戦争論とは
プロイセンの軍人であったカール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780~1831)が生前執筆していた原稿をマリー夫人が整理して1832年から34年にかけて公刊したもの。クラウゼヴィッツ本人は第1部のみが完成稿だとしている。「戦争論」というタイトルから、「戦争に関する総合的な教科書」という早合点を人々に与えがちだが、クラウゼヴィッツが目指していたのは「1820年代~1830年代のプロイセンが当事者となる戦争に勝利するために役立つもの」なので、後代の非プロイセン人が読めば、納得のし難い話、あるいは、どうでもよく思えてくる話によって大部分が占められている。戦争論は原著者にとって不満足な出来であったが、1866年から1945年までのドイツの隆盛やレーニンへの影響等によって世界的に有名になった。[1]
フランス革命とナポレオン戦争が当時世界を席巻した。クラウゼヴィッツはそこに「何ものもを粉砕せねばやまない遂行力をもってする絶対的戦争という概念」を見て取っている。フランス革命以前はヨーロッパは王家による政治的ゲームが支配しており、戦争は貴族階級や王によるものであった。それを劇的に変えたのがフランス革命であり、ナポレオン・ボナパルトである。以後国民が主体となった、総力戦の時代に突入する。その始まりの時期に“総力戦としての戦争”を分析したのが『戦争論』である。
戦争には二つの異なった種類があるという立場をクラウゼヴィッツは取る。第一の戦争はまず、「一種の強力行為であり、その旨とするところは相手に我が方の意志を強要する」ことにある。この行為には限界がなく、相手の軍事力を徹底的に破壊し、無力化することが目標になる。敵の「完全な打倒」を目的とする戦争であり、敵国を政治的に抹殺することまで視野に入っている。「あるべき」戦争の概念、絶対的戦争というのはこうした戦争に他ならない。「敵の完全な打倒こそ、取りも直さず軍事的行動の自然的目標であり、哲学的見地から概念の厳密を期そうとすれば、戦争の目標は結局これ以外にあり得ない」。この絶対的戦争についてクラウゼヴィッツは、戦争の動因が大規模になり、また強力になるにつれ、この動因が国民全体に関わるものにつれ、そのうえ戦争に先立つ両国間の緊張が高まるにつれ、「戦争はますますその抽象的、絶対的形態に接近し、敵の完全な打倒はますます重要な案件」となるという。
これとは別に「制限された戦争目標」を持つタイプが第二の戦争である。それは、敵国の国境付近において敵国の領土の幾ばくかを略取しようとするような戦争である。将来の講和の際の有利な取引の材料を手にするための戦争であり、相手国の無力化といったことは目標にしない。ここでは戦争への動因が微弱であり、両者の緊張関係が弛緩したような状況下での戦争である。敵の「完全な打倒」からは遠ざかり、「その本来の方向から逸脱」するものであって、歴史の中に見られる戦争の多くはこれに近いとする。この戦争のイメージはフランス革命以前のヨーロッパの戦争の姿と重ねられている。
二種類の戦争の区別と交錯するのが、戦争と政治の関係である。戦争は一種の政治的行為であり、戦争は政治の道具であるというのがクラウゼヴィッツの基本的な立場である。戦争は国家間の政治的交渉を、「政治におけるとは異なる手段」を用いてそれを遂行するものだという。政治から独立した戦争というのは認められない。戦争にその意味と目的、方向性を与えるのはあくまでも政治である。戦争は不可避的に政治の性格を帯びる。軍事行動の基本をなす戦争計画は政治の掲げる目標との整合性が何よりも求められる。クラウゼヴィッツによれば、政治とは「人格化された国家における知性」「内外の全般的情勢に対する洞察」であり、これが戦争を指導することになる。
政治の道具としての戦争と先の二つの戦争とを結びつけてクラウゼヴィッツは分析する。絶対的戦争においては、戦争の目標はますます政治的目標と一致し、戦争は純粋なものとなり、ますます政治性を失う「かのように思われる」という。これに対して、多くの現実の戦争(フランス革命以前の戦争)においては、戦争は絶対的戦争から逸脱し、「政治の指示」と緊密に一体化し、「戦争はますますその政治性を濃厚にするかのように見える」という。前者においては、「政治が全く消滅したかに見え」るのであるが、敵の「完全な打倒」を目指す戦争において政治の指導性がなくなり、政治が軍事的判断の中に解消してしまう。後者は、伝統的な政治概念-強力行為を避け、慎重を旨とし、狡猾と聡明を特徴とする-に囚われるならば、こちらの方が前者よりも「真に政治的なものに見えるかもしれない」と述べる。
「フランス革命の20年にわたる戦勝は、革命に反対した諸国の政府によって行われた誤れる政治の結果である」とクラウゼヴィッツは言う。フランスを取り囲む諸国の連戦連敗の源は政治の体質の古さ(王権や一部の社会層のための政治)、その現れとしての戦争と戦争術の矮小化にあったということに他ならない。問題は政治自体にあるということになる。従って、フランス革命に伴って登場した戦争の絶対的概念は政治の変革の産物であった。「政治が雄大になり強力になるにつれて、戦争もまたこれに準じるのである。そして両者のかかる関係が極度に達すれば、戦争はついにその絶対的形態を得るのである」。古い政治が戦争に課していた制限は一気に取り払われ、「政府及び国民のすさまじい遂行力と激しい狂熱」の中で無制限の資源の動員が可能になる。
戦争計画としては敵の軍事力の「重心」の確認とそれへの攻撃と粉砕、首都の攻略、敵の最も重要な同盟国に対する攻撃などが挙げられている。そして敵の意志を屈服させることが戦争終結にとって決定的に重要である。戦争の終結が問題になるが、クラウゼヴィッツは「戦闘力の撃滅」がどのような結果につながるか多くは触れていない。
掲示板
7 ななしのよっしん
2021/02/07(日) 21:48:07 ID: XENuoejr1H
ロジェ・カイヨワの戦争論との関係性を述べてる記事やニュースが全く無くて混乱してる
8 ななしのよっしん
2023/11/25(土) 04:51:55 ID: P0iV/QvKU+
これ読んだけど列車の有用性が書かれてたような事くらいしか覚えてねえ
9 ななしのよっしん
2023/12/21(木) 20:18:59 ID: fjz1WGiSGI
戦力を数値化して大小を比較するのは無意味ということがしきりに強調されてたけど
数値化して勝因や敗因を分析するのが当時はやっていたのだろうか
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最終更新:2025/01/07(火) 11:00
最終更新:2025/01/07(火) 11:00
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