後鳥羽天皇(1180~1239、在位:1183~1198)とは、日本の第82代天皇である。諱は尊成。
承久の乱を起こした天皇として知られており、その当時院政を行っていたことから、歴史の教科書では後鳥羽上皇と表記することが多い。
百人一首99番の作者。高倉天皇の第四皇子で、安徳天皇の異母弟。
生後間もなく、父・高倉院を病で失う。平家一門が木曾義仲に追われて都落ちする際、安徳天皇と同母兄の守貞親王(後高倉院)が連れ去られてしまったため、京は天皇が不在という事態に陥り、朝廷は新たな天皇を即位させることが急務となった。彼には第三皇子である異母兄の惟明親王がいたが、尊成親王は利発で、後白河院によく懐いたことから、彼が数え4歳で天皇の座に就くこととなる。これにより、西国には安徳天皇、都には後鳥羽天皇と、南北朝時代に先駆けて2人の天皇が存在し、なおかつ三種の神器無しに即位するという異例な事態となった。なお、義仲は以仁王の子・北陸宮を天皇に推挙したため、後白河院と対立。これが原因で、義仲は後白河院と源頼朝の命を受けた源義経・範頼に討伐されることとなる。
1192年に後白河院が崩御すると後鳥羽天皇は親政を行うが、天皇の岳父となった土御門道親が九条兼実を失脚させて権勢を振るい、彼が本格的に政治の実権を握るのは通親の死後となる。この時彼は既に天皇の座を退き、院政を行っていたが、北面の武士を設置した白河院に倣って、後鳥羽院は自らの親衛隊である西面の武士を設置したり、村上天皇の御世に一度中断した和歌所を復活させ、藤原定家らに命じて勅撰和歌集「新古今和歌集」を制作させるなど、文武ともに精力的に活動した。
後鳥羽院は歴代天皇の中でも、特に多芸多才の持ち主だったと言われている。今様好きだった後白河院の御世に一時停滞気味だった、和歌の歌壇を再興させただけでなく、自らも優れた歌人であった。さらに管弦・書画などの芸能や、弓道・相撲・水泳などの武芸の才にも恵まれていた。彼が特に好んだのは刀剣の鍛造であり、お手製の刀を何本も臣下に与えたという。後鳥羽院は自身の衣服や調度品、刀に菊の御紋を付けたため、臣下は遠慮して菊の紋を使うのを止めるようになった。こうして皇室は菊の御紋として定着したのである。
当初、朝廷と鎌倉幕府との関係は安定しており、三代将軍・源実朝は後鳥羽院の従妹を正室に迎えている。しかし、実朝が公暁に暗殺されたことからこの均衡は崩れることとなる。実朝の死によって源氏将軍は三代で途絶えてしまい、鎌倉幕府は北条氏をはじめとする御家人が名実共に実権を握るようになった。これを警戒した後鳥羽院は(他にも内裏の建造費用や、後鳥羽院の寵姫の所領問題などが複雑に絡み合って)、1221年に執権・北条義時追討の院宣を出し、京都守護を攻略した。しかし、鎌倉幕府は北条政子の演説で一致団結した鎌倉武士団が京へ攻め寄り、わずか一ヶ月で朝廷方は敗北する。これが承久の乱である。
この乱により、後鳥羽院は隠岐へ流罪となり、子の順徳院をはじめ多くの貴族が重罪に処せられた。院は流される直前に出家したが、我が境遇を怨みながら、数え60歳で失意の内に崩御した。20年近い配流生活の間、後鳥羽院は和歌作りに勤しんでいたようで、その中でも「われこそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け」は超強気な和歌として知られる(負け惜しみに聞こえなくも無いが・・・)。彼もまた、崇徳院のように怨霊になったと言われており、四条天皇の不慮の事故死は彼の祟りだと噂された。その一方、島民からは慕われ、隠岐の住民からは今でも敬愛されている。
百人一首では「人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は」の和歌が選ばれている。天才肌だった分、後鳥羽院は気性の激しい性格だったらしく、同じく苛烈な性格だった藤原定家とは後年、険悪な関係になってしまったと伝えられている。この歌からは、朝廷をないがしろにする幕府との軋轢から、ストレスや心労で情緒不安定になり、思うままにならないこの世の中への不満や憤りが感じられ、後に承久の乱を起こす彼らしい作品である。なお、定家は百人一首選定の直前に編纂した「新勅撰和歌集」には、幕府に配慮して在任となった後鳥羽院や順徳院の和歌を載せておらず、その代わりに百人一首でこの歌を載せたと考えられる。敢えて院の境遇を嘆いた和歌を載せたことが、定家の罪滅ぼしだったのかもしれない。後鳥羽院の詠んだ和歌が再び取り上げられるのは、定家の子・藤原為家が編纂した「続後撰和歌集」になってからのことである。
掲示板
37 ななしのよっしん
2022/12/29(木) 02:18:08 ID: sAmVOKepOV
38 ななしのよっしん
2023/07/11(火) 00:45:39 ID: L1owLYtlyX
>>36
権威を裏付けにした権力がギリギリ保てていたのがついに崩壊したのがこの代よね
これ以降は実力が無いっていうのが露呈して後醍醐天皇みたいな強烈な行動力でも持ち合わせていない限りは
天皇だろうが上皇だろうが朝廷全体が時の実力者の神輿と化すことに
39 ななしのよっしん
2024/04/09(火) 22:27:08 ID: PF+mFf8hMa
勝ったとしても他の武家に北条の代わりをやらせなければいけないし、それができる人なら最初から権威と餌で北条かそれにとって代わろうとする武家を上手く利用するだろうね。
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最終更新:2024/11/13(水) 04:00
最終更新:2024/11/13(水) 04:00
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