高知競馬場とは、高知県高知市長浜宮田2000に所在する地方競馬場である。
ハルウララ号や堀江貴文所有のホリエモン号がいたことや、競馬漫画作品「たいようのマキバオー」(つの丸)の舞台として知られる。
以前は市街中心部の桟橋地区の埋め立て地に存在していたが、1985年に現在の場所に移転し、現在に至る。かつてはアングロアラブ(アラ系)限定の競走も存在していたが、2008年に廃止。同年から薄暮競走「夕焼けいば」、2009年からはナイター競走「夜さ恋ナイター」が通年で開始され、現在は年末年始を除く全開催がナイター開催で行われている。
おおむね4~12月は土日の連続開催、「黒船賞」「全日本新人王争覇戦」など中央交流のある時や年末年始、南関東地区のナイターがない年明けから春の初めまでは日曜と週1~2日の平日開催となる。
高知県と高知市で構成される一部事務組合「高知県競馬組合」が運営している。経営状態が芳しくなく、一度公費負担での債務解消を経験し、以降は「あと1回赤字が出た時点で即廃止」とされたこともあって、一時は全国の競馬場のなかで最安クラスの賞金・手当設定の競馬場として知られていた。地方競馬場の廃止が各地で相次いでいた頃は、廃止候補の代表格とささやかれながら、関係者の努力の成果でなんとか黒字を計上し続け、かろうじて存続を続ける時期が長く続いた。
現在は発売日・時間帯は限定されるものの、JRAのIPATからも購入可となっており、中央で痛めつけられた馬券師達が癒しを求めてIPAT経由で購入するケースが増えた。当初は中央終了後~IPAT購入終了の時間帯のレースの売り上げが急激に伸びていたが、その後IPAT発売時間帯以外でも売り上げは急回復傾向を見せる。これを踏まえてIPAT発売を重視する開催日程調整などを行ったこともあり、景気回復で底を打った地方競馬の中でも出色の単年度収支改善を達成した(2017年度からSPAT4でも全レース販売となったことも大きい)。また、JRAのレースを高知競馬の施設で販売する「J-PLACE」化にも積極的で、本場がナイター開催で時間帯がかぶるレースが少ないことから「パルス高知」以外の本場・場外で全レース販売を行っている。
これに呼応して、賞金や手当も徐々に回復傾向を見せ、最下級競走の1着賞金は一時9万円にまで切り詰められたのが、2013年度より10万円、2016年度には12万円、2018年度からは16万円となったがこれも連闘馬限定戦のみ(2021年現在は20万円)で、通常編成の最下級レースは2021年時点には50万円にまで増額されており、地方都市の地方競馬としては十分なレベルにまで改善。
2013年ごろからは関係者からも廃止に怯える状況が遠のいたことを裏付ける明るいコメントが聞かれるようになっており、近年は大規模な施設改修に取り組むなど徐々に攻めに転じている。LEDゲートビジョンの導入やスタンドの大幅改修、高精度測位技術によるラップタイム、上り3ハロンの可視化など、近年の設備の充実度は南関東に引けを取らない。
コースはダート走路、周長1100m、コース幅22~27m、ゴール前直線200m。3・4コーナーが曲率の緩やかな卵形の楕円形コースで、最大で12頭(マイル戦は11頭)出走できる。なお、高知は雨が多い土地柄な上、コースの水捌けが悪いと公言されている状態にあり、その結果、開催の大半が馬場に水分を含んだ重馬場か不良馬場で行われることが大変多い。このため、良馬場、稍重馬場のデータが薄いこともあってか馬場が良い方が結果が荒れるという不思議な特性をもつ。
単勝・複勝・枠複(出走馬が9頭以上のレースのみ2012年9月発売再開)・馬複・馬単・ワイド・3連複・3連単の8種類の馬券を発売しており、枠番連単式は他場開催のみ発売。入場料は100円(ただし、1レースより前に場外発売している場合は場外発売のみの時間帯に入場すれば無料)。なお、特別観覧席は400円(入場料別)と格安である。※コロナ対策期間中は入場無料
重賞競走として、高知競馬唯一のダートグレード競走である「黒船賞」(JpnⅢ)をはじめ、JRAの福永祐一騎手の父であり、高知出身でもある往年の天才ジョッキー・福永洋一氏の功績を讃えて創設された「福永洋一記念」、「黒潮スプリンターズカップ」(地方全国交流)、「高知県知事賞」(大晦日に行われる高知最長距離(2400m)の重賞)、「高知優駿(黒潮ダービー)」(2017年よりダービーシリーズ構成競走となり地方全国交流化)等がある。厳寒期には重賞の1着賞金が高知県知事賞135万円、古馬重賞50万円、2・3歳重賞に至っては27万円という競馬の賞金とは思えないレベルになっていたが、現在は少なくとも300万円、黒船賞を除いては最も格式ある「高知県知事賞」は2021年よりバブル期のピークをも越えた1着賞金1,600万円というビッグレースとなっている。
また、福山競馬場との交流を行っていた時期には「中四国連携競走」として相互に交流重賞を設定していたが、福山の廃止によって取り組みも自然消滅となった。なお、福山競馬場が実施していた「大高坂賞」は2013年度より高知の重賞として実施される。また、2013年度からは、一部の特別競走を「準重賞」に格上げしている。
若手騎手の活躍の場を増やす取り組みも行っている。1986年から行われている、中央・地方の免許取得3年以内の騎手が1度だけ招待され、「新人王」の称号を賭けて争われる「全日本新人王争覇戦競走」も恒例のレース。2013年にはこのレースの三連単の配当が500万円を超える高配当をマークした。現在もJRA・地方競馬の若手騎手が通年レースで腕を競う「ヤングジョッキーズシリーズ」と共に健在。
これとは別に個人で1万円を支払うことで橋口アナPにうっとりさせてもらえる権レースに協賛できる「個人協賛競走」も設定されている(冠協賛レースシリーズの記事を参照)。なお、以前は1人で何レースも協賛できるジャック的なことも可能であったが、2020年度からは申込者1人につき1開催日1レースの協賛となっているので注意。
かつては地方競馬の他場で行われる交流競走への出走がやたら多いことで知られた。長年賞金・手当が低かったこともあり、交流競走へ出走した方が賞金や手当ての低い自場よりも(たとえ結果が残せなくても)割に合うという側面があったとされ、かつては、出て回って帰るだけの馬も多かった。しかし、最近は中央で実績のあった馬が移籍することもあり、馬券に絡んだり、勝つケースもみられるようになった。なお、交流競走で勝負になる馬の場合、高知所属でも地元で走るのは年に数回と言うケースもある。近年は自場で十分稼げるようになったこともあり、無理して遠征するケースは減少している。
10歳を超える高齢馬や一見引退するような脚元不安を持つ馬でもふつうに出走する競馬場である。もともと他場で勝負にならなくなった移籍馬が大半を占めていた事情もあり、馬の格付けを近2年の成績だけで算定して現状の実力を反映させる仕組みになっている。また、馬齢による引退制度がないことから、走れる限りいつまでも走ることができ、また、砂が深く脚にやさしい馬場や、脚元不安馬、高齢馬に対応するノウハウが培われているとされる。また、特に高齢馬は現役を続けられるぐらい丈夫だったり実力がある馬ばかりなので決して侮れない存在であり、中央や地方他場で頭打ちになっても高知で再び甦ったケースは数多くある。
記録のはっきりした時代以降の最多出走記録馬の上位陣の最終出走地は高知が多い。最多記録1位のセニョールベスト号は出走回数が409戦をかぞえ、2位のミヤマリージェント号とともに15歳となった2014年まで高知で現役であった。
逆にJRA認定競走がない事情もあってかつては新馬の入厩が皆無に近く、早い段階で移籍してくる2歳馬は、同年代の馬の数が揃うまで、百戦以上こなした10歳を超える古馬とも対戦する光景がふつうに見られた。また、3歳も他場よりも頭数が集まらず、レース編成が硬直化してしまうことから、2・3歳馬は一定賞金以上を獲得した時点で重賞以外の2・3歳限定戦から強制卒業となり、あとは古馬レースに出るようになる。ただし、3歳の上位馬なら古馬相手でも互角以上に渡り合うケースも珍しくなく、場合によっては2歳馬でも古馬を負かすこともある。
一方で、2015年度から(当時としては)重賞並みの賞金を出す新馬戦の実施や、各種ボーナス賞金の贈呈など、2歳新馬の入厩を増やす取り組みが始められ、初年度のディアマルコ、2年目のフリビオンと立て続けに3歳の地方交流重賞に遠征して勝利する実力馬が登場。近年は安定して高知デビューの馬も一定数登場して2歳戦が安定して組めるようになったことから、2歳馬が古馬と走るケースはかなり少なくなった。
高知競馬独自の試みとして、多くの開催日での最終レースは「一発逆転ファイナルレース」の競走名で施行されており、指定されたクラス内にいる馬の中から記者選抜により出走馬が選抜されレースが行われている。ただし、選抜馬達は揃いも揃ってほかのレースなら買い目から真っ先に外される低迷馬ばかりが敢えて選ばれている。このため、「馬で予想しようにも決め手がまったくない」、「騎手で予想しようにも騎手の実力でもカバーできない馬ばかり」と難解を極め、結果、一発逆転可能な高配当が生まれやすいレースとなっており、2014年3月には三連単の配当が600万円を超える高知競馬史上最高配当をマークしたのもこのレースであった。(なお、この三連単最高配当記録は2022年12月10日の第8レース・チェンサバ特別で塗り替えられている(727万3960円))
高知競馬は、もともと少頭数立てのレースが多く、また、実力差がはっきりしたレースもしばしばみられるなど、地方競馬の中でも特に堅い決着になるイメージが強く、馬券妙味に欠けるとされていたため、それを補うために敢えて超難解レースを最終レースに組んで名物としたものである。高配当の旨みだけでなく、普段は成績下位の騎手が強い競馬を見せたり、ずっと掲示板にすら載らなかった馬が突如1着になるなど、ファンに不思議な感動を呼ぶレースとなることも多い。また、配当金の払戻率の自由化に合わせ、2014年6月から最終競走(「一発逆転~」でなくても適用)の三連単のみ払戻率が77%(通常72.5%)に引き上げられる試みも行われている。
今や高知競馬だけでなく地方競馬の名物レースとしてすっかり定着しており、開催日の競馬界全体における最終レースとなることもあってか、このレースだけで1億円を超す売上をマークすることがもはや日常というような状況になっている。
なお実力差が見極めにくいクラス替え直後など、時折記者選抜が行われないこともあり、その時は単に「ファイナルレース」というレース名になり上記の傾向にならないこともあるので、出走表に「記者選抜」ないし「一発逆転」の文字があるかどうかの確認が必要である。
高知競馬は古くから地方競馬の最底辺という位置づけではあったが、それでもスターホースが現れる事があった。
かつての高知では馬産が営まれており、南関東あたりでならした名馬が種牡馬入りを見据えて顔見せも兼ねて走るケースがあった。
そうした馬の中で最大の大物が、ヤシマナシヨナルである。
1969年の東京大賞典優勝、啓衆社の選ぶ公営日本一(現在のNAR年度代表馬に匹敵)を受賞、宇都宮競馬で斤量76キロでの勝利という今後も破れられないだろう日本記録を樹立した昭和40年代を代表する名馬であった。
高知でも記録に残る限り負け無しの大活躍であったが、引退を目前にした1973年1月27日、厩舎火災によって命を落とした。
また、アングロアラブの走っていた時代は高知にも全国区の馬が現れる事があった。その最たる例がイチヤである。
1994年にデビューし、重賞3勝を記録する一方で当時アラブ競走の最高峰に位置づけられていた園田の楠賞に出走、その後上山競馬に500万円と伝わるトレードマネーで移籍。当地でもトップスターとして重賞を総なめにした。
移籍組だとハッコウマーチが有名である。
デビューした園田では芽が出なかったが、1995年に高知でデビューすると当時の日本記録タイである26連勝をマーク。2着を挟んで連勝して佐賀に遠征し、アラブ大賞典で優勝。続く高知での開設記念競走2着を最後に引退し、種牡馬入りの快挙を達成した。
この辺りまで高知競馬もレベルはともかく景気が良かったが、バブル崩壊と共に我々の知る高知競馬に近づいて行き、活躍馬は途絶える。
そんな中、久々に他地区へ打って出たのが1998年に初の高知三冠を達成したカイヨウジパングである。
高知出身馬として初めてのGI挑戦としてダービーグランプリへ遠征し、長距離の移動、盛岡から水沢への会場変更の上でのレース延期というハンデを負いながら6着。黒船賞でも6着に入った。
しかし、その後は中津競馬に移籍して廃止と同時に引退。その後の顛末は恐らく、想像の通りであろう。
高知競馬の廃止がほぼ目前に迫る中、中央で1戦して移籍してきたのが「高知の怪物」イブキライズアップである。
左前脚に不安を抱えていたものの関係者の尽力で走れるようになり、初戦は3着に終わったもののそこから怒涛の18連勝をマーク。佐賀のサマーチャンピオンに遠征して6着に敗れて連勝は止まり、その後低迷したものの高知県知事賞を優勝。
しかし、その後競走中の事故で骨折、何とか命は助けようとした関係者の尽力むなしく予後不良となった。
「負け組の星」ハルウララがマスコミに注目されたのはあの橋口アナPがイブキライズアップの抱き合わせでマスコミに売り込んだ結果であり、本当に高知競馬を救ったのはイブキライズアップと言うべきかもしれない。
ハルウララが去った後の高知競馬は再び苦境に陥るが、中央から屈腱炎により除籍された「高知総大将」グランシュヴァリエが中央三勝という破格の実績を伴って移籍してくる。
雑賀厩舎に移籍したグランシュヴァリエはリハビリの後、ケアを行いつつ全国を飛び回って強豪の集まるレースに参戦し続け、高知競馬のイメージアップに貢献する。結果、もう一度赤字を出せば即廃止という崖っぷちの高知競馬の収支に黒字をもたらして見せた。グランシュヴァリエは2015年まで走り、引退。引退後は2年間のみだが高知所属の馬としては本当に久しぶりの種牡馬として活動し、産駒の内の一頭は高知優駿(高知版ダービー)の勝馬となった。現在は北海道で乗馬となっている。
グランシュヴァリエの登場以降高知競馬のレベルはナイター開催とネット投票の普及で売り上げが上がるとともに目に見えて向上し、2015年には長く行われなかった新馬戦が復活。
その久しぶりの新馬戦を制した牝馬がディアマルコである。
3歳のシーズンから積極的な遠征を展開し、園田と東海を中心に重賞戦線を荒らしまわり、兵庫サマークイーン賞3連覇を筆頭に重賞9勝を記録。2018年にはNARグランプリ4歳以上最優秀牝馬のタイトルを獲得。引退後は繁殖入りし、2021年には福山の王者カイロスとの初仔が誕生。
2020年代に入るとダート長距離の地方全国交流を渡り歩くグリードパルフェ、その後継になるであろう高知優駿馬のガルボマンボと芦毛の活躍馬を輩出。そして生え抜きの高知三冠馬ユメノホノオも登場し、南関東勢に挑める実力を持った馬も揃いつつある。2024年からは栃木の地方競馬教養センターが3歳世代の他地区への外厩として開放されるため南関東への遠征もしやすくなることから、更なる高知所属馬の活躍に期待が懸かる。
JR高知駅より約10km、高知空港より約20km。2009年に一旦無料送迎バスの常時運行が廃止されていたが、2013年4月末から1往復ながら無料送迎バスの常時運行が再開されている(現在の運行区間はJR高知駅~南はりまや橋~高知競馬場)。時間が合わない場合は、自家用車、路線バス(本数、時間帯が限られているのでダイヤを調べておくこと必須)、タクシー等を利用するとよい。裏技としては高知市街地から長浜地区、横浜地区へ向かうバスに乗り、そこからタクシーへ乗り継ぐという手も有効。この場合なら出費は片道1000円ほどに抑えることができる。
路線バスはかつては競馬場から少し離れた競馬場北口というバス停から歩く必要があったが、JRA場外発売利用者向け?なのか土休日は競馬場に乗り入れるようになり、来場のために歩く必要がなくなった。
ニコニコ動画は古くから高知競馬場で行われた「痛レース」の個人協賛競走の成果発表の場として活用されており、そこで橋口アナPからの絶妙のコメント返しに好印象のコメントが数多く寄せられるなど、もともと高知競馬場とニコニコ動画との親和性は高かったが、2017年12月12日の開催より、ついに「ニコニコ競馬チャンネル」での全レース中継に加わることが発表された。現在ではYouTubeでも中継を配信しており、馬券対決番組の「ヨルノヲケイバ」も同時に配信中。
もともと個性的な人、馬、出来事が多いこともあってコメントも毎回盛り上がりを見せており、「一発逆転ファイナルレース」のファンファーレの際には重賞でもないのにコメント弾幕で画面を埋め尽くすのが定番となるなど、お約束的なものも早々に生まれるなど定着している。
個人協賛競走
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最終更新:2024/12/02(月) 10:00
最終更新:2024/12/02(月) 10:00
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