マクシミリアン・ヨーゼフ2世(Maximilian Josef II)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
ゴールデンバウム朝銀河帝国第23代皇帝(在位帝国暦337-357頃)。先々々帝(第20代皇帝)フリードリヒ3世の第二皇男子。
「晴眼帝」として、あるいは「再建帝」「清掃帝」として、後世まで名君英主の誉れ高き皇帝として名が挙がるゴールデンバウム王朝中興の祖である。
帝国暦4世紀初頭、帝位をめぐる陰謀や不審事件があいつぎ、ゴールデンバウム王朝の血脈がもっとも混迷した時期の皇帝家に生まれ育った人物である。
皇太子である長兄グスタフが生来病弱で継承を不安視されていたため、その前半生は皇太子の座を巡って異母弟ヘルベルト大公、リヒャルト大公の二名が憎み合う情勢下にあったが、次男マクシミリアン・ヨーゼフは母親が下級貴族の出であったために帝位継承権が無いものと考えられており、本人もその意思を全く見せなかったために争いに巻き込まれることもなく、ほとんど無視される存在であった。
しかし帝国暦331年、初めて接触した自由惑星同盟への遠征軍総司令官に任じられたことで帝位継承は確実思われたヘルベルト大公がダゴン星域会戦の惨敗によって失墜すると、継承権争いはさらなる混迷を極めることとなる。数年後にフリードリヒ3世が崩御してから、帝冠は兄弟争いを避けてフリードリヒ3世の異母兄マクシミリアン・ヨーゼフ1世の手に移り、まもなく長兄グスタフへと受け継がれた。そしてそのグスタフも、ヘルベルトの策謀により、在位約3ヶ月にして毒殺される憂き目に遭ったのだった。
グスタフは、死の床で次弟マクシミリアン・ヨーゼフを後継者に指名し、自らその帝冠を彼の頭に載せる。ゴールデンバウム朝中興の祖として名高きマクシミリアン・ヨーゼフ2世“晴眼帝”の誕生であった。
マクシミリアン・ヨーゼフ2世に奉られた「晴眼帝」の異名は、むろん彼が数代ぶりの清新な皇帝として賢明に統治し、先々々帝フリードリヒ3世以来、体制の端々にわだかまっていた汚職・陰謀といった無数の澱みを一掃して王朝を立て直したその治世を抜きにしては存在しなかったであろうが、それでもあえて「晴眼」であるのには理由があった。
彼は陰謀により毒を盛られ、後半生を半盲の身体で送ったのである。不随の身体となりながらも、彼は皇帝としての義務を投げ出すことなく、かつてダゴン星域での敗戦の責を取らされたゴッドリーブ・フォン・インゴルシュタット中将の弁護人として格調高い弁論で起訴の不当性を糾弾して左遷された「弾劾者」オスヴァルト・フォン・ミュンツァーを司法尚書に迎え、勝ち気な侍女あがりの皇后ジークリンデの補佐によって、20年にわたって統治を続けた。
内治においては前述のとおり悪弊を一掃し、また外征においても、「距離の暴虐」を唱えた司法尚書ミュンツァーの言を容れ、一度も同盟への遠征を行わなかった。軍事的にも、フリードリヒ3世時代に近衛の反乱を恐れて増設された皇宮内の複数の陸上部隊を解体して平穏を取り戻した。
その半盲の障碍故か、彼はルドルフ大帝以来、帝国では顧みられることの少なかった民生にも力を入れ、かの「劣悪遺伝子排除法」を有名無実化した。彼自身はあくまで外部の要因による後天的な半盲であるが、病弱な兄グスタフは帝室に生まれていなければ迫害されていたであろうし、彼の手による有名無実化が無かったならば、のちにパウル・フォン・オーベルシュタインがローエングラム朝銀河帝国の成立に関わることもなかったかもしれない。
ただし、これはあくまで有名無実化であり、無効化ではなかった(ルドルフ大帝の強力な信条に基づく本法を廃止することは、おそらくきわめて困難であったろう)。
これは石黒監督版OVAのオリジナル外伝の設定ではあるが、ゴールデンバウム王朝末期のオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵とウィルヘルム・フォン・リッテンハイム3世侯爵の娘であり皇帝フリードリヒ4世の後継候補であるエリザベートとサビーネは共にある遺伝病を抱えており、露見した場合後ろ盾たる両者は破滅するであろう、とされている。
マクシミリアン・ヨーゼフ2世はその統治中に既に名君と呼ばれており、その死後も名声は高まるばかりであった。
養嗣子として帝位を継いだ第24代皇帝コルネリアス1世は後継者として充分に賢君であり、内政においては養父の路線をほぼ引き継いだ。しかし、偉大過ぎる養父の後継者たることに悩まされた彼は、先々々々帝の時代に失敗した自由惑星同盟の併呑を目指す事になる。これが、自由惑星同盟に建国以来最大の危機をもたらしながらもついに失敗に終わった「コルネリアス1世の親征」である。
さらに150年の年月が流れた王朝末期においても彼の名声が忘れられることはなく、ラインハルト・フォン・ローエングラムがゴールデンバウム王朝史上の暗君を挙げて血統による継承を否定した時にも、ゴールデンバウム王朝史上の名君として引き合いに出されている。
掲示板
17 ななしのよっしん
2019/01/05(土) 15:14:43 ID: e3ntCcYVK3
>>14
実際の歴史上の名君や有能な人物も、それは同じだと思うよ。
本人の能力が発揮され、受け入れられる背景があったからこそ歴史に名前が残ってる。逆に言うとそれがないと、どんな先進的なことをやっても「何か訳の分からないことをやってるやつ」呼ばわりされて終わっちゃう。
当人の能力が発揮される時代に生まれ、時代の流れを掴むというのも「名君の資質」ということになると思う。
だからこそヤンが言うとおり「名君の出現が極めて稀」になってしまうのだけど…。
18 ななしのよっしん
2019/01/16(水) 21:52:30 ID: 1e4g0iSKKR
ラインハルトだって、マクシミリアン帝の時代に生まれてたら「距離の暴虐も理解できずやたらと流血を好む戦争屋」扱いで終わってたかもしれないしな。
まあ、「早すぎた先駆者」「時代が追いついた」と再評価されることも多いけど <何か訳の分からないことをやってるやつ
19 ななしのよっしん
2023/04/20(木) 21:51:40 ID: gINYqsF9MH
>>15
前半生は先天的な障害で帝位争いから遠ざけられたものの、カリグラが暗殺されて皇帝になったクラウディウスがモデルだろう
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最終更新:2025/12/06(土) 22:00
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