ハウザー・フォン・シュタイエルマルク(Hauser von Steiermark)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
外伝「螺旋迷宮」に登場する第二次ティアマト会戦期の銀河帝国軍人。青灰色の沈着そうな瞳とやや痩せ型の体を持ち、知的で気むずかしい印象を持たれる良識派の軍人であり、少壮の戦術家として知られた。
第二次ティアマト会戦ではブルース・アッシュビー率いる同盟軍の猛攻をよく支え、その最終盤においては最後まで麾下の艦隊の組織的な戦闘を維持し全軍の最後衛を務めるなど帝国軍の名将であったが、同時に孤高の人物でもあった。
帝国暦436年、第二次ティアマト会戦に参加。コーゼル大将、シュリーター大将、ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー中将、カイト中将、カルテンボルン中将と並んで中将・艦隊司令官として一部隊を率いた。
会戦前半では、ミュッケンベルガー中将を戦死させた同盟軍第5艦隊(司令官ウォーリック中将)が急速前進し帝国軍左翼の分断を試みた際、絶妙なタイミングで急突出して側背をつき、敵第5艦隊を危機に陥らせている。この直後、シュタイエルマルクは同盟軍の戦力分布から敵将アッシュビーが帝国軍別働隊の繞回進撃を見抜いている事を推察してのけたが、総司令部への報告書を積んだシャトルが遭難したため、戦況に影響を与えられなかった。
後半、戦況が膠着状態に陥ると、耐え切れずに自殺的な攻勢に出て強かな逆撃を被ったカルテンボルン艦隊残存の後退を援護。巧妙な艦隊運用によってほぼ無傷のまま戦域を離脱しかけたものの、同盟軍第8艦隊(司令官ファン・チューリン中将)の側撃により2000隻を失う損害を受けている。
12月10日18時10分、ブルース・アッシュビーの直率部隊の戦域突入により帝国軍が壊走し「軍務省にとって涙すべき四〇分間」が始まる中でも、シュタイエルマルクは自己の艦隊を掌握し味方の撤退を支援し続けた。しかし同18時52分、ついに抗戦を断念。帝国軍の最後尾を守りつつ敗走を余儀なくされた。
第二次ティアマト会戦後、ブルース・アッシュビーが戦死していたことを知ったシュタイエルマルクは、自身の姓名を名乗って同盟軍へ鄭重な弔電を送った。
その6年後の帝国暦442年10月29日、当時大将となっていた彼は、クリストフ・フォン・ミヒャールゼン中将暗殺事件当日のミヒャールゼン唯一の面会者となっている。彼はミヒャールゼンの執務室を13時15分に辞去していたが、その僅か75分後の14時30分過ぎ、ミヒャールゼンの射殺体が発見されたのである。しかしシュタイエルマルクに事件解決に寄与するような証言はなく、この事件について語ることも生涯なかったという。
彼は60歳で退役したが、元帥に昇進することも、帝国軍三長官に任じられることも無いままに軍歴を終えた。最終階級は上級大将、極官は軍務省次官であった。
戦術能力においては、第二次ティアマト会戦序盤において同盟軍第5艦隊を横撃した際の、"背中から胸へと槍を突き刺され、その槍をえぐりまわされて傷口をひろげられる"と表現された絶妙な側背攻撃や、同盟軍戦力の配置と移動を解析し帝国軍の繞回運動に対応して主力を温存していることにいち早く気づいた洞察力、後半にカルテンボルン艦隊を救援した際に艦隊を40の小集団に分割し有機的な援護・反転後退システムを作り上げた手腕など、評価すべき点が数多い。同時代においても、巧緻な用兵家、風格ある武人としての名声を勝ち得ていたようである。
また、彼は第二次ティアマト会戦時38歳で中将であったが、この昇進速度も彼の能力の高さを示している。のちのゴールデンバウム朝末期に比較すればやや遅い(パウル・フォン・オーベルシュタインで中将昇進時34歳)ものではあるが、当時の状況を考えると、その昇進は明らかに速い。名前からもわかるように彼は貴族の出身者ではあるが、「軍務省にとって涙すべき四〇分間」以前の当時コーゼルのような平民出身の大将は極めて珍しく、軍内の高級士官自体に貴族が圧倒多数であったこと、第二次ティアマト会戦後の冷遇から見て門閥大貴族の出身者では無いと推察できることなどからすれば、その昇進速度は何より彼の能力と戦功に拠るものと考えてよいであろう。
人格的には、スマートながら気骨ある良識派の軍人であった。貴族の出身者でありながら、きわめて希少であった平民出身の高級士官であるコーゼル大将に対して一切の偏見を抱いておらず、またコーゼルからもその才幹と識見を信頼されていたという。
また、同盟との開戦以来帝国軍の宿痾であった、公務・理性より私心を優先しがちな風潮に対しては
「帝国軍の高級士官は、戦場を、個人的な武勲のたてどころとしか考えていない。したがって、同僚との協調性にとぼしく、兵士にたいする愛情も薄い。憂慮すべきである」
と、高級士官の責任感の欠如をたしなめ、同時に平民からなる兵士たちへの配慮も含んだ苦言を呈している。第二次ティアマト会戦に際してミュッケンベルガー中将が個人的復讐心から敵将アッシュビー打倒に固執する訓辞を与えた時も、彼は「私戦を扇動するようなもの」、「帝国軍が鼎の軽重を問われる」と批判した。
彼の性格は、前述のようにアッシュビーへの弔電を送った姿勢にも顕れているが、同時にこの行動は偽善にすぎないと非難の対象にもなった。この非難に対しても彼は
「私を偽善というのは、つまり卿は真に善なる者と自認しているということだな。だとしたら、自らの善を守っていればよい。他人が礼をつくすのに口をだす必要もあるまい」
と皮肉げに応じたのみで、孤高の姿勢を保ったままであった。
しかし、このような彼の性格が軍内で好評を得るはずもなく、能力的にも人格的にも極めて高い評価を受けながらも、元帥昇進も三長官就任も果たせずに軍歴を終えることになっている。
第二次ティアマト会戦直前、ミヒャールゼンによるスパイ網の調査を担当していたコーゼル大将に面会している。このことから、後に「アッシュビー謀殺疑惑事件」と「エコニア騒乱」を通して当時の出来事を調査したヤン・ウェンリーは、シュタイエルマルクがこの時コーゼルからスパイ疑惑について何らかの情報を得、コーゼルの戦死によって調査が中断された6年後に改めて情報を再確認することに至ったのではないか、つまりミヒャールゼン暗殺に何らかの形でシュタイエルマルクが関わっていたのではないかと推測している。
ちなみに、OVA外伝「第三次ティアマト会戦」後篇においては、ラインハルトがシュタイエルマルクの故事を挙げて同盟軍(第11艦隊除く)への賛辞の通信を断念する準オリジナル・シーン(敵への賛辞の意思については原作「星を砕く者」本文中にも記述があるが、具体的な台詞やシュタイエルマルクへの言及はない)がある。このことは、後に総司令官として戦ったアスターテ会戦における敵将ヤン・ウェンリーへの賛辞の通信と対応している。
掲示板
18 ななしのよっしん
2020/07/21(火) 07:14:33 ID: c7XOtPjCS0
>>12->>14
むしろ人材に余裕がなすぎて、前線から外せなかった(小競り合いに一々宇宙艦隊司令長官が出張るわけにもいかない)んじゃ……
19 ななしのよっしん
2022/05/01(日) 16:55:41 ID: /ygtmGCSYx
アッシュビー時代の苦労人
ヤンもシュタイエルマルクには共感する所が多いだろう…
20 ななしのよっしん
2023/09/22(金) 21:52:37 ID: ntOeRvYPWY
パランティア会戦でコープを討ち取ったのってこの人なのかな?
ミヒャールゼン謀殺直後だから時間的に間に合わんかも知れんけど、出撃前に後顧の憂いを立つ意味で謀殺→欺瞞情報を渡されたコープは精彩を欠く&ジャスパーも援軍のタイミングをミスる(対立が原因で同行はしなかった)とかも含めて。
んで、このパランティア会戦の後でイゼルローン要塞が作られるわけだけど。
その時間を作ったとかの功績があったらもっと出世してるか。。。
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最終更新:2024/04/26(金) 15:00
最終更新:2024/04/26(金) 15:00
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