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クリストフフォンケーフェンヒラー

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クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーChristoph von Köfenhiller)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
CV.矢島正明

概要

ゴールデンバウム朝銀河帝国貴族男爵。内務官吏、帝国軍士官(最終階級大佐)、捕虜。
宇宙788年/帝国47910月当時71歳、堂々不敵にして矍鑠とした老人であった。

宇宙745年/帝国436年の第二次ティアマト会戦で同盟軍の捕虜となり、惑星エコニアの捕虜収容所で43年間もの長期間をすごした所内の長老として士官兵士の別を問わず捕虜たちに尊敬され、収容所を管理する同盟軍人からも一置かれる人物。その一方で、彼の捕虜としての後半生は、帝国軍時代にその一端に触れた巨大な陰謀を追う人生でもあった。その調の結果は、やがてエコニアに赴任してきたヤン・ウェンリーされることとなる。

経歴

前半生

文官の門であったケーフェンヒラ男爵に生まれ、「何代めかの皇帝の名を冠した」大学行政学を専攻。卒業後、内務に入して地方行政を専門とする官僚となる。22歳で同等の門出身の相手と結婚し、将来30歳前後で惑星の知事を任されることもあるエリートコースに乗るなど、順満帆の人生を送るかに見えた。

しかししばらく後、彼は突如として内務を辞め帝国軍に入隊する。幹部補生を経由して25歳で少佐に任官し、一年後には中佐、さらに大佐と階梯を進めた。435年にクリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督の補佐に任じられたのち、翌年の第二次ティアマト会戦までにコーゼル艦隊部に異動し、同会戦では情報主任参謀シュテッケル少将のもとで情報参謀の一人として艦隊旗艦<ディアーリウム>に乗艦していた。

そしてその第二次ティアマト会戦の最終局面、12月11日18時10分からのいわゆる”軍務にとって涙すべき四十分間”のさなかの18時36分に、<ディアーリウム>は同時に3発の直撃弾を浴び大破。艦を見舞った爆発によりコーゼル大将も即死した。幸いにも全身打撲程度の軽傷で済んだケーフェンヒラーは、重傷のシュテッケル少将に命じられて同盟軍の降伏勧告を受諾。かくして彼は同盟軍の捕虜となった。

捕虜としての暮らし

ケーフェンヒラーたちは同盟軍の輸送艦に移乗してタナトス系へと向かい、惑星エコニアの収容所へと入れられた。将官は同系で収容前に分けられて他所へと移されており、大佐であったケーフェンヒラーは収容所中の最高位者となった。

そのまま、彼はエコニアで43年、収容所長が10代ほど代替わりするほどの歳を過ごす。その間、何度か捕虜交換もあったが、彼は帰しようとせず、故郷へ帰る戦友たちを送りだし、また収容所で死んだ捕虜の遺品に手紙を添えて帝国の遺族の元へと送った。そのうちにケーフェンヒラーは老人となり、自治委員会の長としてエコニアにおける帝国軍捕虜のリーダーとなっていた。

そのままエコニア人生をまっとうするつもりであったケーフェンヒラーだったが、その晩年、エコニアに開拓以来の大変事が発生し、彼は望まぬ自由を強いられることとなったのである。

エコニアの騒乱

それは宇宙78811月10日未明、エルファシルの英雄ことヤン・ウェンリー少佐が参事官として軍立エコニア捕虜収容所に赴任し、ケーフェンヒラーに挨拶を済ませた翌日のことであった。若手の貴族士官プレスブルク中尉を首謀者とする捕虜の叛乱事件、いわゆる「エコニア騒乱」が発生した。この叛乱事件では、見回り中の副所長ジェニングス中佐不幸にも捕虜たちの虜囚となり、その交換として参事官ヤン少佐と参事官補フョードル・パトリチェフ大尉が叛乱捕虜たちの立てこもる東一七号棟を訪れ、監禁されていた。

ケーフェンヒラーは偶然その東一七号棟にいたが、叛乱側はその存在に気づいていなかった。だが、彼はあえて叛乱した捕虜たちの前に姿を現し、ヤン少佐とパトリチェフ大尉の隣にを下ろした。そして所長バーナビー・コステア大佐叛乱者たちを鎮圧すべく撃という強硬手段に出る中、彼は予め存在を知っていた古い地下通路への入り口を開いてヤン少佐とパトリチェフ大尉を救い、その流れでプレスブルク中尉まで助け出したのである。

実は、この叛乱事件はコステア大佐がプレスブルク中尉を利用して仕組んだものであった。ケーフェンヒラーはその相をヤン少佐に伝え、叛乱事件を解決するのにも手を貸した。しかし皮なことに、その貢献によって彼の収容所からの釈放と同盟市民権の付与、退役大佐格での年金支給が決定されてしまう。彼は終の棲と決めた収容所を追い出される事になってしまったのだった。

最期

12月、彼は収容所から転任するヤン少佐とパトリチェフ大尉とともにエコニア立ち、ハイネセンへと向かった。其の途中、宇宙船を乗り継ぐ惑星マスジッドの宇宙港で、一行は宇宙789年の幕開けを迎える。

新年を祝ってハドリアンビールで(余談ながら、ケーフェンヒラーの好みはアルハイム印である)杯した彼は、缶を二つあけるとをつむり、第二次ティアマト会戦当時を回顧しはじめた。捕虜となった経緯から望まぬ解放までの人生振り返り終えた彼は、そのまま眠りに落ちる。そして彼の身体が衡をくずしてパトリチェフ大尉にもたれかかった時、その魂はすでに冥界の門を潜っていたのだった。

彼の遺体といくらかの遺品がおさめられたマスジッドの墓地埋葬された。その墓碑には帝国公用語で名前と生没年、そして”生涯に幾人かの生命を救った”という銘が刻まれた。銘文はヤン少佐の撰によるものであった。

ケーフェンヒラーの人生

家庭内サイズの不和

ケーフェンヒラーが恵まれた内務官僚のを外れ、突如として軍隊入りした理由には、彼が23歳の当時にケーフェンヒラ男爵の内で生じていたある問題があった。同等の門からぎ、ケーフェンヒラーなりに実に愛していたつもりの妻が、とある少壮の貴族建築家愛人関係を結び、離婚を申し出てきたのである。

ケーフェンヒラーはそれを断ったが、妻が愛人の下へ走るのは止められなかった。伯爵の次男坊である愛人伯爵200万帝国マルクの慰謝料で離婚してくれるよう小切手を送ってきたが、彼はその受け取りも拒否した。すると伯爵は「成人した男女間のこと」として事態から手を引き、ケーフェンヒラーの抗議をはねつけた。さらには彼を辺へ左遷させるように内務に手を回すことまでしたが、その程度は最初からそのつもりのケーフェンヒラーには問題ではなかった。しかし妻が愛人との子を出産するに至り、彼もついに世の中に絶望を抱くようになり、死を望んで軍に入ったのである。そして数年後、第二次ティアマト会戦において彼は同盟軍の捕虜となった。

彼に言わせれば、「捕虜になってみて、私の熱病はさめてしまった」のだという。彼が故郷にその生存を伝えつづければ、離婚が成立していない以上、妻が正式に愛人結婚することは当然出来ないのである。それは純に嫌がらせというだけではなく、ケーフェンヒラーと故郷との一の繋がりでもあるのだ。そうして彼は、故郷に帰ろうという気にもならず、彼の名を捕虜交換リストに載せてやろうとする収容所長の好意も断ってエコニアにとどまり続けることになったのである。43年間にも渡って。

渦状腕サイズの機密

当項については「マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター」および「クリストフ・フォン・ミヒャールゼン」も参照のこと。

さて、第二次ティアマト会戦の直前のことである。前線基地で、ケーフェンヒラーは自身の官であるコーゼル大将から呼び出しを受けた。コーゼル大将から「前任地の上であるクリストフ・フォン・ミヒャールゼンから重要な、あるいは後ろ暗そうな相談を持ちかけられはしなかったか」と問われた彼は、質問の意図を掴めぬままに否と答えた。そしてコーゼル大将は彼に、統帥本部に””があいており、ミヒャールゼンがその在処に詳しいだろう、とった。

退出したケーフェンヒラーは、コーゼル大将の問いが帝国軍内のスパイ網についてのものであり、自身と同名の前上がそれに関わっているらしいことを悟った。しかし直後の第二次ティアマト会戦によって、コーゼル大将は戦死し、ケーフェンヒラーも同盟軍の捕虜となった。そして宇宙751年、彼はミヒャールゼンの暗殺を一日遅れで知ることとなったのである。

こうして彼は、ミヒャールゼンの死の相と、それに関連してマルティン・オットー・フォン・ジークマイスターの同盟への亡命について、四十年かけての調を進め始めた。その結果、帝国同盟両に跨る壮大なスパイ網が存在し、ブルース・アッシュビー提督の活躍を支えたのではないかという推測に達した。

彼の死後、集められた膨大な調資料は的価値が認められ、エコニアで彼の調の一端を知ったヤン少佐の手で整理理では)され軍の公文書館に収蔵されることとなった。しかしそれらはB級機密事項の定を受け、25年のあいだ封印されることとなったのであった。

顕微鏡サイズの陰謀

もう一つ、ケーフェンヒラーが関わることになった、極小サイズの陰謀があった。彼の収容所人生を画期的に変える原因となった、「エコニア騒乱」がそれである。彼は今度はその渦中にいたとはいえ、騒乱に直接関わったわけではない。しかし彼は騒乱を仕組んだコステア大佐の意図を正確に洞察していた。すなわち、コステア大佐が収容所長として行った横領の隠匿である。

コステア大佐は軍立エコニア捕虜収容所の予算から、350万ないし360万ディナールという大(これは彼の退職の約12倍にあたる)を横領し、フェザーン銀行に設けた匿名の口座に隠していた。しかしそこに、”エルファシルの英雄ヤン・ウェンリーが赴任してきたのである。そんなエリートがこんな辺に赴任してきたのは、エコニアを怪しんでの秘密監察に違いない、と考えたコステア大佐は強硬手段に訴えた。捕虜のプレスブルク中尉を唆して叛乱を起こさせ、そのどさくさにまぎれてヤン少佐を殺してしまおうとしたのである。

結局、それを見抜いたケーフェンヒラーが囚われのヤン少佐のもとを訪れ、プレスブルク中尉ごとヤン少佐とパトリチェフ大尉を助け出したことによってこの小な陰謀は失敗に終わり、コステア大佐横領の罪が発覚して軍法会議を待つ身となったのであった。

補遺

ヤン少佐エコニアに赴任する少し前、同盟軍あてに「ブルース・アッシュビーの死は謀殺である」という内容の手紙が、毎週火曜日、36週間に渡って、その9年前に死亡したブルース・アッシュビーの元妻ルシンダ・アッシュビー名で届き続けたことがあった。その結果、ヤン少佐が昇進直後のモラトリアム期間にその調を任せられている。

この手紙は、ケーフェンヒラーが自身の調していた一連の事件について気を惹くために送ったものではないか、とヤン少佐考察している。エコニアでの叛乱の途中、それについてヤン少佐はケーフェンヒラーに問うたが、彼が何かを答えようとする刹那コステア大佐撃を開始し、返答は爆発音の内に消えてしまったのだった。

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関連項目

掲示板

  • 18ななしのよっしん

    2017/10/04(水) 18:06:29 ID: 3Uz8+DkiQx

    実家が圧をかけたのは内務だけど、捕虜関係は軍務だろうから影が及ばない可性もある
    幹部補生経由で少佐に任官して数年で大佐までなってる時点で、軍での出世に影は出てなさそうだし
    多少なりとも事情を知られていればむしろセクショナリズムを発揮してかばう人も出そう
    捕虜交換経由で帰ってきてケーフェンヒラ生存を伝える人間も絶えないだろうし

  • 19ななしのよっしん

    2017/11/02(木) 22:11:47 ID: KriONrPpY3

    爺さん死因で気になったんで「高齢者+飲+意識(不明)」でググってみたら、高齢者の飲心臓に過度の負担を掛けるっぽいのね。
    一方で脳梗塞の危険もあるんで、身体揺さぶるのは論外なんだけどね。(ヤンって絶対応急処置の授業取ってないか居眠りしてたんだろうなあ)

    そう言えば、作品スレの方で帝国の話が出てたことがあったけど、爺さんの場合は二人称が「卿」の時は帝国、「お前さん」の時は同盟公用語で話してたって解釈をしてる。

  • 20ななしのよっしん

    2018/02/23(金) 03:20:46 ID: 6hg9OyUjyb

    >>12-14
    実は電子新聞については、徳間ノベルス版の1巻明編の時点で記述があり、
    アスターテ合同慰霊祭にヤンが出席する途中、キャゼルヌから「アスターテの英雄殿は電子新聞を読む暇もかったらしいな。ジャーナリストはこぞってそう書きたててるぞ」といった感じで言われていたりする。
    (付記。手元のは徳間版とはいえ1991年の第61刷なので、初版後に書き加えられたりした可性はある。)

    あと、記録媒体々に関しては、同じく徳間版の螺旋迷宮1993年、第41刷)で、ケーフェンヒラー老人の荷造りをヤンが手伝ってるシーン
    「単に情報としてなら、コンピューターインプットするなりマイクロフィルム化するなりすればよいのだが、書物を書物としてする人は、そうは割りきれない」ともある。

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