大規模な発掘調査が行われていない。このため、埋葬者と古墳の規模などから当時の社会的階層の分類や検証が困難である。
また、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の新原・奴山古墳群や朝鮮半島の古墳など、他の世界遺産との違いを明確にする必要がある。
その他さまざまな懸念から計3回も国内選考から漏れた。構成資産の見直しや、天皇陵を中心とした構成から「古墳群の多様性」を主体としたものに変更し、2017年に世界遺産委員会への正式推薦が決定した。
世界遺産登録へ
2018年9月に委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の現地調査が行われた。この結果、国内選考で懸念された問題点はクリアし、本件はおおむね推薦書どおりの評価を得て「登録」が勧告された。一方で、古墳群が市街地に立地していることから、ICOMOSは将来的な開発を警戒し、その保存・管理に対する注文が付けられた。
翌年7月、世界遺産委員会によって正式に登録が決定。これによって、近畿地方の府県すべてに世界遺産が存在することとなった。
さらなる課題
世界遺産は国内法によって保護されることが求められるが、先述の通り宮内庁の陵墓参考地は文化財指定が困難であるため、古墳そのものの保護ではなく周辺環境を整備する方針となっている。建築物の高さや色彩、屋外広告などに規制をかけているが、老朽化した保育所や博物館の建て替え計画が中止になるといった弊害が生じている。
構成資産一覧
大型の前方後円墳と、それに付属する陪塚(ばいちょう)など計45基の古墳が登録されている。陪塚は大型古墳の被葬者の臣下などのほか、副葬品が納められたと推定されている。
構成資産の古墳のうち21基が百舌鳥古墳群、残り24基が古市古墳群に属する。以下、古墳の名称は推薦書に倣って記述する。
百舌鳥古墳群
堺市堺区、北区、西区、中区にまたがるエリアの古墳44基のうち、21基が登録されている。
名称 | 所在地 | 形状 | 規模(墳丘長) | 備考・別名称 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 反正天皇陵古墳 (はんぜいてんのうりょう) |
堺市堺区 | 前方後円墳 | 148m | 反正天皇陵と治定 田出井山古墳 |
2-1 | 仁徳天皇陵古墳 (にんとくてんのうりょう) |
堺市堺区 | 前方後円墳 | 525m | 仁徳天皇陵と治定、日本最大規模 大仙陵古墳 |
2-2 | 茶山古墳 (ちゃやま) |
堺市堺区 | 円墳 | 56m | 仁徳天皇陵の陪塚 濠の堤上に位置する |
2-3 | 大安寺山古墳 (だいあんじやま) |
堺市堺区 | 円墳 | 62m | 仁徳天皇陵の陪塚 濠の堤上に位置する |
3 | 永山古墳 (ながやま) |
堺市堺区 | 前方後円墳 | 100m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
4 | 源右衛門山古墳 (げんえもんやま) |
堺市堺区 | 円墳 | 34m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
5 | 塚廻古墳 (つかまわり) |
堺市堺区 | 円墳 | 35m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
6 | 収塚古墳 (おさめづか) |
堺市堺区 | 帆立貝形墳 | 58m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
7 | 孫太夫山古墳 (まごだゆうやま) |
堺市堺区 | 帆立貝形墳 | 65m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
8 | 竜佐山古墳 (たつさやま) |
堺市堺区 | 帆立貝形墳 | 61m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
9 | 銅亀山古墳 (どうがめやま) |
堺市堺区 | 方墳 | 26m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
10 | 菰山塚古墳 (こもやまづか) |
堺市堺区 | 帆立貝形墳 | 33m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
11 | 丸保山古墳 (まるほやま) |
堺市堺区 | 帆立貝形墳 | 87m | 仁徳天皇陵の陪塚 |
12 | 長塚古墳 (ながつか) |
堺市堺区 | 前方後円墳 | 102m | |
13 | 旗塚古墳 (はたづか) |
堺市堺区 | 帆立貝形墳 | 57.9m | |
14 | 銭塚古墳 (ぜにづか) |
堺市堺区 | 帆立貝形墳 | 72m | |
15 | 履中天皇陵古墳 (りちゅうてんのうりょう) |
堺市西区 | 前方後円墳 | 365m | 履中天皇陵と治定、規模全国第3位 上石津ミサンザイ古墳 |
16 | 寺山南山古墳 (てらやまみなみやま) |
堺市西区 | 方墳 | 44.8m | 履中天皇陵の陪塚 |
17 | 七観音古墳 (しちかんのん) |
堺市堺区 | 円墳 | 32.5m | 履中天皇陵の陪塚 |
18 | いたすけ古墳 | 堺市北区 | 前方後円墳 | 146m | |
19 | 善右ヱ門山古墳 (ぜんえもんやま) |
堺市北区 | 方墳 | 28m | いたすけ古墳の陪塚 |
20 | 御廟山古墳 (ごびょうやま) |
堺市北区 | 前方後円墳 | 203m | 応神天皇陵と治定 |
21 | ニサンザイ古墳 | 堺市北区 | 前方後円墳 | 300m以上 | 反正天皇の空墓と治定 規模全国第7位 |
古市古墳群
羽曳野市、藤井寺市にまたがるエリアに87基の古墳があり、うち24基が世界遺産として登録されている。
名称 | 所在地 | 形状 | 規模(墳丘長) | 備考・別名称 | |
---|---|---|---|---|---|
22 | 津堂城山古墳 (つどうしろやま) |
藤井寺市 | 前方後円墳 | 208m | 藤井寺陵墓参考地(允恭天皇) |
23 | 仲哀天皇陵古墳 (ちゅうあいてんのうりょう) |
藤井寺市 | 前方後円墳 | 245m | 仲哀天皇陵と治定、規模全国16位 岡ミサンザイ古墳 |
24 | 鉢塚古墳 (はちづか) |
藤井寺市 | 前方後円墳 | 60m | 仲哀天皇陵の陪塚 |
25 | 允恭天皇陵古墳 (いんぎょうてんのうりょう) |
藤井寺市 | 前方後円墳 | 230m | 允恭天皇陵と治定、規模全国19位 市ノ山古墳 |
26 | 仲姫命陵古墳 (なかつひめのみことりょう) |
藤井寺市 | 前方後円墳 | 290m | 応神天皇皇后仲姫命陵と治定 仲ツ山古墳、規模全国第9位 |
27 | 鍋塚古墳 (なべづか) |
藤井寺市 | 方墳 | 50m | 仲姫命陵の陪塚 |
28 | 助太山古墳 (すけたやま) |
藤井寺市 | 方墳 | 36m | 仲姫命陵の陪塚 三ツ塚古墳の一つ |
29 | 中山塚古墳 (なかやまづか) |
藤井寺市 | 方墳 | 50m | 仲姫命陵の陪塚 三ツ塚古墳の一つ |
30 | 八島塚古墳 (やしまづか) |
藤井寺市 | 方墳 | 50m | 仲姫命陵の陪塚 三ツ塚古墳の一つ |
31 | 小室山古墳 (こむろやま) |
藤井寺市 | 前方後円墳 | 150m | |
32 | 大鳥塚古墳 (おおとりづか) |
藤井寺市 | 前方後円墳 | 110m | |
33-1 | 応神天皇陵古墳 (おうじんてんのうりょう) |
羽曳野市 | 前方後円墳 | 425m | 応神天皇陵と治定、規模全国第2位 誉田御廟山古墳 |
33-2 | 誉田丸山古墳 (こんだまるやま) |
羽曳野市 | 円墳 | 50m | 応神天皇陵の陪塚 |
33-3 | 二ツ塚古墳 (ふたつづか) |
羽曳野市 | 前方後円墳 | 110m | 応神天皇陵の陪塚 |
34 | 東馬塚古墳 (ひがしうまづか) |
羽曳野市 | 方墳 | 30m | 応神天皇陵の陪塚 |
35 | 栗塚古墳 (くりつか) |
羽曳野市 | 方墳 | 43m | 応神天皇陵の陪塚 |
36 | 東山古墳 (ひがしやま) |
藤井寺市 | 方墳 | 55m | 応神天皇陵の陪塚 |
37 | はざみ山古墳 | 藤井寺市 | 前方後円墳 | 103m | |
38 | 墓山古墳 (はかやま) |
羽曳野市 | 前方後円墳 | 225m | 応神天皇陵の陪塚 |
39 | 野中古墳 (のなか) |
藤井寺市 | 方墳 | 37m | 応神天皇陵・墓山古墳の陪塚 |
40 | 向墓山古墳 (むこうはかやま) |
羽曳野市 | 方墳 | 68m | 応神天皇陵・墓山古墳の陪塚 |
41 | 西馬塚古墳 (にしうまづか) |
羽曳野市 | 方墳 | 45m | 応神天皇陵・墓山古墳の陪塚 |
42 | 浄元寺山古墳 (じょうがんじやま) |
藤井寺市 | 方墳 | 67m | 応神天皇陵・墓山古墳の陪塚 |
43 | 青山古墳 (あおやま) |
藤井寺市 | 円墳 | 62m | |
44 | 峯ヶ塚古墳 (みねがづか) |
羽曳野市 | 前方後円墳 | 96m | |
45 | 白鳥陵古墳 (はくちょうりょう) |
羽曳野市 | 前方後円墳 | 200m | 日本武尊の陵に治定 軽里大塚古墳、「羽曳野」の由来 |
画像
左:百舌鳥古墳群に属する古墳21基の全体像。画面左上の最も大きな前方後円墳が仁徳天皇陵古墳。
右:古市古墳群に属する古墳24基の全体像。画面中央の最も大きな前方後円墳が応神天皇陵古墳。
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