鈴木武単語


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スズキタケシ
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鈴木武すずたけし)とは、元プロ野球選手である。故人

概要

1932年2月28日生まれ。兵庫県西宮市出身。

鳴尾高等学校に進学。1学年下には中田昌宏が、2学年下には藤尾茂がいた。1951年春の甲子園大会に出場し、打率.611を記録するなど活躍を見せてチームを準優勝へと導いた。

卒業後、東洋レーヨンに入社。

1953年近鉄パールスに入団。

入団初年度の1953年、2番ショートレギュラーとして起用されると、新人ながら全試合に出場。打率.274、2本塁打、36打点、40盗塁記録

1954年打率.254,2本塁打、38打点記録した他、5月阪急ブレーブス戦では1イニング3盗塁を成功させるなど走りまくり、71盗塁記録して盗塁王タイトルを獲得。一方で、なんでもいような打球でエラーするなど守備面では安定感を欠いて、44失策記録している。

1955年毎日オリオンズとの開幕戦で、荒巻厚と交錯した際に右足首を骨折し、シーズンを棒に振ってしまう。

1956年133試合に出場して、打率.244、17打点記録したが、故障ので走力に陰りが見え、盗塁数は37と大きく減らした。それでもパ・リーグ最多の32犠打記録するなど、つなぎの役割はこなしていた。

その後は木塚忠助内藤博文らの加入もあり、出場機会が減少。1957年1958年セカンド中心に起用された。

1960年、矢ノ満の台頭もあり二軍でくすぶっていたところ、守備力のある選手をめていた大洋ホエールズから打診があり、金銭トレードで大洋へ移籍。なお、当時の規定では4月末がトレード期限であったが、三原脩監督近鉄側やコミッショナーへ掛け合い、特例での移籍が実現したという。

大洋初年度の1960年シーズン途中加入ながら76試合に出場。打率.210、12盗塁な成績ではあったが、チーム内で叱られ役を買って出た他、鈴木の加入がチーム内で刺となり、ポジション争いを強いられた選手たちが発奮し、結果として大洋優勝に貢献する形となった。その後の日本シリーズでは、要所で盗塁を成功させたり好守備を披露するなど、渋いながらもる活躍を見せて日本一にも貢献し、日本シリーズ賞にも選ばれた。

1961年ショートレギュラーとして起用されたが、その後は徐々に出番が減少。

1963年、現役を引退

引退後は新聞社で勤務していたという。

2004年6月27日、出血性ショックのため死去。享年72歳。

人物・エピソード

盗塁力の高さを武器に活躍した内野手。走力自体は飛び抜けていというわけではなかったようだが、動物カンの良さで盗塁を成功させていたという。

71盗塁記録した1954年オールスター終了直後時点で60盗塁えていたが、マスコミから「記録にこだわる鈴木」と、まるでスタンドプレーをしているかのように書かれてしまい、以降、盗塁企図数が減している。

通算成績

打撃成績

通算:11年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1131 3924 3907 370 875 9 214 246 134 10 157 14 338 66 .243 .276

獲得タイトル・表彰・記録

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