松任谷正隆(まつとうや まさたか)とは日本の音楽プロデューサー、作曲家、自動車評論家である。歌手の松任谷由実の夫。
1951年11月19日生まれ。学歴は幼稚舎から大学まで慶應義塾というお坊ちゃんである。1970年代からアーティストとしての活動を広めていく。1976年に歌手の荒井由実と結婚。結婚後の由実は本名の松任谷由実で活躍し、正隆はそのプロデューサーとして腕を振るう。若い世代にとっては結婚後の名前の方が馴染みがある。元来のカーマニアが高じ、1986年からは自動車番組「カーグラフィックTV」のキャスターに就任。自動車評論活動も本格化していく。
月刊誌「カーグラフィック」のコラムや「カーグラフィックTV」における発言、wikiの記述内容から、特筆すべきものを纏める。ちなみに「正隆伝説」とは記事主が勝手に考えた言葉で、一般的に使用されている言葉ではない。
正隆の温厚さは、育ちに由来していたようだ
自動車好きとしてつとに有名であり、CGTVに携わっている他、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。特にフランス車や小型車に強い興味を示す。現行マツダ・デミオをCGTVで取り上げた際には、「僕の時代が来ましたね」「僕の時代でもありますね」「フヘヘヘヘヘ」「フハアァハハァ」と、相棒の田辺さんともども変なテンションになっていた。二人とも、自動車が大きくなっていくことが気に入らなかったようだ。但し、車体の大きい高級車を否定しているわけでもない。
同じフランス車好きでも、「文明批判だ!」とシトロエン2CVを愛用する宮崎駿とはまた違った趣がある。また元々育ちが良いだけに、ユニバーサルジョイントに過大な負荷をかけて、幅広タイヤなのにコンタクトパッチがバイク並みしか無いような、個性的な車には乗っていないと思う。
彼が自動車を語る言葉は抽象的なこともあり、「言っていることが良く分からん」という批判もある。一方で、CGTVでは突然車にピアノが落ちてくることもないし、車が燃やされることもないし、火炎放射器のついたコンバインハーベスターが街中で大暴れすることもないし、アメリカ人に襲われることも無いし、車に陸上自衛隊の普通科隊員を載せた松任谷さんが西部方面普通科連隊と共に島嶼部着上陸想定の演習で揚陸することもないので、こういうことが苦手な人は安心して見られると言う特徴もある。
但し、彼らが90式戦車や74式戦車に乗り込み、演習場を駆け巡ることはあった。87式偵察警戒車に関しては「中央軸の車輪がデコボコを拾い、乗り心地が悪い」「戦車は安定していて乗り心地が良い」など、自動車評論家ならではの表現で特徴を指摘していた。尚、戦車に取って砲身の動揺は命中精度に関わるので、砲身の安定制御を行うにしても、サスペンションは極力衝撃を吸収し、またスィングアームのストロークによる車体の揺れを抑える事が必要である。もしこれに不足がある場合、砲身に連続して且つ不均一にかかる上下方向の慣性りょ→戦車の項目をご覧ください
CGTVは当初はバラエティ色の強いものであり、正隆もこの頃は番組に批判的であったという。wikipediaを読む限り、ベストモータリングが悪乗りしたようなもの、だったようだ。しかし松任谷が参加した1986年9月からは、現在のような方向性が定まる。またこの時から古谷徹がナレーターを務めるようになった。
(すっかり忘れていた)彼の本業は作曲家である。決して、田辺さんの横で「味がある」「このヌルヌルとした滑らかさが良いですねぇ。でもステアリング操作に対しては、しっかりと反応してくれる」などとコメントするのが本業ではない。
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最終更新:2024/12/27(金) 11:00
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