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立川隆史(たちかわ たかし、1975年10月7日-)とは、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)である。
現役引退後は格闘家(キックボクサー)に転身し、現在は野球解説者として活躍している。山本功政権下の主力打者。
概要
OB | |
---|---|
立川隆史 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県千葉市美浜区 |
生年月日 | 1975年10月7日 |
身長 体重 |
184cm 93kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1993年ドラフト2位 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
中学時代は坊主になるのが嫌でバスケットボール部に所属していた。
1993年にドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団。同期入団として大塚明、福浦和也、小野晋吾、諸積兼司がいる。
3年間の潜伏期間を経て、1996(平成8)年に満を持して1軍デビュー。翌1997(平成9)年に1軍で7本塁打を放ち、地元千葉出身の和製大砲としての片りんをのぞかせた。
1998年には開幕スタメン(8番センター)を果たすも、打率.216と不振に終わる。
2000年8月31日のロッテ戦ではサヨナラ満塁ホームランを放ち、新聞の1面を飾った。
監督が山本功児に代わった2000年以降、チームが低迷する中でレギュラーを獲得していた。ロッテオリオンズ時代の本拠地である川崎球場最後の試合(3月26日の横浜ベイスターズとのオープン戦)では球場最後のホームランを放ち、同球場の最後に花を添えた。2002年6月24日近鉄戦以降数試合では4番を任されたこともあった。
2004(平成16)年に監督がボビー・バレンタインに交代してからは、出場機会が激減し、シーズン途中に阪神タイガースへトレード移籍した(相手は平下晃司)。
マリーンズ低迷期を支えた主力選手ながら、ロッテ在籍中は一度も規定打席に到達したことがなく、ましてや出場試合数が100試合に到達したことも無かった。
ロッテ時代の入場曲は「サンバ・デ・ジャネイロ」で、演奏終了後にファンが一斉に「たちかわー!!」と叫ぶのがおなじみであった。この曲は阪神移籍後も甲子園球場での登場テーマとして用いられた。
ロッテ在籍中の2004年1月、フジテレビ「トリビアの泉」の中で、当時横浜ベイスターズに在籍していた古木克明(現格闘家)が小学校の文集に「将来はプロ野球選手になりたい。しかし大洋(ホエールズ・横浜の旧名)とロッテには入りたくない」と書いていたというトリビアで「千葉ロッテマリーンズをこよなく愛する男」として紹介され、チームへの愛を語っていた。ちなみに、そのトリビアは金の脳を獲得した。
阪神時代
移籍後は主に右の代打として活躍。8月8日の巨人戦(東京ドーム)で3番センターで先発出場し、桑田真澄から移籍後初ホームランを放った。
2005年は一軍出場がなく、チームがリーグ優勝を達成する中で、ひっそりと現役を引退した。
引退後
格闘家として活躍。2007年5月6日のプロテスト最終試験では、オードリーの春日俊彰とスパーリングを行い、春日から4度のダウンを奪い、見事合格した。
2010年1月25日には引退試合を敢行。引退セレモニーには木下博勝(ジャガー横田の夫)、古木克明らも駆け付けた。また、観客席では千葉ロッテマリーンズ応援団が応援した。
また、格闘家活動の傍ら、野球解説者としても活躍。2010年のクライマックスシリーズでは千葉マリンスタジアムで行われたパブリックビューイングにも特別出演し、解説を行っている。
通算打撃成績
通算:9年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 530 | 1515 | 1336 | 145 | 315 | 60 | 8 | 28 | 117 | 17 | 15 | 8 | 141 | 15 | 325 | 35 | .236 | .314 |
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関連項目
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