思想・良心の自由 単語

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シソウリョウシンノジユウ

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思想・良心の自由とは、日本国憲法第19条で保障されている基本的人権である。思想・信条の自由ともいう。

概要

思想・良心の定義

思想・良心は人の内心領域における精神作用のことをす。

良心は倫理的側面に関わるもので、思想は倫理的側面以外の側面に関わるものである。ただし、日本国憲法第19条において思想と良心を一括して保障しているので、思想と良心を区別して論ずることに特別の意味は[1]

思想・良心の自由とは、人の内心領域における精神作用について、政府などの権力によって妨されないことを意味する。

思想・良心は人の内心領域における精神作用であるが、それをさらに詳しく定義する学説は2つ存在する。1つは限定説・信条説・人格核心説と呼ばれるもので、「思想・良心とは、宗教上の信仰に準じる世界観・人生観・義・信条など個人の人格の核心を形成するあらゆる精神作用を含むが、単なる事実の知・不知のような事物に関する是非弁別の判断は含まない」というものである。もう1つは広義説・内心説と呼ばれるもので、「思想・良心とは、個人の人格の核心を形成するあらゆる精神作用に加えて、単なる事実の知・不知のような事物に関する是非弁別の判断を含み、内心領域における精神作用をすべて含む」というものである。

日本国憲法第19条

思想・良心の自由の保障を示したのが日本国憲法第19条である。

日本国憲法第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 

精神的自由の母体

思想・良心の自由は精神的自由体をなすものである。思想・良心という内面的精神作用が外部に向かって表現されるときには日本国憲法第21条で保障される表現の自由の問題になり、内面的精神作用にとどまるときでも宗教的方面に向かえば日本国憲法第20条で保障される信教の自由の問題になり、内面的精神作用にとどまるときでも論理的・体系的知識の方面に向かえば日本国憲法第23条で保障される学問の自由の問題になる[2]

信教の自由の「内心における信仰の自由」との共通性

思想・良心の自由とよく似たものは、信教の自由の「内心における信仰の自由」である。

諸外憲法では「信教の自由を認めて『内心における信仰の自由』を保障すれば思想・良心の自由を保障することになるので、あえて思想・良心の自由の条文を書かなくて良い」という考えのもと、信教の自由を保障する条文だけを書いて思想・良心の自由を保障する条文を書いていないものが多い。大日本帝国憲法においてもその考えがあり、第28条で信教の自由を保障するだけで思想・良心の自由を保障する条文は省かれていた。

日本国憲法では、信教の自由を保障する条文があるにもかかわらず、思想・良心の自由を保障する条文をわざわざ挿入してある。1945年7月26日連合から日本へ発せられたポツダム宣言の第10条で「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」とされており、それを受諾したためである。また、戦前戦中の思想弾圧の反省もあったとされている[3]

私人への適用

政府が採用試験において思想の有を尋ねたり、思想を理由として採用を拒否したり、思想を理由として職員を解雇したりすると、憲法第19条違反とされてそれらの行為が効化される。

一方で、政党や民営企業労働組合や私立学校宗教団体といった私人が、採用試験において思想の有を尋ねたり、思想を理由として採用を拒否したりしたとする。その場合、日本裁判所は、私人間効力論の直接適用説を採用していないので憲法第19条を直接的に適用しないし、「社会的許容性の限度をえておらず、民法第90条の適用を通じて違とするほどのものではない」と判例に従って判断する[4]

また、政党や民営企業労働組合や私立学校宗教団体といった私人が、思想を理由として職員を解雇すると、労働基準法第3条違反とされてその行為が効化される。

以上のことをまとめると次のようになる。

私人政党や民営企業労働組合や私立学校宗教団体) 政府地方公共団体公営企業学校
採用試験で思想の有を尋ねる 社会的許容性の限度をえておらず、民法の適用を通じて憲法第19条違反とするほどのものではない 憲法第19条違反
思想を理由として採用しない 社会的許容性の限度をえておらず、民法の適用を通じて憲法第19条違反とするほどのものではない 憲法第19条違反
思想を理由として解雇する 労働基準法第3条違反 憲法第19条違反

 

思想・良心の自由の保障

思想・良心の自由は絶対的に保障される

日本国憲法第19条で保障される「思想・良心の自由」は、日本国憲法第20条で保障される「信教の自由」のなかの「内心における信仰の自由」と同じく、絶対的に保障され、制約されることがない[5]

思想・良心を持ち続ける自由

政府は、個人に対して一定の思想・良心を捨てるように強制することが許されない。

戦前戦中の日本政府は、治安維持法を制定して共産主義者を逮捕し、共産主義者に対して共産主義思想を捨てるように迫った。戦後日本政府がそうしたことをすると違となる。

GHQに占領されていた頃の日本政府は、軍国主義共産主義の思想を持っていることを理由に職追放を行い、職に就く者に対して軍国主義共産主義の思想を捨てるように迫った。特に、共産主義の思想を持っていることを理由として職追放することをレッドパージという。こうしたことを現在日本政府が行うと違となる。

思想・良心を受け入れない自由

政府は、個人に対して一定の思想・良心を受け入れるように強制することが許されない。政府が一定の思想・良心を組織的に宣伝したり教化したりすることは違とされる。

戦前戦中の日本は初等教育や軍隊において神権的国体観念の浸透を図ったが、戦後日本政府が同じことをすると違となる。

ただし、現代の各における政府は、高度管理化国家の傾向を強く持ち、膨大な情報を様々な方法で民に提供できる立場に立っており、「政府言論」というものを形成することができる。政府経済力・組織力は圧倒的であるので、人々を「囚われの聴衆」にして、人々の意に反して政府言論を一方的に聞かせることができる。つまり、政府が知らず知らずのうちに一定の思想・良心を組織的に宣伝したり教化したりする可性がある。

一方で、政府裁判所が形式的な言葉を強要する程度なら、思想・良心の強要には当たらない。謝罪広告事件やポストノーティス命事件でそのような判決が出ている。

裁判所が「Aは謝罪広告をせよ」と判決を出したら、そのAが「裁判所によって思想・良心を強要された」と訴えた。最高裁は「単に事態の相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものは、思想・良心の自由を侵するに当たらない」とした[6]

労働組合法第7条に定める不当労働行為に対する救済措置として、不当労働行為をした社団医療法人に対して「当社団は、ここに深く反省するとともに今後、再びかかる行為を繰り返さないことを誓約します」というを従業員の見やすい場所に掲示するポストノーティス命を労働委員会が発した。それに対して社団医療法人が「反省という意思表示を強制された」と訴えたが、「『深く反省』とは不当労働行為を繰り返さない約束を強調するだけの文言で、反省の意思表示を要したものではない」と最高裁は述べた[7]

思想・良心を告白する自由

政府は、個人に対して思想・良心を外部に発信することをやめさせることができない。

政府が個人に対して「ニーチェ哲学素晴らしい」と告白するのをやめさせるのは、日本国憲法第19条の思想・良心の自由と日本国憲法第21条表現の自由を両方とも侵することになる。

思想・良心の定義について限定説・信条説・人格核心説を採用している場合、個人が「鶏肉は美味しい」と喋ることは思想・良心を外部に告白する事に当たらず、表現をしているだけということになる。政府が個人に対して「鶏肉は美味しい」と喋るのをやめさせるのは日本国憲法第21条表現の自由を侵しているのであって、日本国憲法第19条の思想・良心の自由を侵していない、ということになる。

思想・良心の定義について広義説・内心説を採用している場合、個人が「鶏肉は美味しい」と喋ることも思想・良心を外部に告白する事になる。政府が個人に対して「鶏肉は美味しい」と喋るのをやめさせるのは日本国憲法第21条表現の自由を侵していると同時に、日本国憲法第19条の思想・良心の自由も侵している、ということになる。

思想・良心を告白しない自由(沈黙の自由)

政府は、個人に対して思想・良心の告白を強制することが許されない。つまり人々の「沈黙の自由」を保障しなければならない。

政府が個人に対して「ニーチェ哲学について素晴らしいと思うか」と告白することを強制するのは日本国憲法第19条の思想・良心の自由と日本国憲法第21条表現の自由を両方とも侵すことになる。

政府が個人に対して「鶏肉は美味しいと思うか」と告白することを強制するのは、限定説・信条説・人格核心説なら思想・良心の自由を侵すことにならず表現の自由を侵すだけになり、広義説・内心説なら思想・良心の自由と表現の自由の両方を侵すことになる。

政府が「どのような思想を持っていますか」とアンケートを出す場合に、「回答」の項を作らずに「回答しなければ罰金を課します」と述べて回答を強制すると、そうしたアンケートは違とされる。

政府が人を雇用するときに、面接政治的信条や政治活動の有や思想団体の所属関係の有を尋ねることは、面接を受ける人の沈黙の自由を尊重していないので違となる。面接を受ける人は、回答の態度を示すと就職できなくなることが予想されるので、回答の態度を取るという選択が許されず、思想・良心の告白事実上強制されることになる。

思想・良心の自由のために、思想・良心に関する情報が格別に保護される

政府が個人Aの周辺人物から聞き取り調を行い、個人Aの思想・良心に関する情報を収集し、個人Aの思想・良心を推定する思想調は、政府日本国憲法第13条で保障されるプライバシー権を尊重している限りにおいて合となる。

ただし、個人の思想・良心にかかわる情報は「固有情報」の典として日本国憲法第13条のプライバシー権により格別の保護が必要と考えられている[8]。ゆえに政府は、個人の思想・良心にあまり関わらない情報だけを収集して思想・良心を推定せねばならず、思想・良心の推定をあまり上手く行えない。

関連項目

脚注

  1. *日本国憲法論 法学書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』217ページ
  2. *日本国憲法論 法学書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』216ページ
  3. *日本国憲法論 法学書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』216ページ
  4. *三菱脂事件でそうした判例が確立されている。詳しくは間接適用説の記事を参照のこと。
  5. *日本国憲法論 法学書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』226ページ
  6. *最高裁大法廷判決昭和31年7月4日民集10巻7号785。判決文を掲載したウェブサイトあり(リンクexit
  7. *最高裁判決平成2年3月6日判時1357号144。判決文を掲載したウェブサイトあり(リンクexit
  8. *日本国憲法論 法学書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』182183、221ページ
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