クイズ!当たって25%とは、1991年10月17日から1992年3月26日まで毎週木曜22:00~22:54にTBS系列で放送された生放送の視聴者参加クイズ番組である。
総勢200人の回答者により、コンピューターで問題、各回答者の回答、100分の1秒単位で計測される回答時間、成績、獲得賞金が一元管理されたシステムを使い、1問不正解で失格の4択早押しクイズに挑戦、最後に残った1人が勝者になるという、期首特番「オールスター感謝祭」のシステムをそのまま週1回のレギュラー版として放送したものである。当時の「感謝祭」と同じ司会・島田紳助、出題・島崎和歌子のコンビがレギュラー版でも引き続き司会・出題を担当した。
回答者200人による4択早押しクイズのシステムが初めて登場したのは1991年6月28日に特番枠「金曜テレビの星!」で放送された90分の収録番組で、この時は「祝!賞金総額無制限 クイズ!当たって25%」のタイトルで放送。当初から司会は島田紳助であったが、出題役は草野仁であった(島崎和歌子は回答者の1人として出演していた)。
1987年春~1991年春まで春と秋に放送されていた「クイズまるごと大集合」に代わる期首特番としてこのシステムを使った初回の「オールスター感謝祭」(1991年10月5日放送)の後、レギュラー版「クイズ!当たって25%」がスタート。ちなみに、本番組のスタートに関する問題が「感謝祭」内で出題され、さりげなくPRされた。
形式は当初の「感謝祭」でも使われた25人1組の8チームでチーム成績を競う「団体戦」と各ピリオドごとに最終問題まで全問正解し、かつ最終問題を1番早く正解した人がピリオドのチャンピオンとなる個人戦が併用された。
開始当初、192人の一般参加者は個人参加で、ここに8人のゲストタレントがキャプテンを務める25人1組の8チームに振り分けられてチームの総合成績を競っていたが、数回で個人参加枠は24人1組の団体での応募に変更され、そこにゲストタレントがキャプテンとして加わった25人1組8チーム対抗戦となる。その後、1チームはジミー大西がキャプテンとなり、若手お笑い芸人24人とチームを組んだ「お笑いつぼみの会」となった(当時つぼみの会として出ていた若手芸人の中には出世したものが多数いる)。
出題される問題は当初こそ「感謝祭」同様いろいろなジャンルから出題されていたが、後にピリオドごとで出題テーマが最初に発表され、それにちなんだ問題が出されるようになり、初めは易しく、徐々に難しくなるようになった。
途中の「現物支給クイズ」は当初スタジオに名産品が登場するだけであったが、途中から賞品の産地に当時TBSアナウンサーだった鈴木史朗が「いただきおじさま」の愛称でレポーターとして毎週産地に赴き生産者にインタビューする生中継も行われた(最終回は「現物支給クイズ」がなく、鈴木がキャプテンとなり中継に登場した人たちが回答者チームを組んで出演した)。
当時島田は30代半ばで司会者としても脂が乗ってきた頃であり、司会者席に表示される回答状況の画面を横目に少数の変な選択肢のボタンを押した回答者や、タイムオーバーをやらかしたゲストを素早く見つけ、「感謝祭」同様にゲスト、一般参加者隔てなく次々とキレのあるツッコミを入れながら番組を進行。一方、島崎は当時18歳、デビュー2年あまりでの抜擢であり、「アナウンサーじゃなくて新人のアイドル歌手なんです」と島田にフォローされることもあったが、出題やサブ進行をそつなくこなしていた。
タイトルの「当たって25%」は4択クイズの正解率25%に視聴率25%を稼ぐような人気番組にという願望を掛け合わせたとされる。しかし、裏番組のひとつであるフジテレビのドラマ「木曜劇場」で同時期に放送された「しゃぼん玉」「愛という名のもとに」の2作品がともに「木曜劇場」枠歴代でも上位となる高視聴率をマーク、またテレビ朝日の「ニュースステーション」も安定した人気を保っており、本番組は「ビデオリサーチとニールセンを足しても25%には…」(当時日本のテレビ視聴率は2つの事業者が別々に調査していた)と言われた状況で伸び悩む。最終回のオープニングで島田が「次はコケるだろうと思ったら連打です。ノッてます!フジテレビ!!」と完敗を自虐的にギャグにする状況で、半年で終了することになった。しかし、最終回のエンディングで2回目の放送(1992年4月4日放送)を告知をすることとなった「オールスター感謝祭」はその後も2011年春までの19年にわたり島田・島崎のコンビが続く恒例の期首特番となり、この番組が果たせなかった視聴率25%越えも90年代の「感謝祭」で幾度も達成した。
…ということで、初期「感謝祭」のルールと基本的には同一である。ただ、コンピューターシステムは初代のシステムであり、出題画面は「上にQ(問題)、下にA(選択肢)」か4分割の写真といったパターンしかなかったほか、秒数をいじったり選択肢の数を変えた問題もなく、比較的ストレートな知識クイズが出題されることが多かった。
なお、「感謝祭」では半ば風物詩のように見られていた「ここがラスト問題だと予想して、当てずっぽうでボタンを連打する」作戦(チャンピオンの回答時間が0.01のようなケース)は「当たって25%」では認められていなかった節があり、実際にチャンピオンの回答時間が0秒台前半で計時された際には、島田がチャンピオンと認めるか審議になることをほのめかすコメントをしていた場面もあった。
本番組や「オールスター感謝祭」のエンディングのスタッフロールの際には必ず英文テロップが表示されている。
Devised by Mitchell Symons and
Celador Productions,London.
要は「当たって25%」や「オールスター感謝祭」での4択早押しクイズの企画はMitchell SymonsとChris Kwantesという人が考案してロンドンのセラドール社が開発し、ロンドンのAtticus TVとTBIが共同制作したものでそのライセンスを使って作られていることを示している。本家はイギリスのITVで放送された「Everybody's Equal」(1989年、1990~1991年に放送)という番組で、後にChannel5に局を変えて放送された「WHITTLE」(1997年放送)というタイトルでも同様の番組が放送されている。日本以外にも企画輸出された番組がヨーロッパを中心に何か国かで製作されたという。
セラドール社は後に日本でも「クイズ$ミリオネア」のタイトルで長年人気番組となるなど、世界中に企画が輸出された「Who wants to be a Millionaire?」を制作した番組制作会社である。「ミリオネア」もコンピューター管理されたシステムを使って番組を進行しており、挑戦者を決める際のクイズは早押し4択並べ替えクイズであったり、「Everybody's Equal」の司会者は後に本家イギリス版「Who wants to be a Millionaire?」の司会者となったChris Tarrantであったりといくつか共通点がある。
イギリス版は完全個人戦の30分番組で200人(「WHITTLE」は100人)から1人のチャンピオンを決めるもの。日本のような液晶の付いた大型のキーパッドではなく、「1」~「4」の押しボタンだけが付いた片手で持てる大きさのキーパッドで回答していた。
クイズ形式はまず4択早押しを6問出題して不正解者を脱落させながら10人の決勝進出者を決める(6問目の正解者が10人以上いればその中で早押し上位10人)。なお、日本版にある「予選落ち」のようなシステムはない。そして決勝戦も同じルールで4問出題し、1人のチャンピオン(4問目で正解者が複数残っていれば最速早押し者)を決定。最後にボーナス賞金獲得を目指しチャンピオンだけが4択並べ替えクイズに挑戦するのだが、この並べ替えの選択肢は「1」~「4」で、しかも15秒のシンキングタイムが終わってから口頭で回答するなどスタイルはわりと違っている。出題画面も雰囲気が似ている程度であり、そもそも「当たって25%」「感謝祭」のコンピューターシステム自体も当初から日本で開発されたものを使用していることから、企画概念だけをライセンス契約したという形である。
「水曜ムーブ・テレビ進学塾」(1993年5月5日~9月15日 水・19:00~19:54)でも4択早押しシステムを使用、小学生チーム対芸能人チームの対戦で小学校の学習範囲から出題される4択クイズに答えるという番組。
コーナーを「ピリオド」としたり、各種SEも「当たって25%」「感謝祭」のものが多用されていたが、シンキングタイムのBGMだけは途中から本家の音源にゆったりした雰囲気の音源が上乗せされるようになった。
この番組では回答時間を競うのは一部に限られ、概ね4択クイズや最終の4択並べ替えクイズの出題や回答管理部分だけが使われていた。一方、考える問題も多かったことから制限時間が10秒や15秒以外の問題も一定数用意され、中には最大60秒の制限時間が設けられていた問題もあり、シンキングタイムの音楽もそれに合わせて適宜伸ばされていた。
この番組も島田紳助が司会であったが、出題は佐藤B作が務めていた。裏番組にフジテレビの「ドラゴンボールZ」がある状況ではとても敵わず、わずか4か月で終了となった。
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最終更新:2025/12/17(水) 03:00
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