真柄直澄(?~1570年)とは、戦国時代の越前国朝倉家に仕えた五尺三寸(約175センチ)の太刀「太郎太刀」を振り回す怪力無双の勇将であり、朝倉家中でも武勇に優れた猛将。
兄は真柄直隆。ただし直澄が実在人物であると確定できる資料が無く、兄や兄の息子である隆基と同一人物説や、上記の太刀も「次郎太刀」を振り回していたとか長さも資料によってまちまちである。
越前の真柄荘の国人・真柄直隆の弟で、兄と同じく大力無双の武士だったとされており、越前の刀匠「千代鶴」作の五尺三寸(約175センチ)の大太刀「太郎太刀」で、自慢の太刀を振り回して戦場で無双乱舞していた。
その大力振りは、足利義昭が朝倉義景を頼って越前に滞在した際に、足利義昭の前で九尺五寸(2メートル88センチ)の斬馬刀の様な大太刀を披露した事があると言われている。
姉川の戦いに兄・真柄直隆と共に参加して徳川家康の軍を相手に戦国無双振りを発揮して戦線を支えたものの、味方が敗走を始めると、それに乗じて追撃を試みる徳川軍に対して立ちふさがり、自慢の大太刀「太郎太刀」を振るって阿修羅の様な活躍により味方を撤退させる事に成功する。
しかし、真柄直澄自身は、徳川家の匂坂三兄弟らとの激戦の末に力尽きて首をとられたと言う。
姉川で共に戦ったのは兄なのか、そもそも真柄直隆と真柄直澄は同一人物なのではないかといったかたちで話は錯綜しているが、姉川の戦いで真柄と呼ばれる武将が参加して徳川軍に立ちふさがり、賞賛されるだけの活躍を見せた事は確かである。
真柄直澄死後、自慢の「太郎太刀」は、熱田神宮宝物館に今も所蔵されている。
「どいつもこいつも、死にさらせぇ!」
直隆の弟として参戦。計略は全く別の「死なばもろとも」。なお浅井朝倉唯一のコスト2武力8槍。
計略は範囲内の敵・味方関係なく、自身の兵力が減るとそれに応じて兵力が減る。下手に彼にダメージ計略を撃とうものなら巻き添えでこちらも死ぬ。また彼を壁に進軍しようとして範囲に入って味方も死ぬ、なんてことも。
とにかく癖のある計略。任意で彼を殺せる叛逆計略と組み合わせ、人間爆弾として活用する運用もある。
また兵力が下がれば効果が発揮されるので、家宝等で最大兵力を上げて奥義を使うと結果的に最大兵力が下がるのでそれでもダメージとなる。
将星録以降は、真柄直隆と同一人物説をとったのか登場しなくなった。
| 軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
| 戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
| 武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
| 覇王伝 | 采配 | 68 | 戦闘 | 89 | 智謀 | 32 | 政治 | 18 | 野望 | 44 | ||||
| 天翔記 | 戦才 | 158(A) | 智才 | 64(C) | 政才 | 48(C) | 魅力 | 58 | 野望 | 44 | ||||
| 将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
| 烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
| 嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
| 蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
| 天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
| 革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
▼「伊織立志伝」にて戦傷が元で倒れた兄の代わりに敵として登場した。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/20(土) 02:00
最終更新:2025/12/20(土) 01:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。