曽田博久 単語


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ソダヒロヒサ

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曽田博久とは、日本脚本家小説家である。

概要

1941年10月21日生まれ。島根県出身。

大学時代は新左翼活動家だったが、内ゲバに嫌気がさし、シナリオライターす。1971年師匠松浦健郎との共作で、アニメアニメンタリー 決断』にてデビュー

その後はドラマ『非情のライセンス』で東映吉川プロデューサーと出会った縁により、特撮作品に参加。特にスーパー戦隊シリーズにおいては最初の『秘密戦隊ゴレンジャー』から参加、1982年の『大戦隊ゴーグルファイブ』で初めてメインライターに座った後は1990年の『地球戦隊ファイブマン』までのメインライターを務めた。スーパー戦隊シリーズでの参加作品17作、メインライター担当9作、執筆本数399本はいずれもシリーズ最高記録2015年現在)であり、80年代特撮を代表する作家の一人として知られている。

ファイブマン』終了後は一旦特撮を離れ、『暴れん坊将軍』『サザエさん』などに参加。1993年の『特捜ロボ ジャンパーソン』で特撮に復帰。その翌年『忍者戦隊カクレンジャー』にもサブで参加するが、1996年の『激走戦隊カーレンジャー』に参加したのちは再び特撮を離れた。

カーレンジャー』終了後はゲーム会社・フラグシップの設立メンバーとして参加。杉村升らとともに以降はゲームでの活動がになるが、2007年に同社が解散して以降は時代小説の執筆に軸を移している。

作風・人物

学生時代の新左翼活動を内ゲバで脱退した過去から「どんなに考えが違っていても最後には認めないといけない」という思いがあると述べている。そういった意識のためかアクション一辺倒の内容を好まず、人間ドラマを描くことに重点を置いている。

悪役メギド王子人間的成長を描いた『ダイナマン』、最終回バッドエンドが有名な『フラッシュマン』などのシリアスな展開にそれが現れているが、明るいコメディ展開も多い。戦隊最終参加作品となった『カーレンジャー』も楽しく書けたと述べており、浦沢義雄世界観に理解を示していた。『ジャンパーソン』では「ロボット精神注入棒で強化する」という一見突拍子もないアイディアから主人公ジャンパーソンの設定と絡める形で「自分の意識の外から行動や感情を制限されるロボットの悲哀」を描いて見せるなど、ひねった構成を見せたこともある。

フラグシップで共に脚本を執筆した吉田伸は、徒制度バリバリ世代の曽田や杉村升宮下隼一に「上っ面だけで人間を描くな!」と原稿を床に叩きつけられたと話しており、まさに根性ものの世界を体験したと語っている。

代表作

特撮

その他実写

アニメ

ゲーム

小説

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