アウディとは、
本記事では、1.について記述する。
本社所在地はドイツ・バイエルン州、インゴルシュタット。現在株式の99%をフォルクスワーゲンAGが保有。フォルクスワーゲングループの子会社で車輌開発における技術提供などを行っている。同グループにおいてアウディは、中~上級価格帯の需要を担うプレミアムブランドとして位置づけられている。日本ではアウディジャパンが輸入販売を行っている。
エンブレムは4つの輪を組み合わせたもの。これは、前身の自動車メーカー「アウトウニオン」設立に参加した自動車メーカー4社(DKW、アウディ、ホルヒ、ヴァンダラー)の団結を象徴したもので、「フォーシルバーリングス」と呼ばれる。アウトウニオンは邦語で「自動車連合」というような意味である。
以前は車体デザインがおとなしいと評されており、「公務員が乗る車」と揶揄されていた。決して、デカイ腕時計とブランドモノのサングラスをかけた奴が欲しがる車では無かったのである。しかし、ドイツが誇る天才にしてマッドサイエンティストであるフェルディナント・ポルシェ博士の孫、フェルディナント・ピエヒ博士が重役になってからはブランドイメージの向上が計られた。その中核に据えたのは、後述するクワトロなどの技術革新であり、これを宣伝と有機的に結びつけることで目的を達した。それと並行して顧客層の若返りも計り、公務員が買わないようなデザインへと変化していく。
近年では「シングルフレームグリル」を初めとする意匠の個性化を実施。BMWやメルセデス・ベンツに引けをとらない、押しの強いデザインを取り入れている。内装の質感も大幅に向上し、この点でもバイハツや三ッ星に引けをとらない。最近は、ディーゼルエンジン(TDI)を環境対策上のガソリンエンジン車の代替と位置づけ、重点的に開発と宣伝を行なっている。
車種構成はFF車と、FFベースの四輪駆動車が殆ど。VWとコンポーネンツを共有するためである。
2012年4月18日、イタリアのオートバイメーカーであるドゥカティ(Ducati)を、ドゥカティの親会社である投資会社から株式を取得し買収した。
創業者アウグスト・ホルヒは自動車史の黎明期にベンツ社で工場長を務めた後に独立、ホルヒ社を設立し、1901年から自動車生産を開始した、当時としては高性能・高品質の自動車を送り出して名声を得る事になる。
しかし、アウグスト・ホルヒは良質の車を作ることに拘り、経営面への配慮を欠く傾向があった。どことなく、アンドレ・シトロエンと似たところがあるようだ。このことから1909年に経営陣から追放を受けたが、速やかに自力で別のホルヒ社を設立。ノイエ・ホルヒにて自動車生産を再開したが、元々のホルヒ社が「ホルヒはウチの商標なんだから、勝手に使うなよ」と極当たり前の訴えを起こし、ホルヒ及びそれに関連した商標を使うことを差し止められてしまった。この状況を乗り越えるため、1910年に自社の社名を「ホルヒ」から「アウディ」に変更。アウディとはラテン語の「聞く」という意味で、ホルヒのドイツ語訳と同じ意味である。いわば「ほっともっと」方式と言えるだろう。「和民」と「魚民」のようなややこしい事態は回避された。
第一次世界大戦後の不況や、ドイツ自動車市場に進出してきたアメリカ大手自動車メーカーに対抗から、新たな組織強化策が必要となった。そこで1932年に、ザクセン州に本拠を置くDKW、アウディ、ホルヒ、ヴァンダラーの中堅4社でアウトウニオン(自動車連合)を結成した。
DKW ( ´∀`) (´∀`) (´∀`) (´∀` ) ヴァンダラー
アウディ ホルヒ
「アウディ」ブランドは同社の中級~高級クラスを担うものとされた。ナチス政権下にあって、アウトウニオンはアウトバーンでの速度記録に挑戦するなど、高性能車を作るメーカーとしての地位を確立。
ホルヒはナチスドイツの公用車として使われたが、アドルフ・ヒトラーをはじめ多くの高官は、ステータスでホルヒを上回るグロッサー・メルセデスを愛用した。そんな中で、ルフトヴァッフェの最高責任者にして国家元帥のヘルマン・ゲーリングはホルヒを愛用した。その後、第二次世界大戦勃発により乗用車の製造は中止される。
第二次世界大戦の敗戦後、ソ連によるザクセン工場の接収から西ドイツのインゴルシュタットへ逃れ、そこで再起する。接収された工場のうちアウディ、ホルヒのものはVEBザクセンリンク社となり、DKWのものはMZモトラッド社となった。前者はトラバントを製造した工場であり、アウディとトラバントは東西分断で生き別れた兄弟となるであろう。兄弟同士に40年で恐るべき差がついたのは、向上が求められる資本主義に属するか、「向上を求めるのは、唾棄すべきブルジョワの豚野郎」とされる社会主義に属するか、という違いであったと思われる。
1956年にダイムラー・ベンツに買収され、1964年からはフォルクスワーゲンの傘下に。1965年に「アウディ」がブランドとして復活。1969年ロータリーエンジンの開発で知られたNSU社を併合、アウディNSUアウトウニオン社となる。以降はフォルクスワーゲン・グループの中~上級クラスを担うブランドとして発展した。1985年に社名をアウディと変更し現在に至る。
クワトロ(Quattro)とは、アウディが開発した四輪駆動システムである。元々の意味は伊、葡、西で「4」の意味であり、フランス語のQuatre(キャトル)も同じ単語と言えるだろう。ピエヒ博士のアウディ補完計画に貢献した、偉大な技術の一つ。クワトロと言っても仮面の大佐だったことはないし、第一話のスタッフロールでいきなりネタバレになったりもしない。
かつて四輪駆動と言えばオフロード車のものであり、武装組織が荷台に対戦車ミサイルを搭載して戦車と戦ったり、道なき道を走りまくって環境保護団体に苦情を言われるもの、というのが一般的だった。そこに颯爽と登場したのが、アウディのクワトロである。
クワトロは車両の走行安定性に寄与し、低μ路でも優れた走行性能を発揮する目的で開発されたもので、スポーツカーにも使えるという特徴を有していた。このシステムを搭載したGr.Bのラリーカーは、WRCで暴れに暴れまくった。本気で暴れすぎたランチアのせいでGr.Bは終了したものの、この間の活動でアウディは十分以上にブランドイメージを向上させ、「先進的な技術を用いるアウディ」というイメージとマーケットでの地位の確立に成功した。ちなみに同時期の極東のある国では、トヨタ・セリカ4WDがスキー場のゲレンデを駆け下りたり、雪の壁にはさまれた道路をジャンプして飛び越えるなど、スポーツAWDの性能を遺憾なく発揮していたと言う。
そのクワトロも以前はコーナーでのアンダー傾向が強く、板金7万円コースになる恐れもあった。しかし重量配分の見直しなどが行われ、現在ではこれも過去の話となっている。
自動車評論家の故ポール・フレールは、1979年にクワトロのプロトタイプを体験している。その車は、水をまいた低μの坂を難なく登ったという。さらに冬のオーストリア(少年合唱団の国)で試乗すると、FFやFRのライバル車とは異なり、やはり楽々と雪道を走ったとのこと。感動するフレールに対し、アウディの社員はこう言った。「それでは次は、スノータイヤで走りましょうか」。
※特別な訓練を受けたプロが行っています。絶対に真似をしないでください。
当時、セダンの4WDはスバルしか無かったと、フレールは記している。東北電力スペチアーレを起源に持つレオーネのことだと思われる。それほど乗用四駆は珍しい存在であり、今日では当たり前になった、あらゆる路面状況で高性能を発揮するAWDというコンセプトは新しかったと言えるだろう。
ASFとはAVIの後継のファイルフォーマット…ではなく、アウディ・スペース・フレーム(Audi Space Frame)の頭文字をとったものである。スペース・フレーム、すなわち3次元骨格構造は大昔のレーシングカーやバギーだとか学生フォーミュラのような手作りマシンに良く用いられる構造であるが、アウディはこれを量産車に持ち込んできた。何故そんな思いきったことをしたのかというと、フレームをアルミで作るためである。
アルミフレームの市販車といえば日本人は大抵ホンダ・NSXと答えるだろうが、NSXが果たしてアルミボディの量産車として適切な構造をしていたかというと、その法外な値段が示す通りNOである。アウディはかなり早期(80年代前半)からアルミニウムに適した量産手法を探していた。アルミは鉄のようにプレス成形性がよくないので、モノコック構造にするとNSXよろしく手作りせざるを得ない。
そこで前述のスペースフレームである。骨格は押し出し材。1994年デビューの初代A8に初採用されるや、その絶大な軽量化の効果は注目を集めた。その後A2、2代目A8、2代目TT、スーパーカーであるR8などに採用されてきた。今ではASFはさらに進化を遂げ、鉄とアルミを適材適所で使い分ける構造を採っている。
WRCでは当時まだ未知数だった4WDを搭載した「クワトロ」を1981年に投入し、活躍。ラリー=4WDというスタンダードを生み出し決定付けた。近年では2015年までル・マン24時間レースに参戦し、他にもドイツツーリングカー選手権やFIA GT3選手権など幅広く参戦している。2018年現在はフォーミュラEに参戦している。
特にル・マン24時間レースでは目覚しい活躍を見せていた。V8ツインターボを搭載したR8で参戦すると、毎年首位や上位に食い込む奮闘を見せ、1999年~2005年までの7回のうち5回の総合優勝を記録していた。2006年~2008年までは後継のR10で参戦。これはV12ツインターボディーゼルエンジンを搭載したもの。 熱効率に優れたディーゼルエンジンの特性で燃費が良く、給油の為のピットストップが減り、3回全てで総合優勝を果たしている。2009年~2010年はR10の後継となるR15で参戦。2009年はプジョーの後塵を拝し2位にとどまったものの、2010年は巻き返して表彰台を独占した。ちなみに2009年に優勝したプジョーもディーゼル車であった。2011年に新型のR18で参戦すると、またもや優勝。翌年はそのR18にハイブリッドシステムを搭載した「R18e-tronクワトロ」でこれまた優勝。その活躍はとどまるところを知らなかった。
ル・マン24時間レースで常勝しているだけでなく、ディーゼルエンジンの優位性を証明した点でも、アウディの活躍は注目すべきと言える。さらに、2012年のディーゼル+ハイブリッドでル・マン優勝も史上初のことである。ハイブリッドシステムが量産転用できないものだとかで他チームの支持者から非難されることもあるが、そこは「何でもいいからとりあえず新技術でまず勝つ」という彼らの哲学なのだろう。
ル・マン以外のスポーツカーレースでは欧州ル・マンシリーズ(LMS、ILMC)の他、ALMSの開幕戦として行われるセブリング12時間レースなど主要な耐久イベントに参戦をしているが、ル・マン程の勝率を挙げられないでいる。2012年からの世界耐久選手権(WEC)にも出場。
だが、2015年のVWグループ全体を巻き込んだディーゼル車排出ガス規制不正問題によって、ディーゼルエンジンによるスポーツカーレース活動からは撤退することになった。
代わって、2014年からEVへのシフトを睨んでのフォーミュラE参戦がはじまった。ドイツツーリングカー選手権で以前からアウディで参戦していたアプト(ABT)チームに、パワートレインを供給。2017年からはワークス参戦し、アウディ・アプト・シェフラーとして、トップクラスの力を持つチームの一つとなっている。
公務員時代は、日本でもやはりマニアック感が否めない車であった。当時の多くの日本人にとって、ドイツ車と言えばベンツにビーエムだったのである。80年代に入ると80などが増えていくが、100なんてたまにしか見かけない。バブルの頃も、BMWが六本木カローラと呼ばれ、メルデセス190が小金持ちの奥様方のアイテムとして定着しても、やはりアウディは後塵を拝していた。しかしピエヒ博士の野望に呼応するように、徐々にアウディも浸透して言ったような気がする。
車種の名称に「A」が使われるようになった90年代に入ると、数をどんどん増やし、よく見かける車になる。その功労車といえば、やはりA4になるだろう。
有名なものは、本国が製作したスキージャンプ台のCMに「道を拓くのは、いつもアウディ」のナレーションをつけたものであろう。ナレーターは若本規夫。記憶ではロイエンタールのような声で喋っていたと認識していたが、今見てみると穏やかな口調で語っている。人間の記憶とはいい加減なものだ。
アウディ100周年記念のCMは、新しく撮影されたスキージャンプ台の映像と、アウディの歩みを表わす映像を会わせたものである。こちらのナレーターはイタミン。どうやら濃いキャラを演じられる人でなければ、アウディのCMで使ってもらえないらしい。
戦前のホルヒやアウトウニオン時代はわからなかった。戦後、長く輸入代理店を務めていたのはヤナセである。期間は、1967~1992年の25年間。この後はアウディジャパンが担っている。ヤナセは現在では輸入代理権はないが、小売は継続して行っている。
一番苦しい時代を現地資本の輸入代理店が担い、熟してきた頃に本国資本の現地法人に代理権を取られてしまうのは、地球上どこへ行っても常なのでしょうがない。
A・Q・TTシリーズ > (モデル名)S > (モデル名)RS > Rの順にパフォーマンスおよび価格が高くなる。
掲示板
58ななしのよっしん
2022/03/10(木) 14:31:10 ID: Cvl2bnN9Mk
ドライバーとかも何人か内定出してLMDhでまたWECに出るのかと思えば、結局「F1出るかもしれないから2-3ヵ月保留するわ」
どこまで多方面の人をバカにすれば気が済むんだこいつらは…
59ななしのよっしん
2022/06/16(木) 16:35:17 ID: Bkxu+8CkTx
一時期BMWのドライバーにマナーの悪いやつが多い印象だったけども、
最近はアウディのドライバーのアタオカ率が異常に高い気がする
黒色だったりSUVだともっとやばい、3つ揃えば完全にキチガイ
皆もあまり近寄らないように注意してくれ
60ななしのよっしん
2022/09/14(水) 21:47:53 ID: BFXJG//Bqs
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最終更新:2023/03/27(月) 23:00
最終更新:2023/03/27(月) 23:00
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