浜田幸一(1928年9月5日~2012年8月5日)とは、日本の政治家・タレントだった。愛称は「ハマコー」。
衆議院議員を7期務め、引退後はタレントとしてドラマやトーク番組などで活躍した。議員時代は自民党に所属しており、長男の浜田靖一も自民党に所属する現職の衆議院議員である。
自民党内でも特に右派色の強い議員の一人として知られ、歯に衣着せぬタカ派的発言や武闘派としての行動により、度々世間の注目を集めていた。一方で暴言によるトラブルや金銭スキャンダル、特異な経歴(後述)などが災いしたか、高い知名度とは裏腹に、総理総裁はおろか入閣すら一度も経験できないまま国会を去ることになった。
若い頃は稲川会(日本第三位の勢力を誇る暴力団)に所属するヤクザとして鳴らしており、ケンカの相手を刺したかどで服役するなど荒れた生活を送っていた。その後、当時の組長から勧められて大物フィクサーや政商の下で修業を積み、そこで築き上げたコネクションを武器に政治家として台頭したという稀有な経歴の持ち主である。
一時は長者番付に載るほどの資産家だったが、近年は数億円の借金を抱えて破産宣告を受けるなど経済的に困窮し、2010年8月10日には、担保として差し入れた株券を債権者に無断で売却し2億円もの損害を与えたとして、背任容疑で逮捕されるという事態に至っている。
1928年9月5日、千葉県富津市にて生まれる。実家は貧しく、戦争の真っ只中で苦難の学生時代を過ごした。
戦後になって日本大学に進学するが、やがてドロップアウト。暴力団に入って地元で非行を重ね、「木更津のダニ」の悪名を轟かせるほどになる。24歳の時にはケンカ相手を刃物で刺して懲役1年の実刑判決を受け、服役している。
出所後しばらくして、稲川会初代会長・稲川聖城の勧めにより政治家への転身を目指すことになる。これには政界とのパイプを繋いでおきたい稲川会側の思惑もあったとされる。その後の数年間、浜田は右翼の大立者にして戦後最大のフィクサーとも言われる児玉誉士夫の下で書生として修業を積み、さらに田中角栄の盟友として政財界に強い影響力を持つ政商・小佐野賢治の下で不動産取引の腕を磨いた。
その傍ら、地元・富津町(当時は市制移行前)の町議会議員、さらに千葉県議会議員と地方議員としてキャリアを重ね、1960年には旧千葉3区から無所属で総選挙に出馬。だがこの時は各党の公認候補を前に惨敗を喫した。
しかし1969年の総選挙では自民党の公認候補となり、自身の応援歌を鳴らして回るという独特の選挙運動も功を奏し見事トップ当選を飾っている。保守的な旧千葉3区の地域性にも助けられ、この後7選に至るまで出馬した全ての選挙で当選を納めており、うち5回はトップ当選だった。
国政に進出した浜田はやがて中川一郎や石原慎太郎らと右派グループ「青嵐会」を結成。反中右派の結束を目指して積極的な活動を行ったが、やがてグループは空中分解してしまい、結局失敗に終わった。
1979年に起きた「四十日抗争」では、大平正芳首相の退陣を求めて党ホールに立てこもった反主流派の説得に当たり、バリケードを強制撤去するなど活躍。この時反主流派に対し「お前らのために自民党があるんじゃない、子供たちの時代のために自民党があるんだ」と説教を打ったことで名を上げた。
しかしこの直後、数年前にラスベガスのカジノでバカラ賭博に手を出し4億6千万円の負債を抱え、パトロンの小佐野に肩代わりしてもらっていたことが明るみになり、しかも小佐野が支払った金が戦後最大の疑獄事件「ロッキード事件」で不正に渡った金ではないかと言う疑惑まで出たため、議員辞職に追い込まれてしまう。
1983年の総選挙で返り咲きを果たしたが、その後も不規則発言を連発するなど「国会の暴れん坊」の異名に違わない活躍を見せた。1988年には衆議院予算委員会の審議中に共産党議長の宮本顕治参議院議員を「人殺し」「殺人者」と再三糾弾して委員会を紛糾させる事件を起こし、責任を取って予算委員長を辞任している。
1993年の総選挙には出馬せず、長男の靖一(通称「ムスコー」)に地盤を譲って引退した。7期20年の長きに渡り衆議院議員を務めたが、党や内閣の重要ポストを与えられることはついになかった。
引退後はタレントに転身、「ビートたけしのTVタックル」「たかじんのそこまで言って委員会」などの討論バラエティ番組を中心に様々なテレビ番組に出演し、歯に衣着せぬ発言で人気を集めた。さらに政治関係の本を多数執筆、引退直後に出版した「日本をダメにした九人の政治家」はミリオンセラーとなっている。またブログやTwitterを利用してネット上で発言するなど、新しいメディアに対しても強い関心を寄せていた。
しかし得意としていた投資に失敗したことや、知人の連帯保証人になって4億円もの負債を抱えたことで経済的に破綻、2009年1月には裁判所から破産手続開始決定を受ける状態に至っていた。また80歳を超える頃になるとさすがに衰えを隠せなくなったか、テレビ番組に出演した際も会話のテンポについて行けなくなったり、手足を震わせて心配されたりと、往時のかくしゃくとした姿は次第に見られなくなっていった。
そして2010年8月10日、2億円の融資に対する担保として債権者に差し入れていたはずの株式を勝手に売却し、債権を回収不能にさせたとして、背任容疑で逮捕されるという事件を起こした。
なお逮捕直前の8月4日にTwitterで「明後日くらいにツィッターやめるかな」と発言し、さらに逮捕前最後のものとなった8月7日のつぶやきは「熱帯夜、熱帯魚、熱帯雨林、渡り廊下走り隊」と一見意味不明なものだったため、各所で様々な憶測を呼んでいる。
2012年8月5日、千葉県富津市内にある自宅で心不全のために死去。享年83歳であった。
掲示板
32 ななしのよっしん
2020/06/07(日) 12:26:20 ID: WlVe4HszJa
こういうおじさんいいよね
老害じゃなくてクソジジイって感じいい意味で
33 ななしのよっしん
2020/11/24(火) 19:04:55 ID: cZjYkmDROw
発言力と行動力を兼ね備えた政治家だったことは間違いないように思う
個人的に、とても好きな政治家であり論客だった
34 ななしのよっしん
2022/04/29(金) 14:56:25 ID: ZI/VuMH+6F
水曜日のダウンタウンで株が上がったな
有吉も流石だけどこの人の対応力も流石。
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最終更新:2024/11/22(金) 05:00
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