機能的財政論(Functional finance theory)とは財政学の用語で、中央政府の財政政策に関する理論である。
反対語は均衡財政論である。
機能的財政論とは、「財政政策を決める指標としてプライマリーバランスが最も適切であるとは限らない」と考えてプライマリーバランス以外の指標を判断材料にしつつ国家の経済の状況を向上させる目的で財政政策を実行することをいう。
機能的財政論において財政政策を決める指標として選ばれやすいものは、実質利子率、実質為替レート、実質GDP、インフレ率、失業率といったあたりである。
そのなかで実質利子率と実質為替レートは経済学の教科書に非常によく出てくる。「閉鎖経済の国において政府購入を増やすと、短期において実質GDPが増えて実質利子率が上がり、長期において実質GDPが一定に戻って実質利子率が上がったままになる」「大国開放経済の国において政府購入を増やすと、短期において実質GDPが増えて実質利子率が上がって実質為替レートが下がり、長期において実質GDPが一定に戻って実質利子率が上がったままになって実質為替レートが下がったままになる」「固定相場制を採用する小国開放経済の国において政府購入を増やすと、短期において実質GDPが増えて実質利子率と実質為替レートが一定で、長期において実質GDPが一定に戻って実質利子率が一定で実質為替レートが下がる」「変動相場制を採用する小国開放経済の国において政府購入を増やすと、短期においても長期においても実質GDPが一定で実質利子率が一定で実質為替レートが下がる」などと論じられる。
経済学者が国家の経済の状況を測定するときに最も頻繁に使う経済統計は、実質GDPとインフレ率と失業率の3つである[1]。
そして経済学者は、実質GDPとインフレ率と失業率の中で実質GDPを最も重視する[2]。1人あたり実質GDPが少ない国と1人あたり実質GDPが多い国を比べると、後者は子どもの栄養状態から1戸あたりのテレビの台数まで何でも満たされている[3]。「実質GDPが大きければすべての国民が幸福になる」とまでは保証できないが、マクロ経済学者の提案できる幸福への最良の秘訣は大きな実質GDPである[4]。
機能的財政論を支持する学者として代表的なものはアバ・ラーナーである。
発展途上国は工場などの生産設備が少なく、資本量が少ない。ゆえに、発展途上国においては実質利子率を下げて投資を増やす財政政策が求められる。投資をすれば将来の資本量が増える。
そのためには閉鎖経済か大国開放経済の経済体制を採用する。そして、国債を発行してから政府購入や減税をしてクラウディングアウトを強く発生させることをできるだけ避け、増税してから政府購入や減税をしてクラウディングアウトを弱く発生させることをできるだけ優先する。その結果としてプライマリーバランスが均衡状態に近くなる。均衡財政論によって均衡財政になるのではなく、機能的財政論によって均衡財政になる。
また、投資を拡大するには、固定相場制を導入することが効果的である。固定相場制を採用すれば貿易の確実性が高まって企業が投資をしやすくなる。
前項目を実践した国の代表例は1940年代から1960年代までの日本である。
第二次世界大戦の空襲で生産設備があらかた破壊されて発展途上国に転落した日本は、ガリオア資金やエロア資金や世界銀行から米ドルを借り入れつつ米ドル対象の固定相場制を導入した。1964年まで投資を優先するため政府購入と減税が控えめであり、その結果としてプライマリーバランスが均衡状態だった。
1970年代になると投資をし続けてきた効果が現れ始め、投資で増やした生産設備が稼働して純輸出を積み上げるようになり、中央銀行の外貨準備高が増えていく状態になった。世界銀行から借り入れた米ドルは1990年7月に完済した。
先進国は発展途上国と異なっており、工場などの生産設備が多く、資本量が多い。ゆえに先進国においては実質利子率を下げて投資を増やす財政政策をする必要がない。
また、生産設備が十分に揃っている先進国でさらに投資を増やそうとすると、需要も無いのに需要が有るかのように見せかけて投資家から融資を騙し取る投資詐欺を行う知能犯罪者が増え、過剰投資になり、バブル経済やバブル崩壊を引き起こし、不良債権が大規模に発生して大不況になる。1991年の日本のバブル崩壊も2007年のサブプライムローン問題も住宅の過剰投資が原因だったし、1929年の世界恐慌も住宅の過剰投資が原因の1つとされている。そのため、危険な過剰投資を抑制するために、閉鎖経済や大国開放経済の経済体制を採用しつつ、国債を発行して政府購入を増やしたり減税(給付金)したりしてクラウディングアウトを適切に発生させることが必要となってくる。
先進国というものは大抵の場合において、工業化を果たした代償として都市への人口流入が進んでいて地方の過疎化という問題を抱えている。地方の過疎化が進みすぎると人口空白地域が発生し、凶悪犯罪者が凶悪犯罪の証拠品を隠滅しやすい状況になり、治安が悪化する。それを防ぐために国土の均衡ある発展と称して地方における政府購入を大々的に行うのが機能的財政論を採用する先進国の政策の1つである。
社会保障を拡大して福祉国家になり、政府から国民への給付金を拡大し、医療サービスの消費を増やすことも機能的財政論を採用する先進国の政策の1つである。国民を長生きさせて高齢者を増やすと医療器具への需要が増えることになる。医療器具は作るのが難しいので[5]、医療器具への需要を増やせばそれと同時に高性能な工作機械への需要も増えることになり、国内の製造業の水準が上がっていく。
前項目を実践した国の代表例は1970年代から1980年代前半の日本である。
1972年に首相に就任した田中角栄は国土の均衡ある発展という政策を大々的に進めた。また1973年を福祉元年と称し、社会保障への政府支出を増やし、社会保障に関連する政府購入を増やした。そして1970年代から特例国債を発行してプライマリーバランスを赤字にすることが恒常化している。
前項目を実践しなかった国の代表例は1980年代後半から1990年代前半の日本である。
この時期の日本は特例国債を発行することを減らし、国債を発行してからの政府購入や減税を減らした。そうしたらクラウディングアウトが十分に発生しなくなり、住宅の過剰投資が発生してバブル景気になり、そのままバブル崩壊となって大不況に突入した。
先進国における機能的財政論を実行するとき、政府購入や消費を増やすために政府が自国通貨建て国債を発行して自国通貨を入手し、プライマリーバランスを赤字にさせることになる。
ある国が「自国の中央銀行が発行する不換銀行券」を通貨に採用していてなおかつカレンシーボード制を採用しない場合、その政府は自国通貨を自由に入手できる権力を持っており、通貨発行益(シニョレッジ)を得ることができる。
政府は中央銀行に対して強い影響力を持っている。特に日本では日銀法第4条が制定されており、中央銀行である日本銀行が政府の意向に従属するように定められている。
日本政府は国会の議決を得て国債を発行し、国債市場で国債を売って自国通貨を獲得して財源にしている。国債市場で国債が確実に売りさばかれるよう、日銀法第4条に基づいて日銀が暗躍している。国債市場参加者の余剰資金が乏しくて政府が国債を売り出すと短期金利が急上昇すると判断した場合、自国通貨の新規発行を行って国債市場参加者の持つ国債を買いオペするなどして、国債市場参加者の余剰資金を増やしている。これを「政府の国債売却に伴う短期金利上昇を防ぐための資金供給オペレーション」という。中央銀行にとって不換銀行券は「負債性が極度に薄い負債」であり、いくらでも発行することができるので、「政府の国債売却に伴う短期金利上昇を防ぐための資金供給オペレーション」を無限に行うことができる。
通貨を現金通貨の形態で保有していると利子が一切付かないし、通貨を市中銀行預金や中央銀行預金の形態で保有していると小さな利率の利子しか付かない。その一方で、国債には市中銀行預金や中央銀行預金よりも大きい利回りの利子が付く。そのため、資金が余剰となった国債市場参加者は、自動的に余剰資金を使って国債を購入する。
このように、政府は中央銀行を従えているので、国債の発行と売却によって好きなだけ自国通貨を入手することができる。
日本において、政府が発行する政府紙幣の根拠となる法律は存在しないし、政府が発行する硬貨は支払いに際して20枚までしか使えない補助的な存在である(通貨法第7条
)。つまり日本政府は通貨発行権のごく一部しか行使できない状態になっている。
しかし日本政府は、「憲法第85条
に基づき国会の承認を得て国債を発行する権力」と、「日銀法第4条に基づき日本銀行に対して政府の基本方針に整合的な金融政策をとるように義務づける権力」を持っている。この2つの権力で通貨を自由自在に入手している。
先進国において機能的財政論を実践するとき、大抵の場合においてプライマリーバランスを赤字化させることを容認し、政府が自由に自国通貨を入手することを容認することになる。
そうした容認を繰り返すと、「政府は徴税以外の手段で財源を調達できる」と認識するようになり、「政府は財源として徴税するのではなく国民の経済行動に影響を与えるため徴税している」と認識するようになり、租税財源説を否定するようになって租税罰金説を肯定するようになる。
機能的財政論を提唱したアバ・ラーナーは次のように語っている。
An interesting, and to many a shocking, corollary is that taxing is never to be undertaken merely because the government needs to make money payments. According to the principles of Functional Finance, taxation must be judged only by its effects. Its main effects are two: the taxpayer has less money left to spend and the government has more money. The second effect can be brought about so much more easily by printing the money that only the first effect is significant. Taxation should therefore be imposed only when it is desirable that the taxpayers shall have less money to spend, for example, when they would otherwise spend enough to bring about inflation.
これを要約すると、「徴税は政府の財源として行われるのではない。機能的財政論の原理からすると、徴税は納税者の支出を押さえ込んでインフレ率を低下させるために行われる」となる。この考えは租税罰金説を導くものであり、租税財源説を否定するものである。
租税財源説は「政府は他者加害原理に基づかずに他者の財産権を侵害している」と論じるものであり、政府に対する憎悪感情や非難感情を強く煽るものである。一方で租税罰金説は「政府は他者加害原理に基づいて他者の財産権を侵害している」と論じるものであり、政府に対する憎悪感情や非難感情をあまり強く煽るものではない。
先進国において機能的財政論を採用するときは政府購入を増やしてクラウディングアウトを起こして過剰投資を抑制することが重視される。そういうときは、政府への憎悪を煽る租税財源説よりも、政府への憎悪を煽らない租税罰金説の方が都合がいい。
・・・365ページ~375ページに機能的財政論についての記述がある。筆者のL・ランダル・レイは「かつての米国の経済学者たちの間において機能的財政論の考えが空気のように広く共有されていた」と述べている。 287ページや291~295ページに「税金は罰金」についての記述がある。
アバ・ラーナー ※このPDFデータを文字データに変換するのは、次のような手順を踏むと良い。まず、winshotのようなソフトで矩形範囲指定でスクリーンショットをとり、画像データ(.jpg)を得る。そして、Googleドライブに画像データをアップロードする。アップロードされた画像データを右クリックして、「アプリで開く」を選び、Googleドキュメントをクリックする。すると、画像データが、文字データに変換されている。文字データにしてしまえば、Google翻訳で翻訳できて、大意を掴むことができる。
ステファニー・ベル(2020年現在は改姓してステファニー・ケルトン。MMT提唱者の1人として有名)
、記事2
、記事3
)。掲示板
12 ななしのよっしん
2021/06/28(月) 18:36:26 ID: +R9fJOzuve
>>4
確かにあれは例が悪い
水道サービスではなく公道を通行する自由を取り上げ
税金を払っていない奴は公道を歩くななどというのはナンセンスであるくらいにしておいた方がいいのにな
13 ななしのよっしん
2021/07/06(火) 22:31:47 ID: 60wHEN+YS4
>>11
いや全く関係ない。
ラーナーはきちんと数理モデルを作って財政支出によって産業の調整を行うことが合理的であるということを示している。
そこに性善説だの性悪説だのというイズムが入る余地はない。
ただこの合理性が会計論に於いてはきちんと成り立つけれども、実体経済に於いては必ずしも成り立つわけではないというところに問題がある。
加えてラーナーが厚生経済学に興味を持ったのは、失業という人余りによる極めて不効率・不合理な社会的現象の説明を求めていった結果、ケインズに出会ったからと本人がエッセイに書いている。
紛争地帯の出身だからというのは、少なくとも本人はそうは意識していない。機能的財政論は、あなたのいう紛争地帯出自というコンプリケートな自意識や性善説という曖昧模糊とした思想や資本論のような「科学的」な聖書というイデオロギーが元にあるのではなく、日本でもワンガリーマータイが逆輸入させた「もったいない」精神に基づいているものと言えよう。
14 ななしのよっしん
2021/07/06(火) 22:42:30 ID: 60wHEN+YS4
>>11
また法律論を持ち出す人間=性悪説論者という偏見を持っているようだが、刑法と違って憲法には性悪説も性善説もない。
ただあるのは基本的人権のカタログと統治機構のフレームワークだけである(本当は国賠や損補についての規定や憲法が最高法規であることのトートロジカルな規定がある)。
これは別に人性に基づくものでなく歴史的経緯から弾圧あるいは国家の分断を避けるための安全弁として人類が長い闘争の末勝ち得たものとして存在するだけである。
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最終更新:2025/12/12(金) 15:00
最終更新:2025/12/12(金) 15:00
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