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渋沢栄一は、日本の実業

概要

渋沢栄一は明治大正期の日本にあって、約500社の企業を設立した日本近代資本主義である。社会事業や際親善にも貢献した。

2019年、数年後の紙幣刷新に伴い、新一万円札の肖像に選出されたことが発表された。

略歴

1840年(保11年)2月武蔵血洗(現:埼玉県深谷市血洗)に大農家長男として生まれる。栄一は若い頃幕体制に疑問を抱き尊王攘夷運動に参加。一時は高崎乗っ取りも計画した。しかし、栄一の才に気がついた一の用人、平岡円四郎の勧めもあり尊王攘夷から一転、一に仕えた。1867年(慶応3年)、栄一は徳川慶喜の名代・徳昭武に随行して渡欧。パリ万博も見学。約1年半にも渡る滞在によりヨーロッパ社会の文化や思想に影を受ける。

1868年(明治元年)11月に帰後、静岡に謹慎中の慶喜に仕官を要請されるも固辞。日本で最初の合本(式)組織「商法会所」を静岡に設立する。翌年、大隈重信の強い説得により明治政府の大蔵相に仕え、明治政府初期の税制・貨幣銀行などの国家財政・経済確立に取り組む。しかし、財政運営大久保利通らと意見が合わず辞職。以後は自ら経済界に入り、日本経済の面で欧に引けを取らないにしようと邁進する。そして第一国立銀行(現:みずほ銀行)など500社の設立・運営に関与した。

栄一は社会事業にも熱心に働いた。東京市養育院(身寄りのない孤児や老人を養う施設)、東京慈恵医院(現:東京慈恵会医科大学付属病院)、財団法人路加病院日本結核予防協会など600もの社会事業に関与する。晩年には救護法の制定にも尽した。また、実業の養成も重視し、東京商法講習所(現:一橋大学)の経営や日本女子大学校(現日本女子大学)の創設委員にもなっている。

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最終更新:2019/11/14(木) 09:00

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