松任谷由実 単語

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マツトウヤユミ

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松任谷由実とは、日本シンガーソングライター作詞作曲である。『ユーミン』の称で知られる。楽曲提供する際には『呉田軽穂』の名義を用いる。

概要

 1954年東京都八王子市生まれ。実家は地元・八王子では名の知られた老舗店である「荒井店」。

 幼少時よりピアノ三味線などを嗜む。中学生の頃から音楽業界関係者の多く出入りする「キャンティ」というレストランに出入りし、それが縁で14歳の時に初めてプロとしてピアノ演奏仕事を受ける。15歳作詞デビュー17歳作曲デビューした後、多摩美術大学に進学後の1972年シンガーソングライターとしてデビュー

 吉田拓郎井上陽水中島みゆきらと並び、1970年代に登場したミュージシャンで最も活躍し、以降の日本ポップスシーンを変えた人物の一人として数えられる。

 デビュー当初は旧姓の荒井由実で活動していたが、1975年音楽プロデューサー松任谷正隆結婚し、由美に改名。(荒井由実時代については荒井由実の記事を参照)。

 「中央フリーウェイ」「卒業写真」「あの日に帰りたい」「DESTINY」「真夏の夜の夢」「春よ、来い」などに代表される、もが一度はにしたことのあるような有名な曲を数々生み出した。
 また、「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」は「魔女の宅急便」、「ひこうき雲」は「風立ちぬ」の主題歌となっており、宮﨑駿やスタジオジブリとの関係も深い。これらの作品を通じて、原曲が発表された以降に誕生した子供たちにも彼女の声が広まっていった。

 1980年代には作曲『呉田軽穂』として数多くの名曲アイドル提供しており、松田聖子の「スイートピー」や「瞳はダイアモンド」、薬師丸ひろ子の「Woman Wの悲劇」など、数々の名曲を手掛ける。

  今や日本トップアーティストとも言える彼女を導いてきたのは、心に彼女の伸びやかで美しいと切なくて胸を打つような歌詞、なによりもそれを生み出すことができる彼女の心があったからではないだろうか。

豆知識

 

実績

彼女日本の大衆音楽に多大なを与えた人物の一人であり、ライバルとして較される中島みゆきにも「私がデビューした時から、ずっと遠くに居る人」と評価を受けている。対してユーミンは中島みゆきを「すっごく才のある人。けど、演歌の人だね」とを効かせながらも高く評価している。

彼女が始めた「ニューミュージック」は、従来のフォークソングとは一線を画した「ひこうき雲」や「ベルベットイースター」などの洗練されたメロディライン、絵画的な詞は後の音楽に多大なを与えたと言って過言ではない。荒井由実時代、プロデュースを行ったかまやつひろしはユーミンの登場により「音楽行きが生まれた」と息を飲んだという。

1973年アルバムひこうき雲」から2013年発売の「POP CLASSICO」までの全てのオリジナルアルバムTOP10入りを記録しており、現在継続中である。

1981年アルバム「昨晩お会いしましょう」から、1996年アルバム「Cowgirl Dreamin」まで、17年間連続で一位を獲得している。これは歴代アーティスト最高記録である。

1987年発売のアルバムダイアモンドダストが消えぬまに」から1995年アルバムKATMANDU」まで9作連続ミリオンセラーを記録。これは女性ソロ歴代一位である。

また、1988年の「Delight Slight Light KISS」、1989年の「LOVE WARS」、1990年の「天国ドア」の三作品が連続で年間一位記録アルバムの年間連続一位獲得記録はこれまた歴代一位。また、アルバム天国ドア」は、この一枚だけで最もCDを売り上げたアーティストに送られる日本ゴールドディスク大賞を獲得した。尚、年間一位記録した「Delight Slight Light KISS」と「天国ドア」には【一曲もシングル曲が収録されていない】。末恐ろしい実績。

1998年にはベストアルバムNeue Musik」が発売。累計380万枚を売り上げ、二枚組以上のベストアルバムでは女性歴代一位を売り上げた。

2001年には荒井由実、松任谷由実の両名義の楽曲が収録された初のベストSweet, Bitter Sweet」が発売される。オリコン週間一位記録し、100万枚に迫る売上を記録した。2012年発売の40週年企画ベストアルバム日本と、ユーミンと。」も一位を獲得。90万枚近くを売り上げ、週間一位記録。これにより1970年代1980年代1990年代2000年代2010年代の五つの年台に渡って一位を獲得した一のアーティストとなった。また、「日本と、ユーミンと。」でアルバム累計売り上げ3000万枚を突破した。これはソロアーティスト歴代一位記録である。

2013年には荒井由実時代の楽曲「ひこうき雲」がジブリ映画風立ちぬ」の主題歌に選ばれ、iTunes一位を獲得。発表から40年に渡るリババルヒットであり、映画と共に話題をさらった。尚、メディアではよく荒井由実デビュー曲とされているが、誤りである(実際は「返事はいらない」)。この年、綬褒章を授章する。

民的楽曲「卒業写真」「春よ、来い」をはじめ、ジブリ映画に使用された「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」「ひこうき雲」、ウインターソングの定番「人がサンタクロース」「サーフ天国スキー天国」、ファンから根強い人気を誇る「DESTINY」「埠頭を渡る」「青春リグレット」など、名曲と呼ばれる楽曲の数が最も多く、若者からもしまれているアーティストである。

 

『魅せる』アーティスト

彼女荒井時代から、様々なアーティストイメージを打ち破ったパイオニアである。

まだ荒井由実だった1970年代前半は、女性シンガーソングライター黒髪ロングスカートといった純清楚系ファッション流だったが、ユーミンは音楽番組「セブンスターショー」などでかなり奇抜な衣装を着用してライブパフォーマンスを行なった。兵をイメージした軍服衣装アラビア衣装、その美脚を惜し気もなく披露したレオタードハイレグファッションなど、当時の女性シンガーとしてはありえないような衣装で歌唱した。破廉恥だとをひそめられたり、自由奔放なライブパフォーマンスは時として「音楽を軽んじている」と批判の対になったが、ユーミンはそんな意見を「女性として生まれたのだから、女性武器を利用した衣装で歌ってるだけ。何が悪い事なの」と、持ち前の気の強さで反対論など何処吹く。尚、このレオタードファッションは後にピンクレディブレイクによってようやく市民権を得られたのだが、ユーミンはピンクレディより以前にこのような前衛的ファッションライブに取り入れていたことを女性市民権を得てきた後年になってようやく評価されるようになった。

時代になり、ライブパフォーマンスは更に進化。大掛かりな舞台装置や内外の最新技術を用いるようになる。OLIVEツアーでは【本物のゾウ】が出てきたり、SURFSNOWツアーでは【噴水ショー】を行ったり、水の中ASIAツアーでは【全長30mのドラゴンの上に乗って歌唱する】など、最やりたい放題。他にもステージエレベーターを設置したり、液晶スクリーンを用いたり、マジックを披露したり、海賊に乗って登場など、枚挙に暇がない。1990年代後半から2000年代初頭にかけて行われたライブツアーシャングリラ」ではサーカスと共演した。ライブ史上稀に見る組み合わせは伝説として語り継がれている。

これらの「魅せるステージ」は、アーティストライブの新たな可性を広げ、昨今ではジャニーズ浜崎あゆみなど数々のトップアーティストが積極的にライブに取り入れるなど、メジャー級に昇格している。

 

荒井由実の代表曲

卒業写真

1975年発売のアルバムCOBALT HOUR」に収録されているユーミンの不朽の名作。意外にも一度もシングルカットされていない。

・元々はハイ・ファイセットへの提供曲。ユーミンバージョンセルフカバーであるが、こちらの方が有名である。

 

ひこうき雲

1973年発売のデビューアルバムひこうき雲」の表題曲。2ndシングル「きっと言える」のB面曲。2013年ジブリ映画風立ちぬ」の主題歌

作詞作曲当時は17歳筋ジストロフィーで亡くなった小学時代のクラスメイトへの思いを詞にった。

 

やさしさに包まれたなら

1974年シングル発売。同年発売のアルバムMISSLIM」にもアルバムバージョンで収録された。1989年にはジブリ映画魔女の宅急便」の主題歌アルバムバージョンが起用された。

・「魔女の宅急便」に使用された楽曲はアルバムバージョンで、映画ヒットアルバムバージョンの方が有名になった。シングルバージョンバラード調のアレンジだが、アルバムバージョンポップ調アレンジ

 

ルージュの伝言

1975年シングルリリース。同年発売のアルバムCOBALT HOUR」にも収録された。1989年にはジブリ映画魔女の宅急便」の挿入歌に起用された。

・この曲を聴いた吉田拓郎は感銘を受けて言葉を失う程の衝撃を受けた。

 

あの日にかえりたい

1975年シングルリリースオリジナルアルバム未収録。翌年発売のベストアルバムYUMING BRAND」に収録。

オリコンでは四週連続一位を獲得し、第一次ユーミンブームを巻き起こすきっかけとなった曲。イントロコーラスはハイ・ファイセット山本潤子。

 

中央フリーウェイ

1976年発売のアルバム「14番」に収録された楽曲。ドライブの定番曲ランキング常連の曲。

・もともとはムッシュかまやつの為に書き下ろされた楽曲。

 

【翳りゆく部屋

1976年シングルリリースベストアルバムYUMING BRAND」に収録された。荒井時代のラストシングルで、ラストシングルに相応しい暗く、そして壮大な楽曲。

1999年には椎名林檎が同曲をカバー

 

松任谷由実の代表曲

春よ、来い

1994年シングルリリース114万枚ミリオンセラーを記録した。同年発売のアルバム「THE DANCING SUN」にも収録された時代の不朽の名作の連続ドラマ春よ、来い」の主題歌として書き下ろされたものである。

メロディ歌詞共に高い評価を受けている。後年発生した阪神淡路大震災の際に被災者を勇気づける楽曲としてヘビローテーションされ、東日本大震災の際には(みんなの)春よ、来いが配信限定でリリースされた。

国語教科書にも詞が引用され、荒井由実卒業写真と共にうたランキング上位の常連である。

 

人がサンタクロース

1980年発売のアルバムSURFSNOW」収録の楽曲。ウインターソングの定番であるが、一度もシングルカットされていない。

1987年開の映画「私をスキーに連れてって」の挿入歌。主題歌である「サーフ天国スキー天国」を食らって映画を印づける楽曲となり、当楽曲も映画の効果でリババルヒットを果たした。

・「人はサンタクロース」と誤記される事が多い。

 

守ってあげたい

1981年シングルリリース。同年のアルバム「昨晩お会いしましょう」にも収録。松任谷由実に改名後、初のヒットとなり、第二次ユーミンブームを巻き起こす。週間二位、年間チャート10位を記録した。累計60万枚

・ユーミンはこの楽曲で第一回日本作曲大賞で大賞を受賞した。日本作曲大賞は年末の音楽メイン賞の一つであり、専業作曲しのぎを削る当時の音楽界でシンガーソングライターとしての受賞は大変衝撃的だった。また、1984年には「VOYAGER日付の墓標」で同大賞の特別賞を受賞した。

醤油の発注多い、多いという空耳が有名だが、よくよく聞いてみるとあまりそういうには聞こえない。

音楽番組などではプラグスーツを彷彿させるなピッタリスツファッションで歌唱するライブ映像がよく流される。

 

DESTINY

1979年リリースアルバム「悲しいほどお天気」に収録された楽曲。ユーミンファンなら知らない者は居ないほどの名曲

リリース当時からライブの定番曲。イントロから会場のボルテージMAXになる。

1980年台後半、テレビドラマ「季節外れの海物語」の挿入歌に起用され、それがきっかけでリババルヒット記録した。ベストアルバムNeue Musik】のファン投票一位を獲得した。

 

真夏の夜の夢

1993年シングルリリース。週間一位記録し、140万枚ミリオンヒット。現時点でシングル最高売上を記録している。同年発売のアルバム「U-miz」にもアルバムバージョンで収録された。

TBSドラマ誰にも言えない」の主題歌ドラマオープニングと一番盛り上がる所で流れ、ドラマ主人公につきまとう冬彦麻利夫さんにトラウマを抱いた子供たちも少なくない。

真夏の夜の淫夢ではない。アッー

 

【Hello, My Friend

1994年シングルリリース130万枚ミリオンヒット。同年発売のアルバム「THE DANCING SUN」に収録された。

・同年のドラマ「君といた」の主題歌に起用された。同ドラマでは荒井時代の「翳りゆく部屋」や時代の「9月蝉しぐれ」が挿入歌に使用されるなど、ユーミンマンセーな仕上がりとなっている。

・同年にリリースされた春よ、来いインパクトを持っていかれたため、ミリオンセラーを記録したのに印が薄い。名曲なのにかわいそうな子。

 

【埠頭を渡る

1978年シングルリリース。同年発売のアルバム「流線形80」にも収録された。

ライブの定番曲の一つ。30年間続いた逗子ライブでは毎回ラストにこの曲が花火と共にパフォーマンスされ、バブル時代は恒例行事となった。

 

リフレインが叫んでる】

1988年リリースアルバムDelight Slight Light KISS」に収録された曲。イントロサビインパクトが強で、知名度の高い楽曲だが、これもまた一度もシングルカットされていない。

ライブツアーシャングリラ」では、海賊に乗って登場し、この曲を歌唱する。

イントロサビでは男性の心情を歌っており、一番サビでは女性の心情を歌っている。

 

ダイアモンドダストが消えぬまに】

1987年リリースアルバムダイアモンドダストが消えぬまに」の表題曲。

バブル時代を徴する楽曲でもあり、当時はライブセットリストに毎回組み込まれていた。バブルらしくキラキラしたチューンアップテンポな仕上がりとなっている。

 

ANNIVERSARY無限CALLING YOU

1989年シングルリリース。最高2位で、松任谷由実のシングルにしては売れた方。この楽曲が収録された同年発売のアルバムLOVE WARS」は199万枚ヒット

・ウエディングソングの定番で、当時は携帯電話CMに使用された。同じくウエディングソングである「輪舞曲」と較されており、ANNIVERSARYは純を歌っているのに対して輪舞曲はどこかひねくれたを歌っている。何故かベストアルバムの「Neue Musik」の曲順ではANNIVERSARYが8曲、輪舞曲が9曲に設定されており、連続して聴くことができる。

 

ダンデライオン遅咲きのたんぽぽ

1984年シングルリリース。最高9位だが、これでもユーミンのシングルでは売れた方。ユーミンく「あたしシングル売れないからね」と、シングルが売れない事は本人認な様子。同年のアルバムVOYAGER」に収録された。

原田知世への提供曲だが、自身歌唱でもリリースされた。精神性の高さからファン人気も高い名バラードである。

 

『名曲』とされる曲たち

代表曲とまでは行かないが、ファンにとって名曲と謳われる曲たちは少なくない。こと松任谷由実に至ってはその数が段違いで、また世代によって名曲として挙げられる楽曲が違うため、ここで少しだけ紹介する。

 

荒井由実

・返事はいらない(シングルバージョン)…デビュー曲。300枚しか売れなかったため、ユーミン自身は黒歴史扱いしている。しかし、作詞作曲のみならず、編曲までも自身で手掛け、聴きやすく爽やかメロディや胸を突くような切ない歌詞が後世になって評価が高まり、シングル盤は価格が高騰している。ヤフオクではウン十万円で出品されている事もあり、保有することがユーミンファンステータスになっている。

ベルベットイースターデビューアルバムひこうき雲」に収録された曲。のちに「あの日にかえりたい」のB面としてシングルカットタイトルセンス、絵画的歌詞音楽業界にユーミンの印を根強く刻み付けた隠れた名曲タイトルの意味は、先のビロードのような柔らかな日差しがの間から垣間見られ、その時の神秘的な光景をユーミンが「ベルベットイースター」と表現したと言われている。

を…デビューアルバムひこうき雲」に収録された曲。『明けのミルク色。静かなささやきながら降りてくる妖精たちよ』と、初期のユーミンの絵画的センスが遺憾なく詞にられている名曲バラードメロディの柔らかさとユーミンの哀愁漂う歌唱が絶妙にマッチしている。ユーミン自身は今も昔もこの曲を「私の一番好きな曲」と紹介している。

・瞳を閉じて…1974年発売のアルバムMISSLIM」に収録された曲。平井堅ではない。荒井由実の楽曲である。まだユーミンがメジャーになる前に某高校より依頼を受けて校歌として作られた楽曲。しかし、結果的に校歌にはならず、愛唱歌として今尚卒業式などで歌い継がれている。

を見ていた午後…1974年発売のアルバムMISSLIM」に収録された楽曲。歌詞に出てくる山手のドルフィンはユーミンファンの聖地であり、今尚多くのユーミンファンドルフィン聖地巡礼に訪れる。

12月1974年リリースシングルアルバムMISSLIM」にも収録された。クリスマスが近づき、別れた人を思う楽曲であり、都会的な詞が印

COBALT HOUR…1975年リリースアルバムCOBALT HOUR」に収録された表題曲。時代を先取りしたような快活でポップメロディは古さを感じさせない。しかし、歌詞には時代を感じさせるフレーズが出てくるため、若者にとっては不思議な感覚に陥る曲だろう。

チャイニーズスープ1975年リリースアルバムCOBALT HOUR」に収録された楽曲。何せ歌詞が怖く、女性の残酷さをユーミンなりの絵画的センス喩を交えて表現している。チャイニーズの恐ろしさは古今問わなかったようだ。

・14番1976年リリースアルバム「14番」の表題曲。満月よりも満ちる前のが好き、と、恋愛感情をそれになぞらえている。ロックエッセンスが効いたアップテンポナンバーライブの定番曲であり、終盤を盛り上げる。

・グッドラックアンドグッドバイ1976年リリースアルバム「14番」に収録された楽曲。岡崎友紀への提供曲。別れた人と偶然で再会する曲で、失恋を吹っ切って歩み出すヒロインだが、やはり少しだけ未練を感じている様子を歌っている。

 

ー松任谷由実ー

・ナビゲイター…1977年リリースシングル「遠い旅路」のB面曲。オリジナルアルバム未収録で、レコード盤であり、長らく聴ける機会がかったが2001年リリースバラードベストSweet, Bitter Sweet」にて漸く陽のを見た。胸を打つメロディ歌詞が染みる失恋バラード

エアメイル1978年リリースアルバムOLIVE」に収録されている切ないラブバラードサビ歌詞メロディは現代の若者も共感できるだろう。

に消えたジョガー…1979年リリースアルバム「時のないホテル」に収録された楽曲。アルバム全体が暗いトーンであり、この楽曲も例外ではない。しかし、後に毛色の違う名曲として紹介されるようになり、ユーミンもライブなどで歌唱する機会が多い。

・スラバヤ通りのへ…1981年リリースアルバム水の中ASIAへ」に収録された楽曲。アルバムリードトラックとされる楽曲だが、現在までベストアルバム未収録。ユーミンが旅行したインドネシアのスラバヤ通りで出会った少女への思いを歌った曲。前後数十年、大東亜時代日本の占領下だった頃のインドネシアを知る年寄りは日本を背けるが、戦争を知らない少女未来に向けて歩み出すといったストーリーでユーミンらしくない楽曲だが、松任谷由実の名曲としてよく挙げられる。メロディ完成度の高さも名曲とされる所以だろう。

・A HAPPY NEW YEAR1981年アルバム「昨晩お会いしましょう」に使用された楽曲。1987年には「私をスキーに連れてって」の挿入歌に起用され、「人がサンタクロース」「BLIZZARD」「サーフ天国スキー天国」などの挿入歌組と共にリババルヒットを果たした。

真珠ピアス1982年リリースアルバムPEARL PIERCE」に収録された楽曲。表題曲でもある。別れの明け、彼女復讐の為に彼氏のベッドの下に思い出真珠ピアスを捨てるという内容で、引っ越しの時に新しい彼女がこれを見付けたときに修羅場する事を論んでいる。末恐ろしいテロリズムである。彼女と別れた際には部屋掃除底するように。

・夕み…1982年リリースアルバムPEARL PIERCE」に収録された楽曲。夕暮れの情が浮かぶ切なメロディと、少し切ない歌詞が哀愁を漂わせている。

ノーサイド1984年リリースアルバム「NO SIDE」の表題曲。ラグビーの試合を歌った楽曲で、元々は麗美への提供曲。ユーミン自身が見たラグビーの試合のラストシーンが印にのこり、それを曲に起こしたのがこの作品である。2013年国立競技場で行われる最後の明戦では開会式にユーミンが登場し、この楽曲を披露した。

・DOWNTOWN BOY1984年リリースアルバム「NO SIDE」に収録された楽曲。アップタウンガールアンサーソングとして作られ、富裕層の女性した貧しい青年との切ないストーリーが描かれている。

青春リグレット1985年リリースアルバムDA・DI・DA」に収録された楽曲。元々は麗美への提供曲だが、セルフカバー版は全くの別物である。を追う彼について行けなくなった彼女が彼氏を振るストーリー

WANDERERS…アルバムLOVE WARS」に収録された楽曲。ライブではよくセットリストに組み込まれる程の定番で、ボルテージを上げるためによく歌唱される。ベストアルバムNeue Musik」にも収録予定だったが、全体のキーが合わず、収録は見送られた。

満月フォーチューンアルバム天国ドア」に収録された楽曲。エスニックメロディで、これ以降ユーミンは民族音楽に傾倒していく。余談だが、ユーミンのラジオでこの楽曲が流された時、歌詞が「まんげ」の所で切れてユーミンが爆笑するといったエピソードがある。

Happy Birthday To Youヴィーナスの誕生1991年アルバムDAWN PURPLE」に収録された楽曲。アルバムリードトラックであり、翌年1992年アルベールビル五輪NHK公式テーマソングに起用されたため、染み深いかもしれない。ユーミンは同五輪コメンテーターをしたことがあり、「妖精」と評される伊藤みどりを「妖精みたいですよね。フクロタケの」と、チクリ

・情熱に届かないDon't Let Me Go1992年アルバムDAWN PURPLE」に収録された楽曲。ラテンアレンジで、ユーミンが傾倒していた民族音楽的要素が強い。サビの「Don't Let Me Don't Let Me Go」の部分が「ドレミドレミド」と聴こえる。

サンド・キャッスル…1992年アルバムDAWN PURPLE」に収録された楽曲。結婚間近だったカップルの終わりを脆くも崩れ去るになぞらえた名曲

砂の惑星1994年リリースアルバム「THE DANCING SUN」に収録された楽曲。民族的なサウンドに精神性の高い壮大な歌詞が付けられた名曲

・輪舞曲…1995年シングルリリースされた楽曲。累計売上は50万枚突破した。民族音楽要素を取り入れたウエディングソングで、よくANNIVERSARYと対される。サビの部分「さあベール上げて」の部分が「サーベル上げて」と聴こえる空耳は有名。折結婚式血祭りになってしまう。

acaciaアカシア】…2001年アルバムacacia【アケイシャ】」の表題曲。カリスマ時代とは決別し、新たなユーミンとしてのリスタートを飾ったアルバムであり、評価が高い。この表題曲は、どことなく荒井由実時代を彷彿させる絵画的な歌詞に帰依しており、特に古参ファンからの人気が高い。これからユーミンのユーミンによるユーミンのためのユーミンらしい新たな歴史が刻まれていくことになるのだ。

 

と、これらの楽曲はほんの一部であり、見る人が見れば「あの曲が書かれていない」「この曲が書かれていない」と感じるかもしれないが、初めに述べた通り、こと【松任谷由実に限っては名曲の数が段違い】であるため、体力的にも気力的にもその全てを書くことは不可能に近い。それぞれのユーミンの名曲があり、それぞれの思い出としてこれからもユーミンの楽曲は日本国民の心に刻み続けられていくだろう。

関連項目

脚注

  1. *800枚という説もある。
  2. *会社自体は東芝EMIEMIミュージック・ジャパンを経てユニバーサルミュージック内のレーベルとなっている。
  3. *1970年代1990年代に活動していた日本レコード会社。YMO戸川純SOFT BALLETなどが所属していたことで知られる。
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