租税利益説とは、租税が課される根拠についての学説の1つである。単に利益説ということもある。あるいは租税対価説とか対価説と呼ばれることもある。
租税利益説は、「国民は政府から公共サービスを受けていて政府から利益を与えられているので、その対価として租税を納める」と論ずる学説である。
租税義務説の基礎となる税制思想は、租税財源説(税金は財源)である。
国民が政府から提供される公共サービスの代表例は、警察・軍事・外交によって生命・財産の保護を受けることである。
そうした公共サービスの対価としてお金を払うのが納税であり、国民はお金を払って政府から「公共サービスを受ける権利」を購入している、と考えるのが租税利益説といえる。租税と「公共サービスを受ける権利」を交換するという考え方であり、商業的・貿易的な考え方と言える。
「国民と政府は対立する概念で交わり合うことがない。国民はあくまで公共サービスを受ける立場で、政府は公共サービスを提供する立場である」という意識や「国民は公共サービスの対象となる存在・客体であって、公共サービスの提供者・主体であるわけではない」という意識が強いと租税利益説に傾いていく。
租税利益説に基づいて課税することを応益課税といい、租税利益説に基づいて課税する原則のことを応益原則という。
1949年と1950年のシャウプ勧告で「地方税は応益原則の考えのもとに導入すべきである」という考えが導入され、それ以降、2021年現在に至るまでその考えが地方自治の原則になっている[1]。
精神論として有用である。
「租税というお金を払って公共サービスを受ける権利を購入する」という考えなので、「納税は義務というよりはむしろ権利である」という意識をもたらしやすく、自発的納税倫理を醸成しやすい[2]。
「租税という形式でお金を払うことにより公共サービスの財源が確保され、対価として公共サービスが返ってくる」と考えるので、公共サービスの内容などに興味が及びやすく、国民が積極的に国政参加しようという気運が生まれやすく、日本国憲法の基本原理とされる国民主権の考えにも合致する。
「国民が享受する公共サービスの総額」「国民が享受する利益の総額」を計算できないのが欠点である[3]。
年収1000万円の人がいるとする。この人が1年に享受した公共サービスの量を金額にするといくらになるのだろうか。10万円だろうか、100万円だろうか、あるいは1000万円だろうか、それとも1億円だろうか。
答えは、「分からない、計算できない」である。現代社会には各種の公共サービスが多層的に提供されており、国民がどれだけの量の公共サービスを享受したのか全く分からない。
このため、租税の税率を正当化するという点で説得力に欠け、租税の税率を決める論議の時にあまり役に立たない。
英国のトーマス・ホッブズが租税利益説の最初の提唱者とされる。
トーマス・ホッブズは1642年に刊行された『市民論』において「国家が平和を樹立して、人々が平和の利益を享受しているから、人々は国家に納税するのである」と述べている[4]。
そのあと、英国のジョン・ロック、英国のアダム・スミス、フランスのジャン=ジャック・ルソーが租税利益説を説いていった。
租税利益説というのは「国民は享受する公共サービスの対価として租税を払う」という考えであるが、この説を支持する人は2種類に分けられる。
「租税負担の量」と「公共サービスによって享受する利益の量」が等価交換でなくても気にしないという人と、「租税負担の量」と「公共サービスによって享受する利益の量」が等価交換であるべきであり釣り合っているべきであると考える人である。
後者は、「租税負担の量」と「公共サービスによって享受する利益の量」が釣り合っていないことを大きく問題視し、そうなっている場合は行政や立法に対して変化を要求し、国政に参加していくことが多い。
租税利益説の支持者で等価交換を重視する人たちは、次の3種類に分かれることになる。
「租税負担が重くて享受する利益が少ない」と考える人 | 公共サービスの増加を要求したり、減税を訴えたりする |
「租税負担と享受する利益が完全に釣り合っている」と考える人 | 公共サービスの変化を要求しないし、租税の変化も要求しない |
「租税負担が軽いのに享受する利益が多い」と考える人 | 公共サービスを辞退したり、増税を訴えたりする |
租税利益説の支持者で等価交換を重視する人たちは、積極的に国政に参加し、公共サービスや租税について厳しいチェックを行う傾向がある。そうした傾向が強まると、一年税主義という財政形態になっていく。
一年税主義とは、租税を定める法律の効果が続く期間を1年かぎりとするものである。租税を定める法律を毎年制定しなければならず、非常に立法の手間がかかる。徴税をする為政者(行政を指揮する権力者)にとって厳しい財政形態である。権力の制限を立憲主義というが、「より強い立憲主義」を支持する人にとっては一年税主義は評価すべき財政形態だろう。
ちなみに「租税義務説を支持すると永久税主義になりやすい」と論じられることがある。永久税主義とは、租税を定める法律の効果が続く期間を永遠とするものである。
「租税法定主義が定着する前の徴税」と永久税主義と一年税主義の比較をすると、次の表のようになる。
立憲主義 | 親和性の高い租税根拠論 | |
租税法定主義が定着する前の徴税 | 全くない | |
永久税主義 | 立憲主義の範疇に入る | 租税義務説 |
一年税主義 | より強い立憲主義となる | 租税利益説 |
社会契約説という国家理論と租税利益説の親和性が高いとされる。
社会契約説を大まかに説明すると、自由で孤立した個人が「万人の万人に対する闘争」の状態を避けるため、契約を結んで団体を作り、政府を作り、国家を作り、政府に対して生命・財産の保護をさせる、という考えである。社会契約説を最初に唱えたのは英国のトーマス・ホッブズとされる。そのほかに社会契約説を唱えたことで有名なのは英国のジョン・ロック、英国のアダム・スミス、フランスのジャン=ジャック・ルソーである。
特に英国の社会契約説においては、個人と国家が峻別され、両者の関係は運命共同体ではなく、契約を介在させるドライな関係になるとされる。また、「個人が国家を作るのであり、国家が個人を作るのではない」「国家が死滅しても個人は残る」といった発想も生じる[5]。
社会契約説を唱える思想家の中に英国のジョン・ロックがおり、抵抗権と革命権を提唱した。政府が生命・財産の保護をしなくなったら、国民はそうした政府に対して抵抗してよいのであり、さらには政府を打倒して新しい政府に交換してよい、という考えである。
抵抗権や革命権といった諸思想は、商業的・貿易的な気風を漂わせる思想である。市場で気に入らなくなった商品を売り場に戻して好きな商品を購入する感覚で「この政府は国民に対して生命・財産の保護をしていないから政権を取り上げよう、あの政府は国民に対して生命・財産の保護をしているから政権を与えよう」と考えて政府を交換することが許される、というからである。
トーマス・ホッブズは1588年に生まれ、1640年代~1650年代に相次いで主要な著作を発表し、1679年に亡くなった。ジョン・ロックは1632年に生まれ、1690年代に相次いで主要な著作を発表し、1704年に亡くなった。
この時代は英国にとって激動の時代である。スチュワート朝の国王が処刑されて共和制になり、その後にスチュワート朝から新たに国王が即位し王制に戻る。この一連の流れを清教徒革命という。さらには議会がスチュワート朝の国王を嫌ってオランダ人をイギリス国王に招くという名誉革命も起こった。年表を書くと次のようになる。
このように内乱と政権交代が続いた時代だった。こうした時代の中で「国民はダメな政府を捨てて良い政府に交換することができる」「政府が滅んでも個人は残る」という思想が発達した。
掲示板
2 ななしのよっしん
2021/07/31(土) 10:27:26 ID: w0FWyDKePS
3 ななしのよっしん
2022/01/03(月) 22:04:04 ID: jdW1F0h2lJ
これはおかしい。自己利益しか考えてない外国人や軍閥が支配していても納税の義務は当然にあるし、それで納税を拒否すれば素敵なことになる。行政サービスなんか一切しない時代でも納税の義務はあった。
税を民主的に説明しようという結論有りきで根本的に間違っている説だな。
4 ななしのよっしん
2022/01/03(月) 22:12:49 ID: 5h+bvUeZ0u
地方税と国税で根本原理が違うというのは目からウロコだな
納得できるにはまだ至ってないが
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最終更新:2024/03/28(木) 20:00
最終更新:2024/03/28(木) 20:00
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