堀井雄二とは、日本を代表するゲームデザイナーの一人。作家。国民的RPG『ドラゴンクエスト』の生みの親として知られる。
概要
1954年1月6日生まれ、兵庫県洲本市(淡路島)出身。早稲田大学を卒業後、フリーライターとして『週刊少年ジャンプ』などに記事を書いていた。1981年にコンピュータを購入しプログラミングを覚え、テニスゲームを制作した。
1982年に『週刊少年ジャンプ』の編集者である鳥嶋和彦からエニックスの「第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」の取材を依頼された際、自ら自作のゲームを応募し、入選プログラム賞を受賞する。この時の受賞者には『森田将棋』を制作した森田和郎や後にチュンソフトを設立する中村光一がいた。これがきっかけで本格的にゲーム制作を始める。
1983年にアドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』を制作。その後『オホーツクに消ゆ』などのアドベンチャーゲームを幾つか手がけた後、当時マイナーだったRPGに目をつける。
そして、1986年にRPG『ドラゴンクエスト』を発表する。この第1作『ドラゴンクエスト』開発・発売に至るまでの経緯は、『ドラゴンクエストへの道』という漫画にまとめられている。その後、『ドラゴンクエスト』は社会現象を巻き起こすほどの大ヒットとなり、現在までにシリーズ累計出荷本数約7,600万本(ナンバリングタイトル:11作品、外伝多数)を記録している(2018年6月)。
ゲーム作家(ゲームデザイナー)という職業を確立させた草分け的存在であり、TVゲーム業界へ強い影響をもたらした人物の一人として高い評価を得ている。
堀井節
物書きとしての経験が支える独特の言語センスは『堀井節』として有名。
特に、容量の少ないファミコンソフトにおいて大量の情報を伝えるために考え抜かれたそのテキストの練り込み方は、業界内外で評価が高い。
『ドラゴンクエスト』では、限られた文字数の中で的確に情報を独特のユーモアと共に伝える数々の台詞が好評を博しており、あの宮本茂をして「上手い。とにかく上手い。言葉で生理的な感覚をどんどん引っ張り出している」と言わせるほど。
が、その一方で容量がギリギリであるにも関わらず、ギャグのような台詞を入れることには余念がない、という矛盾しているような一面も持っている。
ハードが進歩し、文字の制限に悩まされることがなくなって以降も、堀井の生み出した名言は変わらず使われている。
主な堀井節
- へんじがない、ただのしかばねのようだ
- しんでしまうとは なにごとだ
- だが ふしぎなちからで かきけされた
- わたしと ぱふぱふ しましょう
- ゆうべはおたのしみでしたね
主な作品
関連動画
関連項目
外部リンク
対談
- 社長が訊く『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』
- 社長が訊く『ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン』
- 社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター篇 第17回:『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D』
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