妙荘厳王本事品は、法華経の品(章)の1つである。
法華経の漢訳の中で最も人気のある『妙法蓮華経』では妙荘厳王本事品二十七という。法華経のサンスクリット語原典の『サッダルマ・プンダリーカ』ではシュバ=ヴューハ・ラージャ・プールヴァヨーガ(シュバ=ヴューハ王の前世の因縁)という。
妙法蓮華経において本事とは「前世の因縁」「前世の物語」といった意味になる。
はるか昔に、雲雷音宿王華智仏という仏陀がいた。その仏陀が治める仏国土に妙荘厳王(シュバ=ヴューハ・ラージャ 浄らかに荘厳された王)という者がいた。妙荘厳王には浄徳という王妃がおり、浄蔵と浄眼という2人の王子がいた。
浄蔵王子と浄眼王子は仏教徒であり、菩薩の修行をして様々な神通力を身につけていた。
雲雷音宿王華智仏が法華経を説いたので、浄蔵王子と浄眼王子が浄徳王妃に向かって「一緒に雲雷音宿王華智仏のところに行き、法華経を拝聴しましょう」と誘った。それに対して浄徳王妃は「あなたたちの父親の妙荘厳王は仏教を信じておらず、バラモン教を信じているので、あなたたちが雲雷音宿王華智仏のところへ行くことを許可しないでしょう」と語った。
浄蔵王子と浄眼王子は「私たちは誤った教えを信じる一家に生まれつきましたが、しかし、仏教の信奉者です」と語った。
浄徳王妃は浄蔵王子と浄眼王子に対して「あなたたちは、父親の妙荘厳王が誤った教えにとらわれていることを気の毒に思うのなら、何か奇蹟を起こしなさい。そうすれば妙荘厳王は、あなたたちが雲雷音宿王華智仏のところへ行くことを許可するようになるでしょう」と語った。
そこで浄蔵王子と浄眼王子は妙荘厳王の目前で奇蹟を起こした。空中に浮遊して空中を歩き回り、下半身から水の奔流を出しつつ上半身から火を放ち、あるいは上半身から水の奔流を出しつつ下半身から火を放ち、巨大化したり縮小したり、姿を消したり姿を現したりした。浄蔵王子と浄眼王子がこのような奇蹟を示したので、妙荘厳王は仏教を信じる心を起こした。
妙荘厳王が浄蔵王子と浄眼王子に対して「誰から教えられたのか」と質問すると、浄蔵王子と浄眼王子は「雲雷音宿王華智仏から教えられました」と答えた。妙荘厳王は「雲雷音宿王華智仏に会いたい」といったので、浄蔵王子と浄眼王子は母親の浄徳王妃に向かって「私たち2人が出家して雲雷音宿王華智仏に仕える僧侶になることをお許しください」と言い、浄徳王妃は2人の出家を許した。
浄蔵王子と浄眼王子と浄徳王妃は仏道修行をして神通力を発揮するようになった。そのため妙荘厳王も影響され、仏教を深く理解するようになった。
浄蔵王子と浄眼王子と浄徳王妃と妙荘厳王は、数多くの側近を引き連れて雲雷音宿王華智仏のところに行って礼拝した。それに対して雲雷音宿王華智仏は教えを与えたので、妙荘厳王は弟に王位を譲って出家した。
妙荘厳王は浄蔵王子と浄眼王子に感謝し、「この2人の王子は、自分にとって教師であり友人である。2人の王子のおかげで誤った教えから解放された」と語った。
妙荘厳王と浄徳王妃は、雲雷音宿王華智仏を礼拝して、真珠の首飾りを空中に投げて供養した。すると、真珠の首飾りが一瞬にして宝塔に変化した。その宝塔の中には仏陀の姿が見られた。このような奇蹟を見た妙荘厳王は、改めて仏陀の智慧と神通力に対して心服した。
雲雷音宿王華智仏は妙荘厳王に対して「将来において仏陀になる」と予言した。
妙荘厳王は転生して華徳菩薩になり、浄徳王妃は転生して光照荘厳相菩薩になり、浄蔵王子と浄眼王子は転生して薬王菩薩と薬上菩薩になったという。
この品では「異教徒に対して布教をするときは奇蹟を示すべきである」という教えが語られている。異教徒に対して難しい教理を説くことを避け、見ていてわかりやすい奇蹟を示し、奇蹟のインパクトで布教をするのである。
大航海時代のキリスト教・カトリックのイエズス会が中国や日本に来て布教をするときどうしたかというと、優勢な科学技術で作られた工芸品を見せびらかしたり、科学技術を教えたりして、ある種の「奇蹟」を見せつける手法を多用した。中国においてマテオ・リッチは科学技術の知識を総動員し、世界地図や地球儀を贈呈したりユークリッド幾何学の入門書を書いたりしてキリスト教を布教した。日本においてフランシスコ・ザビエルは望遠鏡・眼鏡・時計を持ち込んで大名の歓心を得てキリスト教を布教したし、ルイス・フロイスも地球儀や時計を織田信長に献上した。
法華経の妙荘厳王本事品において、奇蹟を起こして異教徒への布教をしたのは浄蔵王子と浄眼王子である。空中浮遊をして水や火を放つなどの分かりやすい奇蹟を起こし、そのインパクトを利用して布教している。
浄蔵王子と浄眼王子は薬王菩薩と薬上菩薩に転生するのだが、どちらも「投薬による治療」という奇蹟に近い行為を象徴する菩薩である。
この品において、浄蔵王子と浄眼王子が両親に対して「雲雷音宿王華智仏に会いにいきましょう。仏陀に会うことは非常に難しく、一眼の亀が水中に浮かぶ木の穴に入りこむのと同じぐらいに難しいことなのです」と語った。このたとえ話は、盲亀の浮木と呼ばれるものである。
『阿含経』という経典に盲亀の浮木の寓話が書かれており、『阿含経』よりも後代に成立した法華経にも取り入れられた。日本では、めったに発生しないことを示す慣用句の1つとなり、辞書に載る表現となった。
サンスクリット語原典の『サッダルマ・プンダリーカ』と『妙法蓮華経』は、一部で順番の違いがある。本記事のあらすじは『サッダルマ・プンダリーカ』に合わせている。
『サッダルマ・プンダリーカ』では、妙荘厳王と浄徳王妃が真珠の首飾りを投げて供養するシーンと、雲雷音宿王華智仏が妙荘厳王に対して「将来において仏陀になる」と予言するシーンがこの品の最後尾になる。
しかし『妙法蓮華経』では、それらのシーンが少し前に移動しており、妙荘厳王と浄徳王妃が真珠の首飾りを投げて供養して、雲雷音宿王華智仏が妙荘厳王に対して「将来において仏陀になる」と予言したあとに、妙荘厳王が弟に王位を譲って出家するという流れになっている。
この品において妙音菩薩品との共通点がいくつか見られる。
妙音菩薩品において、娑婆世界からみて東方に存在するとされる仏国土の名前がヴァイローチャナ=ラシュミ=プラティマンディター(太陽の光線によって飾られた土地)というもので、『妙法蓮華経』で浄光荘厳と翻訳されている[1]。そして妙荘厳王本事品において、大昔に存在したとされる仏国土の名前がヴァイローチャナ=ラシュミ=プラティマンディターというもので、『妙法蓮華経』で光明荘厳と翻訳されている[2]。
妙音菩薩品において仏国土が過去に存在したとされており、その仏国土が存在した時代の名前がプリヤ=ダルシャナ(眺めて快い)というもので、『妙法蓮華経』で喜見と翻訳されている[3]。そして妙荘厳王本事品において、仏国土が過去に存在したとされており、その仏国土が存在した時代の名前がプリヤ=ダルシャナというもので、『妙法蓮華経』で喜見と翻訳されている[4]。
以上のような共通点から、岩本裕は「本来、妙荘厳王本事品が妙音菩薩品に直接連続し、観世音菩薩普門品は後世の追加であることが窺われる」と論じている[5]。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/07(日) 00:00
最終更新:2025/12/07(日) 00:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。