長谷川穂積とは、日本のプロボクサー。第26代WBC世界バンタム級王者、第42代WBC世界フェザー級王者、第31代WBC世界スーパーバンタム級王者である。
抜群のカウンターセンスとハンドスピードを武器とする左ボクサーファイター。
2005年に辰吉を破ったことで知られるウィラポンからタイトルを奪取した後、日本歴代2位となる10度の連続防衛に成功。また、5連続KO防衛も日本記録の6連続に次いで歴代2位の記録である。
名実共に日本ボクシング界を背負うエースであり、世界的な評価も高いボクサーである。
当初はディフェンスと手数を活かしてポイントを稼ぐスタイルであったが、世界王者となって以来は一撃必殺の威力を武器にKOを狙うスタイルへと次第に移行し、バンタム級での世界戦全12戦中7戦でKO勝利という成績につながっている。
特にV6からV10にかけては5試合連続KO勝利を収めており、その内容も2、2、1、1、4Rの序盤決着である。全て足しても世界戦のフルラウンドにすら満たない。日本人ボクサーが世界戦でKOを伸ばすことは近年では珍しく、長谷川の尋常ならぬ素質を示しているとされる。
特にカウンターの破壊力は凄まじく、ウィラポンとの再戦をカウンターのフックで一撃KOしたのを皮切りに、しばしばカウンターで強敵をリングに沈めてきた。V8のマリンガ戦で見せた一撃は「見本のようなクロスカウンター」と言われ、鈴木健アナの迷実況(「マグレッシブ」を参照)も相まってニコニコ動画上でも人気が高い。
小さい頃から元プロボクサーの父による英才教育を受けて育つも、スパルタ指導に反発して中学・高校では卓球部に入ってみたり、バンドを組んでみたりもしていたらしい。
高校を中退し、都会へ出るための口実づくりもあってボクシングジムに入門。次第に才能が開花し、プロデビューに至る。
デビュー直後はぱっとしない成績だったものの、その後着実に勝利を重ね、20戦目で世界初挑戦。絶対王者と名高かったタイの英雄ウィラポンに判定勝ちを収め、バンタム級王者となる。
その後も危なげなく防衛を続け、2009年12月のアルバロ・ペレス戦の勝利でその数は10にまで伸びた。
華々しい戦績の一方で、毎回10kg前後の減量が必要であり、本人にアメリカ進出の夢もあることから、階級転向も常々ささやかれていた。
2010年1月に「まだ最高のパフォーマンスを見せれていない」ということで、減量苦はあるものの今後もバンタム級に残留して11度目の防衛戦を4月に行うことが本人から発表された。そして2010年4月30日に日本武道館にて、3階級制覇を達成したメキシカンである、WBO世界バンタム級王者 フェルナンド・モンティエルを迎えて11度目の防衛戦(事実上の世界王座統一戦)を行った。
WBOは日本では未公認の団体なので、長谷川が勝利の場合はWBC王座のみ防衛(WBO王座は空位)となり、モンティエルが勝利の場合はWBO王座の防衛成功と同時にWBC王座獲得という変則的な形式となった。
試合はお互いが巧みなフェイントの掛け合いを行うという、近年稀に見るくらいのハイレベルな展開となり、3R終了時点のポイントではWBC王者の長谷川がほぼフルマークに近い形でリードしていたが、4R終了間際(残り10秒の拍子木が鳴った直後)、モンエィエルの放った左フックが長谷川の顎にクリーンヒットし、瞬間的に長谷川は意識を失ってロープ際に吹っ飛んでしまう。
そしてロープに手が絡まった状態でモンティエルの連打をノーガードのまま浴び続け、4R 2分59秒 TKO負けにより長谷川は11度目の防衛に失敗し、5年間保持してきた王座から陥落した。
試合終了後に顎が骨折していたことが判明したが、手術により快癒。
長谷川はモンティエルとの再戦を望んでいたものの、モンティエル側は渋り交渉は決裂。結局かねてから視野に入れていたフェザー級への転向(2階級アップ)を決意する。
転向第一戦はいきなりタイトルマッチとなり、WBCフェザー級1位のファン・カルロス・ブルゴスとの王座決定戦に臨んだ。25戦全勝18KOのハードパンチャーを相手に真っ向打ち合いを演じ、大差判定勝ち。2階級制覇を果たした。階級を飛び越えての制覇は日本人史上初の快挙である。
とはいえ本人にとっては満足のいく試合運びではなかったようで、「次は顔がキレイなまま勝ちたい」と語った。
しかしその言葉に反して、指名挑戦者ジョニー・ゴンサレスとの初防衛戦は序盤から激しい打ち合いになり、4R0分58秒TKO負け。現役続行宣言を出すまで4か月を要したこの試合以来、長谷川の長い苦難の日々が始まる。
フェザー級の維持と2度目の階級変更を両にらみしながら、キャッチウェイトでの試合を繰り返す。結局、3階級制覇を狙ってスーパーバンタム級に転向することに方針を固め、世界戦にこぎつけた時には王座陥落から3年が経っていた。そして迎えたIBFスーパーバンタム級タイトルマッチ。スペインのファイター、キコ・マルチネスの前に序盤から強打を浴び、顔面骨折の末7R1分20秒TKO負け。スポーツ紙も「引退」の見出しを掲げるほどの完敗であったが、それでも長谷川は現役続行を選んだ。
またしても階級を変えながら再起戦を行う姿はどこか悲壮感を漂わせるものがあり、「もう頼むからあきらめてくれ」といったようなファンの声も目立つようになった。2015年12月の試合などは結果こそ判定勝ちであったが、2度も痛烈なダウンを喫し、あわやタオルという内容。したがって2016年9月、初めて「負けたら引退」を明言して再びスーパーバンタム級タイトルマッチに挑むことになった時、これを「死に場所」と捉えたファンも多かった。
WBC王者ウーゴ・ルイスを相手に行われた試合は、両者バッティングによる減点などもありつつ、均衡した展開が続いた。試合が動いたのは9R。ルイスの強烈なアッパーをもらった長谷川がぐらつき、ロープ際での打ち合いになる。しかしこれを逆にチャンスと見た長谷川はルイスの拳を紙一重でかわしつつ、逆にストレートをヒットさせて反撃。ついには打ち勝ってリング中央まで押し返した。ラウンド終了後王者は立ち上がれず、目の腫れと鼻の出血により棄権、病院送りとなった。長谷川は実に5年半ぶりの王座返り咲きと共に3階級制覇を達成。35歳9か月での王座奪取は日本人最年長記録である。普段は世界戦に勝つと家族をリングに上げ、我が子を抱きかかえるのが定番であるが、この試合後は中学生になった息子に逆にリング上で抱き上げてもらい、「最高です!」と一言。大歓声を浴びた。
試合後は進退についてコメントを控えていたが、同年12月に王座返上と現役引退を表明。在位のまま引退するのは日本の世界王者としては異例のことであったが、理由として「自分が本当に強いのか証明するために戦ってきたが、もうその答えは出た」「9月の試合ぐらい気持ちを高められればまだ負けない自信はあるが、そこまで持っていくのが難しい」と述べた。
――デビュー当時の自分に会えるとしたら、どんな言葉をかけますか?
「君のボクシング人生は素晴らしいものになるぞ、と言ってやりたいですね。」
(引退会見にて)
ボクシングに限らずですが、試合の動画は消されることが多いためここに掲載することは控えます。
掲示板
40 ななしのうるちま
2014/04/26(土) 07:23:49 ID: XMQxNamZij
穂積ほんまありがとうな、やるかやられるかの刹那の試合やった。
そのうち消えてまう思うけど、このインタビュー心にグッときたわ。
ttp://p.tl/aBiq
あんたのこと見ていつも感じてたんは、
強いってのは、優しいってことなんやなって。
まだまだ人生は長い。 今はゆっくり休んでください。
41 ななしのよっしん
2016/09/16(金) 21:00:53 ID: HipZdP81yQ
お帰りなさい、長谷川王者!!
ちょっとの放送だったけどやっぱりあなたの試合面白いです。
現地で生で見た人がうらやましい。
なんというか相手の攻撃も当たるリスクありの距離で戦ってる感じがたまりません。
三階級制覇おめでとう。
42 ななしのよっしん
2016/09/17(土) 13:23:08 ID: TuFjy+TNKy
昨日の試合は動きもキレがあったね、今後どうするかわからんけど1回くらいは防衛戦してほしいな。
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最終更新:2024/04/26(金) 02:00
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