ピンク・レディー 単語

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ピンクレディー

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ピンク・レディーとは、

  1. 1970年代後半に活躍したアイドルデュオ
  2. 1.の名前の由来になったカクテル
  3. 1.の「ピンク・レディーの再来」という触れ込みで1996年デビューした『ピンク・レディーX』

以上の意味があるが、ここでは1.について記述する。

概要

の2人組で構成される。

明るく活発的なコンセプト、特徴のある振り付け、大胆かつ手な衣装と容姿、そして、阿久悠作詞)・都倉俊一作曲)のコンビが手がけた特徴的な名曲の数々によって大人気を博し、1970年代後半の日本社会現象を起こした。
そのファン層は老若男女幅広く、まさに民的アイドルのひとつであったと言える。

1976年8月25日に、シングルペッパー警部』で歌手デビュー。同年の日本レコード大賞で新人賞受賞。
『S・O・S』でオリコン1位を初めて獲得した辺りから人気爆発的に高まっていき、続く『カルメン'77』も同様に1位を獲得。『シンバット』でとうとうミリオンセラーを記録し、以後、新曲がことごとくオリコン1位ミリオンセラーを記録するという時期が続いた。
1978年には『UFO』には日本レコード大賞、「サウスポー」で日本歌謡大賞をそれぞれ受賞した。
この人気絶頂期において、最終的に、シングル9作連続オリコン1位獲得、10曲連続ミリオンセラーという、当時としては圧倒的な記録を打ち立てた。特に、1977年7月から1978年2月にかけては、1週を除き全ての週でピンク・レディーがオリコン1位という、まさに異様な人気振りであった。

しかし、歌謡曲の代わりに、後のJ-POPへと繋がる「ニューミュージック」が全盛期を迎える1979年頃になると、人気は急に低下していった。
しかもこの年、アメリカ進出へ挑戦し惨敗。また、紅白歌合戦出場を辞退し代わりに日本テレビに出演すると言う、当時としては考えられないチャレンジをした結果、やっぱり視聴率で惨敗。
人気に陰りが出始めたところへ、プロデュース面でこれらの致命的な失敗を犯してしまったため、あっという間に飽きられていった。

そして1981年に解散宣言。
終わってみれば、デビュー社会現象凋落解散までわずか4年強という短さの、非常に刹那的な活動となった。 

しかし、一度爆発人気を博したおかげで、多くの人に根強くされ続け、1984年1990年、1996-1997年2003年…と、度々再結成が行われることとなった。
2005年には、とうとう再結成をこれで最後にすることを宣言し、活動に終止符を打ったものの、2010年9月1日(30周年)に「解散やめ!」を宣言して再び活動を再開している。

既に2人とも50代を迎えているにも関わらず、未だにスタイルが良く、ダンスも歌唱力も割と維持している。

振り付け

ピンクレディーの特徴の一つとして、それぞれの歌にある「振り付け」があげられる。
当時、女児の間ではピンク・レディーの振り付けの真似が大流行し、完璧に踊れるのが当たり前…と言われたらしい。
探偵!ナイトスクープ2001年2月9日放送分の「30代の女性は皆ピンク・レディーの振り付けを踊れる?」の調では、インタビューを行った一般の女性達が次々と完璧に「UFO」「サウスポー」などを踊りこなしている。

余談だが、『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニメエンディングハレハレユカイ』の振り付けは、ピンクレディーの『S・O・S』が元になっている。また、同曲の最初のモールス信号音は、同アニメオープニング最強パレパレード』の元ネタでもある。

キャラクターグッズ

ピンクレディー人気絶頂期を物語エピソードの一つとして特筆すべきは、キャラクターグッズ爆発的売上である。

彼女たちの姿をプリントした文房具人形玩具バック、靴、食器、挙句には自転車まで数多くのキャラクターグッズが登場。それをピンク・レディーに憧れる女児たちがせびって購入してもらったことから、楽曲売上や行売上に匹敵する大な利益を生んだ。

有名なエピソードとして、ピンクレディーのキャラクター玩具を製造していたアサ玩具というおもちゃメーカー亡のお話がある。
元々女児向け玩具に強みを持っていた同社が1977年にピンクレディーのキャラクター玩具を発売したところ売上が倍増。最盛期には年商が20億円から44億円になったと言われている。
しかし、これらの利益を元手に同社が社運を賭けて独占販売権を手に入れたモスクワオリンピックマスコットキャラクター「こぐまのミーシャ」が、日本モスクワ五輪不参加ので全く売れずに大量の不良在庫を抱えることとなる。立て続けに海外生産品の不具合による不良品の大量発生、「ベルサイユのばらキャラクターグッズの売上不振、さらにピンクレディーブーム終焉が重なって急速に経営が悪化。絶頂期からわずか5年後の1982年倒産業へと追い込まれてしまった。
玩具メーカー亡までピンクレディーが関わってしまったという皮な話である。 

代表曲

関連動画

2007年、ピンクレディーのパチンコ第二弾(第一商会)が登場。その際、パチンコで使用される曲の再レコーディングを行った。

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