心情左翼とは、左翼的な思想に共感を抱いているものの、実際の左翼的な行動を伴わない人々の事である。戦後~新左翼崩壊頃にかけて左翼思想が流行していた事もあり、年配の人々に多いようである。
概要
心情左翼とは、明確に左翼である自覚するのではなく、左翼的な思想に共感を抱いているだけの人の事である。社会主義・自由主義に共感を示す一方、軍国主義や対外強硬主義、あるいは放任主義には明確な拒否感を抱いている人が多い。もっとも、生活に直結しない外交・安保ばかりを騒ぎ立てたり、敵国であるソ連や北朝鮮を擁護したりしていた、現実の左翼の行動には距離を置いたり、場合によっては拒否感を示す事も少なくない。
また、あくまで心中に共感を持っているというだけで、実際の政治スタンスでは様々な制約にとらわれ「保守」と呼ばれる行動を示している事も少なくとも事に注意しなければならない。伝統主義・家族主義(本来の意味の保守)の人の中にも、直接の地縁・血縁関係のなくとも全ての日本人を同胞として面倒を見なければならないとする考えを取る人も少なくなく、そのようなスタンスと心情左翼は親和性が高い。そのため、一応はかつての社会党がその受け皿となっていたのだが、政権与党として平等社会の構築に成果を上げてきた自民党を評価する者も多く、結果として、左系の勢力が政権を握ることを阻んできたとされている。
日本において心情左翼が増加したのは第二次世界大戦の敗戦の衝撃によるものが大きかったため、その影響が忘れ去られつつある昨今では減少傾向にあるようである。
心情左翼が流行した背景
社会主義的ユートピアに対する共感
現実の社会では比較的平等であるとされる日本においても職種によって大きな収入格差がある。その事実はしばしば低収入の職種の人々への蔑視を生み出している。ところが、低収入の人々が行なっている仕事なくして社会は回らないのも事実である。もし、総理大臣を100人集めた社会があるとするならば、その社会で総理大臣となれるのは1人のみであり、他の大半は低収入の仕事をこなさなければならないのである。以上の考えから、ある個人が社会に対し精一杯貢献するのであれば、その人はその報酬として十分に幸せな生活を営む事ができるべきであるという思想が起こった。そして、それが実現された社会こそが社会主義者たちが思い描いたユートピアなのである。たとえ、その実現が困難だとして、理想としてのユートピアに心を惹かれる者は古来より多かった。
このように理想主義的な考えから左翼に共感を示すのは知識人・宗教家などに多い傾向である。テレビなどで見かける言論人が少なからず左翼的な傾向を示すのは彼らがインテリであるからであろう。
奇跡的な工業化を成し遂げたソ連に対する畏怖
ロシア革命以前のロシアは後進工業国であり、第一次世界大戦では武器弾薬の調達にも支障をきたすような国であったが、ソ連成立以降は計画経済による大規模な工業化によって世界恐慌にあえぐ他の先進国を尻目に発展し、世界第二次大戦の頃には世界最大の陸軍を擁する大工業国家へと変貌していた。当時の人々にとってこの衝撃は非常に大きく、ソ連に模倣・追随するべきという議論を巻き起こし、また、左翼思想の具体的な成果としても大いに宣伝されたのである。現実の工業化は農場集団化とよばれる農村への過酷な収奪の上に成り立っており、死者だけで数百万人の犠牲を出していたが、それらは国際社会から隠されていた。この状況を受け、右翼の中にも、左翼の経済政策のみは模倣すべきであるという国家社会主義という一派が生まれたくらいである。
左翼的な社会である軍隊経験
第二次世界大戦時、ほとんどの成人男子が軍隊を経験する事となった。ところが、軍隊は生まれも育ちも関係なく一兵卒として扱われる徹底された平等主義の組織であり、兵卒としての務めを果たす限り才能に関係なく衣食住を完全に保障される組織であった。こうして、成人としての自覚を持つ20前後の時期に軍隊という平等主義の組織に馴染んだ若者達は復員して故郷に戻った際に、地縁血縁による縁故が幅を効かす伝統的な社会に激しく違和感を覚えた者は多く、実際に左翼としての行動を伴わなくとも、理想としての平等主義を心中に持ち続けるものは多かった。
太平洋戦争の敗戦による反動
戦前、右翼的な言論が大流行し、その流れに乗って次々と戦争を拡大していった日本政府はついにアメリカに敗れ、多くの同胞を失い、国土は灰と化してしまった。このため右翼的な言論は国民の不幸を招くものとして、激しい拒否感を抱かれ、その批判の受け皿として左翼的な思想が流行するに至った。右翼的な言論に対する拒否感は左翼・心情左翼に限らず、自民党の政治家などにも広く見られた傾向である。
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 262
- 0pt