本項では1の公孫淵について記述する。
遼東公孫氏の公孫康の子に生まれ、父が没した時は兄の公孫晃とともにまだ幼少だった為、叔父の公孫恭が遼東太守を継いだ。
字は文懿。司馬懿の懿とかぶるので晋の史書では字が略され、唐代の史書では高祖・李淵の淵とかぶるので「公孫文懿」と表記されている。
立派なジャイアンに成長した公孫淵は、兄が都に出仕している間に、叔父・公孫恭を*お察し下さい*な理由から太守の座を無理矢理に譲らせ、魏皇帝・曹叡より揚烈将軍・遼東太守に任命され、その後は車騎将軍に任命された。
孫権が海路を使って遼東に侵攻するも田豫に敗れた際に、公孫淵は孫権に使者を送って呉の傘下に入りたい旨を申し入れ、孫権が臣下の反対を押し切って使者を送ると、使者の首を刎ねて曹叡に送り、随行の兵士や食料や財宝をすべて「お前のものは俺のもの」とばかりにぶんどり、これが功績として認めるという「曹叡大丈夫か?」な判定により大司馬に命じられ楽浪公に封じられた。
傍若無人ぶりが出世に繋がったことから公孫淵のジャイアンぶりと鼻のピノキオっぷりはひどくなり、都に出て来いと言う魏の勅命を無視した上、仕置きに派遣されたカン丘倹(毋丘倹)を破ってしまったことから完全に調子に乗ってしまい、燕王を自称して年号を改め、周辺の異民族にオリジナルの玉璽を与える等の暴走を始めた。
孫権との戦いが続く中ゆえ短期で決着をつけんとした魏は、討伐軍として司馬懿を派遣するという本気を出し、それに応えた司馬懿に大敗した公孫淵は、司馬懿に捕まり、公孫恭を除く一族郎党全てを粛清されてしまったのだった。これが日本にも伝わったとされ、倭の卑弥呼が魏に使者を派遣した
(公孫淵が邪魔する必要あるか?そもそも介入できたか?といった異論もある。また238年の使者が特筆するものと魏に捉えられて魏志倭人伝に記載されただけで、それ以前でも魏と倭(もしくは倭のその他の勢力)でやり取りされていた可能性はある)。
ちなみに兄の公孫晃は弟の性格が分かっていたようで、公孫淵は必ず背くから自分を将軍にして征伐の軍を出してくれとたびたび上奏していた。中国史のパターンではこの場合は助かるのだが、公孫晃に限っては連座してしまい、やはり一族もろとも粛清されてしまう、本人もそのことが分かっていて息子ともども泣いたそうで、高柔や裴松之からも同情されている。この兄が当主であれば潰れることもなかっただろうに。
※その他「公孫淵」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
燕王を自称して司馬懿に討伐されるのも同じで、その際に、最初は和議を結ばんと相国の王建と御史大夫の柳甫を使者を送ったが、
貴様らは楚と鄭の故事を知らんのか?
私も魏帝から列侯に封ぜられた身、王建ごときに囲みを解け軍を退けと指図されるいわれはない。
王建は耄碌して主命を伝え損なったのだろう。次は若く頭の良い者をよこせ
と、王建と柳甫が司馬懿により斬殺されると、今度は、侍中の衛演を使者として人質を送って恭順する旨を伝えたが
降伏も出来ない奴は死ね。
人質など無用
として衛演も切り捨てられ、兵糧に困窮して城を捨てて逃亡しようとしたところを発見されて捕られた公孫淵は、一族郎党及び廷臣らと共に斬首され、都に出仕していた兄・公孫晃の一族も全員斬首となり、叔父の公孫恭以外の一族が全滅して、公孫恭の死と共に遼東公孫氏は完全に滅亡した。
死ぬタイミングを計れなかった武将と一族の末路が悲惨なのは洋の東西・国を問わず皆同じと言うことであった。
コーエーの三國志シリーズでは世界の端に位置する勢力、同じコーエーの信長の野望シリーズなら蝦夷の蠣崎季広と同じような感覚か。
世界の端から打って出るプレイをするにも強大な魏を相手にすることになるので、新武将を加入させるなど何かしらチートしないと苦しい戦いを強いられるだろう。
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
三國志II | - | 84 | 71 | - | 63 | - | - | - | - |
三國志III | - | 72 | 65 | 60 | 74 | 73 | 71 | - | - |
三國志IV | 76 | 77 | 64 | 60 | 74 | - | - | - | - |
三國志V | - | 83 | 59 | 67 | 74 | - | - | - | - |
三國志VI | 74 | 79 | 64 | 22 | 79 | - | - | - | - |
三國志VII | - | 78 | 58 | 55 | 64 | - | - | - | - |
三國志VIII | - | 73 | 56 | 48 | 63 | - | - | - | - |
三國志IX | 64 | 71 | 55 | 39 | - | - | - | - | - |
三國志X | 67 | 69 | 58 | 50 | 51 | - | - | - | - |
三國志11 | 65 | 70 | 56 | 35 | 55 | - | - | - | - |
▼遼東王はここから始まった。歴戦文化祭参加作品「遼東の王、公孫一族の盛衰」
▼iM@S架空戦記シリーズ「美妓皇帝」の伊織編に遼東公孫一族揃って登場。
遼東公孫一族の大望「アイドル全員俺の嫁」について特級変態紳士論を展開している。
公孫度
「ワシは正妻が律子ちゃんで妾に伊織ちゃんと千早ちゃんと真ちゃんな!いろいろ怒られてぇー!」
公孫康
「某はあずささん一筋ですぞ!」
公孫淵
「俺は雪歩と美希を嫁にして あえて雪歩の前で美希といちゃいちゃしてやるんだ!」
公孫恭
「私はやよいちゃんと亜美ちゃん真美ちゃんが・・・」
公孫康
「弟よ、それはなにかとまずくないか?」
公孫淵
「そもそも叔父さん性的不能じゃん」←実話
公孫恭
「ば、馬鹿者!何を言っているんだ、淵よ!嫁だけど性的な考えは抱かないのがアイドルへの嫁宣言であろう!」
公孫度
「恭の言うとおりだ。アイドルを嫁にするというのは清廉なものでなければならない!」
さすが遼東のひきこもり一族・・・ところで・・・わた、春香さんは?
▼愛称マイナーイナゴとして父・公孫康とともに登場し、「真の公孫家は我らぞ!」と言い放った。
※とのたまう公孫淵を窘めている。
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最終更新:2025/06/17(火) 01:00
最終更新:2025/06/17(火) 01:00
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