北橋修二 単語


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北橋修二とは、JRA日本中央競馬会に所属していた元騎手および元調教師である。

概要

1955年松元正雄厩舎所属で騎手デビュー、初騎乗したニユーミツヨシは7着であった。
勝利をしたキヨウミヤでその年の7月であった。

重賞勝利したのは1957年京都障害()、現在京都ジャンプステークスにあたるレースである。騎手として最後に重賞を勝ったのは1975年日経新春杯ノースリバーであった。
1977年に所属していた松元正雄調教師の勇退等もあり、騎手引退調教師に転身した。
騎手としての成績は通算4616戦587勝であった。

1年間の調教師としての研修期間が終わったあと、1978年グリーンシャトーで初出走初勝利を収めた。
1980年シンザン記念調教師としての初重賞をノトダバー勝利した。

その後1987年毎日杯勝利のあと重賞はしばらく勝利はなかったが、1994年ゴールデンジャックで勝つことになる。

1996年から所属騎手福永祐一が入り、子となる一に積極的に騎乗依頼をすることになる。

1999年エイシンプレストン朝日杯3歳ステークスで初G1勝利をした、これ外の活躍JBCスプリント等を勝つスターリングローズの他、ビハインドザマスク、サイドワインダー等が厩舎に所属していた。

2006年に定年で引退調教師としての成績は通算5563戦512勝、JRA重賞26勝であった。

北橋修二と福永祐一の関係

1996年デビューする福永祐一とは師の間柄だが、そのルーツ一が生まれる前にまでさかのぼる。

まだ北橋修二が騎手時代だった頃の師匠松元正雄(元調教師)と日迫清(元調教師)がしい間柄で北もよく日迫のに行くことがあったが、そこに一の父親福永洋一がよく麻雀を打ちに来ていた。また一の方の祖母が日迫清の奥さんで、たびたび姪っ子も見かけることになった。この姪っ子が福永洋一にとってのちの裕美子夫人で、一のになる。

この二人の雰囲気が良かったことから、周りの力の協力を経て北橋修二はこの二人の仲をうまく導くことになった一人である。

その後その二人が結婚一と一のが誕生した後に福永洋一毎日杯での落負傷で引退を余儀なくされた後は、リハビリに励んでいる間たびたび面倒を見て、食事をしたり遊園地などに連れて行くなど可がっていた。
一にとってこのころは「修ちゃん、修ちゃん」と呼ぶ近所のおじさんであった。

一が成長すると騎手すと話すようになり競馬学校に入ったが、当初は関東所属を進めていた。
2020年現在だと西高東低ともいわれるが、1990年初め頃はまだそこまでの質の違いが出ていなかったためである。

一本人も一度は進められた通りに思ったようだが、知り合いが関東にあまりいないことから、調教師になっていた北橋修二の元に行きたいと話し、北もこれを受けいれることになった。

トレセンでの研修期間では、1994年重賞を勝つゴールデンジャックの世話をさせることもあった。
1996年一のデビューにあたって自厩舎のマルブツブレベスト用意し、一はこれに応えデビュー戦で勝利した。
このころから北厩舎の質が向上しはじめた、一を子として受け入れることになり関係各所に頼んだ事による。他厩舎でも一を乗せてやってくれないか?とも頼んでいたりもした。特に北と同じ鹿児島出身の瀬戸口勉とは仲が良かったため、瀬戸口厩舎の一に依頼することが多かった。

1999年にはエイシンプレストンデビューすることになる、こので厩舎初のG1勝利朝日杯3歳ステークス子の福永祐一の騎乗で飾ることになる。
このコンビ引退まで変わらず香港G1も3つ勝つことになる。

2006年に定年で調教師引退する事になったときは、一の提案で競馬関係者を集め引退式が行われた。俳優も使って「北橋修二物語」が上映をされるなどもした。

2018年子の一が日本ダービーワグネリアンで勝つことになる。北テレビレースを見ていたが、残り100mの時は「かわせ!」と叫んだとのこと。

一がレース後「ダービー制覇は福永の悲願でした」と語っていたが、それは北にとっても特別で「一人前になったんじゃないかな。そりゃあ洋一も喜んでるに決まっとる」と語っている

そんな北の自宅の食卓には巣立った一の椅子がいまでもあるそうで、一以外には座らせないとインタビューで語っている。

現在引退していることから表舞台に出ることは稀になったが、高知競馬場で行われる福永洋一記念ゲストで呼ばれて福永祐一と並んでいることがある。

2022年12月子であった福永祐一調教師試験に合格した際に祝福コメントメディア開した。
そのコメントの中で今でも毎週のように連絡を取り合っていると、深い関係の中を語っている。
調教師試験合格に師匠の北橋修二元調教師「日本競馬を盛り上げてほしい」(スポーツ報知)exit

2023年2月4日小倉競馬場で行われた子の福永祐一小倉競馬場での最終騎乗日には口取り式に参加し、また東京競馬場での内最終騎乗の時にも参加し、最終レース終了後のセレモニーにも姿を現していた、3月4日阪神競馬場で開催された引退式にも参加。双方、人憚らずにを流した。

そんな北橋修二は定年で調教師引退した後、17年間もの間毎週必ず月曜日一から電話をかけてきて話をしていたようで、調教師試験を受けることも事前に話をしていたらしい。そんな北橋修二にとって今したいことは一と一緒にを買いに行きたいとの事。もしかすると二人で見つけたが活躍することがあるのかもしれない。

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