平和主義とは広義には「争いを忌避し、平和を志向する思想」である。ここでは国際関係論における平和主義を解説する。
国際論における平和主義は戦争を憎み平和を愛する思想であるが、戦争が好きな人間なぞ滅多にいるものではない。より具体的に捉えるならば非武装主義、および自衛戦争も含めた全ての戦争に反対するスタンスと言える。日本は憲法9条で戦力の保持を禁止し、武力による国際紛争の解決を禁じているため平和主義憲法を呼ばれる。平和主義にも様々な立場があり、一つだけをとって平和主義全てを語るのは不可能である。
平和主義の対義語は「武力を用いた平和」を標榜する現実主義。周知の通り、現在の国際社会では現実主義が支配的な思想であり非武装主義の肩身は狭い。日本においても一部の平和主義者は自衛隊の存在を認めず、自衛隊の活動を妨害するなどの行動に出ることもあり、「平和主義」という言葉の穏当さとは相反して「理想主義すぎるだ」と嫌う者もいる。
絶対的平和主義とはその名の通り正当防衛も含めていかなる場合でも暴力を許さないとする立場である。代表的な絶対的平和主義者にはトルストイの名があげられる。仮に自分や家族が強盗に襲われたり、侵略国に国土が蹂躙されても武力による反撃をしない。こう聞くと宗教的な印象を受ける人も多いだろうが実際に絶対的平和主義は古代キリスト教を嚆矢とする思想である。「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ(マタイ)」の言葉に象徴されるように古代のキリスト教徒達はローマ皇帝に迫害されても反乱を起こすことはなかった。現在でもクェーカー教徒などは「殺すくらいなら殺される」という悲壮な覚悟を持って徴兵忌避する者もいる。
絶対的平和主義者は立派と言えるかもしれないが、それを国家経営に持ち込み国民にも絶対的非暴力を要求するのは難しい。そこで条件付き平和主義が登場してくる。古代から存在した絶対的平和主義に比べて条件付き平和主義は近代に生まれ、自由主義、社会主義、功利主義がその思想的基盤となっている。基本的に暴力には反対するが、一定の条件の元では許容する。その条件は当然その人、国の考えによって大きく変わる。例えば私的暴力は許容するが、公的暴力は禁止するというパターンもある。強盗に襲われて反撃するのは許されるが、侵略に対して防衛戦争をするのは許さない(ガンディー等)。またバートランド・ラッセルはあらゆる戦争に反対するがナチスとの戦いは許容すると述べている。
英語では絶対的平和主義をパシフィズム、条件付き平和主義をパシフィシズムと呼ぶ。両者を混淆して「戦争(暴力)に賛成する平和主義者」などと揶揄するのは間違っている。後者の場合は、軍拡競争に参加しないため経済的に得である、あるいは他国を刺激しないので国防上も有益であるという思想なのだから、条件が変われば戦争容認になっても別に変節したわけではない。暴力的なデモを繰り返す平和主義者というのも矛盾なく存在しえるだろう。両者とも非暴力を由とする思想であるが、非暴力が無抵抗を意味するわけではない。モハトマ・ガンディーの非暴力不服従(サティーアグラハ)が有名であるが、占領軍へのサボタージュやストライキなど非軍事的抵抗の手段は多く存在する。
侵略国に反撃するのを許さないというのは理不尽のように思える。しかし防衛戦争は様々な問題を孕んでいる。まず防衛戦争を許すと戦争の惨禍は際限なく広がってしまう。5世紀の神学者アウグスティヌスは、絶対的非暴力主義であった古代キリスト教徒達に「攻撃に対する反撃は正当なる戦争である(正戦論)」と説き、彼らをゲルマン人との戦いに駆り立てた。その結果、キリスト教は正戦(聖戦とは別概念)の美旗の下で多くの戦争を起こしていくことになる。
また一つの戦争が両国にとって防衛戦争に該当することも多い。聖地イェルサレムを巡る中東戦争や、イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争などなど。侵略戦争と防衛戦争を区別するのは客観的にも難しい。そして何より、人類史における多くの侵略戦争は「防衛戦争」のプロパガンダで始められてきたという事実がある。「我々は戦争を望んでいない。しかし敵が戦争を望んでいる」とお互いが喧伝する光景は近代に多く見られた。大日本帝国のアジア侵略も近衛文麿をはじめとした日本人にとっては防衛戦争であり、スターリンにとってフィンランドのカレリア奪取はナチスからモスクワを守るために不可欠な軍事行動であった。
また仮に専守防衛の精神を厳守していても、防衛のための軍隊は否応なく周辺諸国を刺激していく。A国が防衛のために軍拡すると周辺諸国それを不安に思い軍拡を始め、それを見てA国が更なる軍拡を始める。負のループである。実際に戦争が始まらずとも教育や医療に回すべき財源を軍事費に取られてしまい、国民の損失は計り知れない。
「でも、もし攻撃するつもりがないのならこの騒がしい戦争の準備は一体なんのため?」
「『平和を望むなら戦争の準備をせよ』と言うだろう。我々はただ用心のために戦争の準備をしているだけだ」
「では相手側はどうなのでしょう?」
「我々を奇襲するのが目的だな」
「でも彼らも私たちの攻撃を警戒しているだけだと言っています」
「それがあいつらの陰謀なのだ」
「でも彼らの言い分では陰謀を企んでいるのは私たちですわ」
「それはもっと軍備を進めるための口実にすぎん」
掲示板
69 ななしのよっしん
2024/08/16(金) 18:16:21 ID: qA0fj80Pn8
捨てちゃ駄目だろw
日本のアイデンティティなんだからw
まぁ自分でも「侵略者に従ったら侵略する側にまわるんじゃね?」と思ったけど、外国の指導者の命令で侵略するならオッケ!らしいから、ああなるほどと思った次第
今度は自分達が思い通りに出来る人間が新たに生まれるんだから、決してやられるだけじゃ無いってこった
平和主義サイコー
70 ななしのよっしん
2024/08/17(土) 10:11:37 ID: AiUNzqjtCE
そんなもんをアイデンティティにした覚えはないので捨ててOK
71 ななしのよっしん
2024/09/06(金) 19:56:10 ID: qA0fj80Pn8
いや日本の平和主義ってぶっちゃけ「日本は国家としての意志を持つな言いなりになれ」ってって事でしょ
この理屈だとXX年後日本は中国の傘下に入って侵略の片棒担いでも「日本は平和主義の国です」って胸を張れるんだからある意味この理念は最強だよ
実際日本が占領されて侵略の片棒担がされても「そりゃしょうがないわw」で済ませる奴が大多数だろ
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最終更新:2024/09/11(水) 04:00
最終更新:2024/09/11(水) 04:00
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