福永祐一とは、JRA(日本中央競馬会)の元騎手で、現調教師である。
父は「天才」と称された元騎手の福永洋一で、デビュー当時から注目されていた。
1996年3月2日中京競馬場でデビュー、所属厩舎の北橋修二厩舎のマルブツブレベストで初騎乗初勝利を飾っている。なお北橋修二は生まれた時から旧知の関係である。
競馬学校では和田竜二、双子の柴田大知・未崎兄弟や常石勝義、女性の牧原由紀子(現・増沢由紀子)、細江純子といった面々らと同期である。
デビューした年は53勝でJRA最多勝利新人賞を獲得している。
翌年の11月キングヘイローで東京スポーツ杯3歳ステークス(現・2歳ステークス)を勝ちJRA重賞初制覇している。(地方競馬の重賞では夏にシルクフェニックスでエンプレス杯を勝っている)
1999年にプリモディーネに騎乗し桜花賞を勝利、G1とクラシックを初勝利している。
しかし翌週に落馬事故により腎臓を片方摘出する負傷を負っている。
復帰後の同年、朝日杯3歳ステークスを所属していた北橋修二厩舎のエイシンプレストンとのコンビで勝利し、後に香港で海外G1を3勝している。
2005年はシーザリオで日本のオークスを制し、アメリカのアメリカンオークスも勝利した。この勝利は日本産馬に日本調教馬で、日本人騎手初のアメリカでのG1勝利であった。
2006年北橋厩舎が北橋師の定年引退により解散したため3月からフリーとなった。
2011年、4月2日と3日(土・日)の2日間でJRA重賞4連対を達成している。通常の日程ではおこりえないのだが、この年は震災の影響で4月は中山競馬場の開催が中止となり、阪神競馬場と小倉競馬場に振り分けたた関係から、阪神競馬場で行われた4月2日(土)の11Rの日経賞、12Rの中山牝馬Sを勝利、3日(日)の11Rの産経大阪杯、12Rのダービー卿CTをそれぞれハナ差の2着とし珍しい記録となっている。
また、岩田康誠とのし烈な勝利数の争いを制し133勝をしてJRAリーディングとなった。
※注(ただしこの当時のJRA賞の最多勝利騎手部門は、地方競馬の勝利数も含めていたため、岩田康誠が地方競馬での勝利数で上回りJRA賞の最多勝利騎手部門は逃している。この時の結果が分かりにくいとなり、以後は純粋にJRA主催の勝利数に改められるようになった)
2012年の6月2日にトゥザグローリーで鳴尾記念、6月3日にストロングリターンで安田記念、同日にストローハットでユニコーンステークスを制し、同一週で重賞3勝を史上初の記録を達成している。
(土・日・月の3日間だと戸崎圭太が2018年に達成しているが、2日間になると祐一だけである)
またこの年の夏の2か月間アメリカの西海岸に遠征し、デルマー競馬場などで騎乗している。
G1では牝馬のレースや牡馬の場合は短距離での活躍が多く、牡馬での中・長距離の勝利は日本ではなかったものの、2013年の10月20日にエピファネイアで菊花賞を制し、牡馬でのクラシック・長距離のG1を初勝利となった。
また翌週の10月27日にジャスタウェイで天皇賞(秋)を勝ち、古馬の中・長距離路線のG1も初勝利している。(海外では香港で中距離の2000mのG1、クイーンエリザベス2世カップを既に2度勝利していた)
これ以降では牡馬でG1(Jpn1)を勝利する事が増えてきた。
2013年は131勝し、再びリーディングとなりJRA賞の最多勝利、最多獲得賞金、この年から作成されたMVJの3部門を受賞した。
またこの年福永祐一は結婚した。相手はフジテレビの元アナウンサーで松尾翠である。
2017年7月15日、中京競馬場の8Rでキセキで通算2000勝を達成。武豊に次ぐ2番目での早さだった。
2018年5月27日に東京優駿(日本ダービー)をワグネリアンで勝利、キングヘイローに始まり数多くの馬に騎乗し19回目の挑戦での制覇となった。父の福永洋一もなしえなかったダービージョッキーになった。
9月の阪神競馬場でゴール入線後に落馬負傷で休養。頭蓋骨骨折、気脳症と周囲が心配する内容であったが、2週間後の船橋の日本テレビ盃で復帰するとケイティブレイブでこれを勝利し、同じコンビでJBCクラシックも勝利した。
この時の怪我の骨折について、正確には側頭骨骨折だったとスポーツ雑誌「Number」のインタビューで答え、改めて心配かけて申し訳なかったと語っている。
2020年、コントレイルで皐月賞を制覇し、この勝利でクラシック完全制覇をした。またJRA史上初、年齢制限G1完全制覇も同時にしている。(2歳のG1の3レース、NHKマイルカップ、秋華賞を含む)
さらに父、福永洋一との親子での皐月賞制覇と複数の記録の同時に達成となった。
なお皐月賞のレース後のインタビューによると、当初のレースプランとは違う中での達成だったようである。
同じ年の東京優駿をコントレイルで無敗で2冠を達成、福永祐一にとって2度目のダービー制覇となった。ウイニングランのあと無観客のスタンドに向かってヘルメットを外し馬上での敬礼をしていた。
夏は、サマージョッキーシリーズの3度目のチャンピオンになった。
同じ年の秋、菊花賞をコントレイルで勝利し史上3頭目の無敗での三冠馬となり、騎乗していた福永祐一は三冠ジョッキーとなった。
43歳での達成は歴代の三冠騎手としてはもっとも最年長での記録となる。またこの勝利で4人目のクラシック10勝目の記録ともなった。この2020年はキャリアハイの134勝を記録した。
2021年は天皇賞(春)をワールドプレミアで勝利し同レース初勝利をマークすると、日本ダービーはシャフリヤールに騎乗し、無敗の皐月賞馬エフフォーリアをハナ差で下し史上3人目の連覇を達成。日本ダービー3勝は現在5勝の武豊に次ぐ単独2位の記録となった。
9月19日、年間100勝を史上初の12年連続で達成した。この12年連続は福永祐一自身が記録していたものを更新した形である。
9月26日中京競馬場の4Rのドライスタウトに騎乗し、通算2500勝を達成した。
武豊、岡部幸雄、横山典弘、蛯名正義に次ぐ5人目の記録である。
またこの時の記念撮影の様子の映像が日刊スポーツの記者のツイートで公開されている。
2500勝達成の記念撮影 (日刊スポーツ記者@nikkan_ota)
2021年の12月香港国際競走の香港スプリントにピクシーナイトに騎乗しレースに挑んだが、4コーナーで先に転倒落馬した馬に巻き込まれ投げ出される形で落馬となった。事故発生直後はかなり不安を感じる映像であったが、その見た目よりかは軽度ですみ鎖骨の骨折はあったものの、搬送された病院で夫人と電話で会話をしたと安堵する報道がなされた。なお事故直後は自らの足で救急車に乗り込んだようだが、その時の自ら乗り込んだ記憶がなかったといくつかのメディアで伝えている。
2022年2月5日に中京競馬場のレースに騎乗と短期間で実践復帰し、メインのアルデバランSでノースヒルズの前田幸路オーナーの馬、スマッシングハーツで勝利している。
また2月20日のフェブラリーステークスでは、復帰後の重賞とGⅠを同時にカフェファラオに騎乗し勝利している。
同年12月、調教師試験に合格したことがJRAから発表となった。調教師の免許の有効期限は基本1月1日開始であるが、騎手の場合騎手免許の更新期限が2月末日まで有効のため、2023年の2月末日まで騎手生活を送ることとなった。これにより残る騎乗機会の可能性があるG1レースは2022年内の有馬記念などや2023年のフェブラリーSなどとなった。
ちなみにYoutubeで公開されている動画で、試験の合格発表の前に収録された内容で調教師に向けて秘めた思いを語っているものがあったりする。
【福永祐一騎手】夢についてや騎手について苦しいことや辛いことについて。ver.6(アスリートの声)
12月18日、阪神9Rの高砂特別のラヴケリーとの勝利で昨年に続いてのJRA年間100勝を達成。自身が記録していた年間100勝の記録を13年に更新した。
12月25日、ボルドグフーシュで有馬記念を2着とし、八大競走でこの有馬記念のみ勝利の記録がなかったが初連対となった。またこの2着によって、2022年現在のJRAで行われている平地GⅠの全24競走で連対経験の記録を達成した。この記録は武豊に次いで2人目である。
2023年2月4日、小倉競馬場で小倉競馬場での最終騎乗のセレモニーが行われた。引退が近いとはいえ特定の競馬場での最終騎乗に関してのセレモニーが行われるのは極めて異例である。
これに関しては師匠の北橋修二元・調教師が、同じ九州の鹿児島出身でこっちに来ないのか?と声を掛けられ、引退までに向かうとしたらここのタイミングだったと前日の3日の記事で語っている。
またセレモニーを代表して花束を渡した九州馬主協会の会表の小田切有一は、祐一の父で福永洋一の最後の騎乗となった毎日杯でのマリージョーイの馬主であったこともあり、息子が無事に騎手生活を終えられるということ等もあり今回行われた模様である。
2月19日JRAでの最終騎乗を東京競馬場で終えたことで、最終12Rのあとその東京競馬場で国内最終騎乗終了セレモニーが行われた。福永祐一騎手 JRA最終騎乗後インタビュー | (JRA公式Youtube)
国内最後の勝利はペリエールに騎乗し、ヒヤシンスステークスでの勝利であった。
そして海外遠征しサウジカップデーの現地の日時2月25日、日本時間では2月26日の1:45に行われたリアドダートスプリントでリメイクで挑み、日本馬最先着の3着が騎手生活最後のレースとなった。
3月4日阪神競馬場にて引退式を挙行。それに先立ち、阪神第11Rのチューリップ賞にて自身も新馬戦ならびに2018年の名古屋グランプリで騎乗して、現在は阪神競馬場の誘導馬になっているミツバに騎乗本馬場入場のエスコートをしている。尚その際に燕尾服にシルクハットで身を包んだ姿を披露した。
ちなみにこのミツバの馬主は協栄で、この祖母は師匠の北橋修二厩舎に所属していたゴールデンジャックなのだが、福永祐一にとって競馬学校の研修生の時から厩舎の馬の世話をしており、その1頭がこのゴールデンジャックでこの馬主は協栄(先代オーナー)で、縁のある馬での誘導馬騎乗であった。
その引退式はJRA公式Youtube等で中継された。その式には祐一の両親、福永洋一と裕美子夫人も駆けつけるサプライズもあった。 福永祐一騎手 引退式 | (JRA公式Youtube)
なおこの3月4日という日は、父の福永洋一が最後の騎乗となった毎日杯が1979年3月4日だったと言うこともあり、この日の引退式は偶然なのか、はたまた関係者のめぐりあわせでそういった形になったのか、いずれにしても祐一にとっても福永家にとても意味のある引退式となった。
騎手としてはJRAで通算2636勝(重賞160勝、GⅠ・34勝)、海外地方を含めると2719勝(重賞199勝、GⅠ級・45勝)であった。
祐一が初めてダービーに挑戦したのは前出のとおりキングヘイローが初めてであった。 血統背景や東京スポーツ杯3歳ステークス(現、2歳ステークス)を制し、東京コースにも合うと見込まれ、クラシック候補になったが、弥生賞で3着、皐月賞で2着となり1998年の日本ダービーでは14着と着外になった。
のちのインタビュー等で「緊張しすぎで頭が真っ白になっていた」と語っている。
この時に勝ったのはスペシャルウィークで武豊にとっての初の日本ダービーの勝利となった。
2003年は前年に、朝日杯フューチュリティステークスを勝っていたエイシンチャンプで弥生賞を勝ち、皐月賞で3着のあと日本ダービーに挑むも着外であったが、この年はもう1頭別の馬でもチャンスはあった。
福永祐一で新馬戦、白梅賞、きさらぎ賞と勝ったネオユニヴァースがいたのである。
エイシンチャンプとネオユニヴァースは同じ瀬戸口勉厩舎で、どちらでクラシックに挑むのか注目が集まったが祐一はすでにG1の朝日杯フューチュリティステークスを勝っていたことから先約があり、瀬戸口調教師と相談のうえでエイシンチャンプを選んでいた。
のちのインタビューで四位洋文にエイシンチャンプを選んだ事を聞かれているが、そのことについては悔いはないと答えている。
一方のネオユニヴァースは当時短期免許で来日していたM.デムーロが、外国人ジョッキーとして始めて皐月賞、日本ダービーを制する事となった。
2007年はテン乗り14番人気挑んだアサクサキングスで、直線の途中まで先頭だったものの2着になった。
この時先頭で駆け抜けたのはウオッカで64年ぶりに牝馬で勝つ記録であった。
2012年はワールドエースに騎乗し1番人気で挑んだものの4着となった。勝ったのはディープブリランテで騎乗していた岩田康誠は初勝利のみならず、前週のオークスは騎乗停止でジェンティルドンナに乗れなかった思いを晴らす形となった。
2013年はラジオNIKKEI杯2歳ステークスを勝っていて、皐月賞2着だったエピファネイアで挑んだものの、ゴール寸前にキズナに交わされて2着という結果に。
負傷で交代することになった佐藤哲三、引き継いで騎乗していた武豊自身も不調から復活への思いに屈する形となった。
このようにチャンスはあったものの頂点までは遠かったが、2018年についに掴むことになる。
前年に新馬、野路菊ステークス、東京スポーツ杯2歳ステークスを勝利したワグネリアンである。
年が明けて弥生賞、皐月賞と負けるがこの日は違った。
キングヘイローの時は頭が真っ白になっておもわず逃げる形になったが、この日はしっかりした考えで5番手に付け残り100m付近で皐月賞馬エポカドーロを交わし先頭で駆け抜けた。
悲願の勝利が平成最後のダービージョッキーという記録となり、デビューから騎乗し続け途中キングヘイローと同じように東京スポーツ杯も勝って、日本ダービーを制覇と当時の思いを払しょくするかのような形となったり、レース後のインタビューで「福永家の悲願でした」と答えるように、様々な思いが重なった結果19度目の挑戦での日本ダービー制覇と考えるのは筆者の考えすぎだろうか。
2023年3月4日に騎手としての引退式を阪神競馬場で行った後は、技術調教師としてセリの参加や他の厩舎で様々なことを学ぶなどを行っていた。12月18日にJRAから厩舎開業日の発表があり、開業は2024年3月6日(水)との案内がなされた。また初年度は18馬房になるとのことである。福永厩舎の管理馬をJRAのレースに最も早いタイミングで出走できるのは2024年3月9日(土)となった。
その2024年3月9日のレースに向けて出馬投票を行ったが当初はフルゲートの都合で抽選で除外の可能性もありつつもこれを突破し、阪神競馬場の11Rコーラルステークスを武豊を背にレオノーレの出走が初出走となった。そしてレースでは先頭でゴールか?という所を寸前で交わされハナ差の2着であった。
厩舎開業直後ということもあり、所属騎手は2024年の段階ではいないが、福永厩舎の競走馬を日常的に調教に関わっている騎手は小沢大仁騎手、小崎綾也騎手の2名であることは明かされている。
その厩舎初勝利は4月7日福島競馬場の8Rに出走したマルカブリッツで、騎手は厩舎の調教にも乗っている小沢大仁での勝利だった。特別競走の初勝利は同じ日の阪神競馬場の10Rダイワスカーレットカップに出走したエーデルブルーメで、騎手は仲の良い川田将雅での勝利であった。
同年の8月18日のCBC賞(GⅢ)を調教師として勝利、重賞初制覇した。管理馬はドロップオブライトで騎乗していたのは幸英明であった。
日本騎手クラブ(JRA騎手の組合)の副会長および関西の支部長を2010年から引退する2023年まで兼務し、会長は武豊、もう一人の副会長は北村宏司、相談役は柴田善臣、関東の支部長は戸崎圭太、関東の副支部長は田辺裕信、関西の副支部長は和田竜二らとさまざまな意見をJRAや調教師、馬主やメディアなどに出したあったり、騎手とファンとの集いの企画等の活動をしていた。
2010年から春に高知競馬場で行われている「福永洋一記念」では祐一が協賛金の提供などを行っている。詳しい経緯は父、「福永洋一」および「福永洋一記念」の記事より。
また競馬ゲームが好きなようで、時間があれば実際の競馬のレースの合間でもジョッキールームでプレイして周りから呆れるほどである。
この競馬ゲームが好きが縁でジョッキーゲーム、「ジーワンジョッキー(G1ジョッキー)」シリーズ(現・チャンピオンズジョッキー)の、手綱などの動きの部分について開発アドバイザーを務めたことがある事を福永洋一記念のイベントトーク(sm33158007)で述べている。
実は祐一は平地の免許と障害の免許をどちらも取得しており、毎回免許更新し続けていた。とは言うもののデビューから引退まで一度も障害レースに騎乗した事は無かったりする。
2016年7月から川田将雅と共に、妻も所属している大手芸能事務所のホリプロとマネジメント契約を締結。先行して同社と契約した藤田菜七子と度々メディアやイベント等で共演しており、競馬の更なる普及に努めている。
近年は引退した競走馬の行き先などの支援に競馬サークル内からも支援があるが、福永祐一も支援者のひとりとして関わっている。
その中の支援を行っている事業の1つ、TCCJapan(日本サラブレッドコミュニティクラブ)の代表者が義理の弟でその妻が、福永祐一の実の妹である事も支援に力を注ぐ理由だったりする。
ちなみにトレセン等でTCCの帽子を被って、インタビューを答えていることがあったりする。
2001年〜2007年の間で、小倉競馬場のフェニックス賞を5連勝を含む6勝2着1回の成績があり、一時期ミスターフェニックスやフェニックス男と呼ばれてる時期があった。近年は夏競馬は新潟競馬場で騎乗する事が多いが、かつては小倉競馬場で騎乗が多かった。これは師匠の北橋修二や北橋修二と仲の良かった瀬戸口勉が九州出身だったからというのもある。
フリーになった後の2007年から藤原英昭調教師の門をたたき馬の調教を付けながら、騎乗技術を見直すことになった。藤原師の弟が祐一が所属していた北橋厩舎の調教助手だったことの縁で訪れることとなった。藤原師は馬術の経験があったためそれを取り入れようとなった。
また2010年頃に専属のコーチ・アドバイザーも付けてみたいと藤原厩舎に話し、当初は岡部幸雄に持ちかけようとしたが、知っている人よりも思い切った考えを持った人の意見を取り入れたいと考えている時に、角居勝彦調教師(現在は勇退)に紹介されたのが現在の小野雄次コーチである。
このコーチは欧州の騎乗技術の知識について長けていたが、実は乗馬などを含めて馬に乗ったことはほぼ皆無だった。そのため他の騎手にはまったく相手にされなかったが、祐一は逆に面白いと受け入れることとなった。
ちなみに藤原厩舎の勝利数のうち祐一が騎乗し勝った数がダントツで、その中にはミスターメロディーの高松宮記念やシャフリヤールの東京優駿もあったりする。
2021年、関西テレビの競馬番組のカンテレ競馬【公式】YouTubeチャンネルにおいて、天皇賞(春)から有馬記念まで10回ほど「教えて!福永先生」という動画が公開となった。枠順発表の前の収録で、騎手の立場の範囲内として話せる、本命◎や対抗〇といった直接の予想行為にならない、あくまでも展開の見立てを語る動画であったが、天皇賞(春)、東京優駿(日本ダービー)では見立て通りの展開となり、多くの反響があった。
ちなみに、その年の1月のnetkeibaTVが公開している動画で、田中将大、福永祐一、松山弘平の3者の対談の動画内で2021年はYoutuberをしてみたいと語っており、ある意味でかなったのかもしれない。
福永祐一は騎手の成績で顕彰者に選定される要件を成績面で満たしており、2023年の2月末日に騎手免許を返上後5年経過した後に、既に選定されている父の福永洋一と並び親子2代で選定される見込みである。
(2015年からの騎手成績での選定条件は、JRAで概ね2000勝以上、G1を10勝以上、リーディングなど顕著な記録がある、免許返上後5年を経過となっている) 顕彰者の選定基準(JRA、PDF)
注1・2018年のJBC競走はJRAの京都競馬場での開催で、この年のJBC3競走はJRA主催のGⅠ級の扱いとなっている。
掲示板
643 ななしのよっしん
2024/10/06(日) 17:02:53 ID: KV61TMfFIk
>>640
キングヘイローの記事、今は見れるようになってるね。
何が原因だったのかは不明だけど
644 ななしのよっしん
2024/10/18(金) 05:15:33 ID: KV61TMfFIk
福永調教師の個人のインスタとは別に福永厩舎のインスタアカウントも開設されているので追加。
ちなみに厩舎の方のアカウントの管理者は元バレットの坪田さん。
この坪田さんはネット競馬でコラムを執筆されてる白浜騎手の奥様で以前に、福永さんのバレットに付いていたことや厩舎のスタッフに付くといった事を述べられていたことがあります。
645 ななしのよっしん
2024/11/09(土) 18:35:57 ID: c6Ls8F2YXp
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/23(木) 00:00
最終更新:2025/01/23(木) 00:00
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