赤染衛門 単語


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赤染衛門(あかぞめえもん、956?~1041?)とは、平安時代中期の女流歌人である。

概要

百人一首59番の作者で、中古三十六歌仙の一人。平安時代歴史物語「栄花物語」の作者と言われている。

染とはあまり見られない姓氏であるが、三国志の時代に謀反を起こして滅ぼされた公孫淵の末裔が日本帰化し、大和朝廷の時代から族として土着した歴史の古い一族である。しかし、赤染衛門の表向きの父親染時用とされているが(彼が右衛門尉の職であったため、赤染衛門という女房名が付けられた)、実際の父親百人一首40番の作者である歌人兼盛と言われている。赤染衛門のが兼盛と離婚し、間もなく染時用に再婚してすぐに生まれたのが赤染衛門であり、兼盛は自分が実だと訴えたが敗訴、結局彼女の息女として育てられることとなった。

このようなに包まれた出生であるが、赤染衛門自身は中宮彰子の女房として仕えながら、夫の大江衡と仲まじいおしどり夫婦と言われるなど、その生涯は安寧であった。年も1041年以降とされており、少なくとも80歳半ばまで生きたと考えられ、百人一首女性歌人では最も長寿だったと思われる。73番の作者大江房は赤染衛門の曾孫である。

赤染衛門は同僚である紫式部和泉式部や、政治的には敵対する立場である定子の女房であった清少納言ともしかった。「紫式部日記」で清少納言和泉式部を厳しく批判している紫式部も、赤染衛門に対しては格があり、こちらが恥ずかしくなってしまうほど歌に優れていたと最大級の賛辞を送っている。良妻賢であった赤染衛門は、後述の通り家族想いの心優しい人物であり、人望も高かったのであろう。

百人一首には、「やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの を見しかな」の歌が載せられている。待ち続けていたのに、結局来ないまま明けになってしまったと、人を恨む歌であるが、これは赤染衛門本人が体験した歌ではい。詞書によると、彼女もしくはが当時、藤原道隆人の一人であり、赤染衛門は姉妹の代わりに詠んだ歌なのである(清原元輔の場合と似たようなシチュエーションである)。赤染衛門の姉妹がその後どうなったかは定かではないが、高階貴子を妻に迎えたため、どうやら歌を送った甲斐失恋してしまったようである。

また、「今昔物語集」などでは、息子大江挙周(大江房の祖父)が重病で倒れた時は、自分の寿命を縮めてでもよいからが子の病が治るように住吉神社に詣でて歌を詠んだというエピソードも残されている。

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うた恋い。」では、1巻にちらっと顔見せ程度の出演だが、外伝「うた変」で紫式部のよき理解者兼ツッコミ役で登場。一方、「暴れん坊少納言」では清少納言紫式部んだ思慕を抱くヤンデレ気味の腹黒ピンクに描かれている。

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