V1ロケット 単語

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ブイワンロケット

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V1ロケットとは、第二次世界大戦中にドイツ軍が実用化した飛行爆弾である。
正式名称はフィーゼラーFi103飛行爆弾巡航ミサイルの始祖的存在とされる。

概要

V1ロケットの原案は、1935年シュミット博士とマデルング教授が設計した人飛行爆弾の計画であった(研究自体はV2ロケットの方が先にスタートしていた)。1939年にはアルグス社のゴスラウ博士が同様の計画を提示し、計画の存在が軍部にも知れ渡った。

1940年バトルオブブリテンに敗れて面が丸潰れになったドイツ空軍は復の手段を模索。そしてこの人飛行爆弾の計画に着した。ちょうどその頃、ドイツ陸軍ではV2ロケット開発が進められていたが、「を飛ぶものは全て空軍の管轄」というトンデモ理論を展開している空軍にとって、陸軍が勝手に飛ぶロケットを造っている事は到底許せるものではなかった。そこで対抗を造ろうと、飛行爆弾開発に着手した。シュミット博士を経由してアルグス社の協力を取り付け、1942年に動力パルスジェットエンジン開発に成功。機体設計はゴウラス博士とフィーゼラー社が共同で行った。重なアルミニウムを節約するため、出来るだけプレス加工鋼を使用。重量を2トン程度に留めた。弾頭には900kgの炸が入れられた。パルスジェットエンジンの作動寿命は僅か30分で、最大航続距離250km、時速640キロの巡航速度で飛行する。

V1ロケットの売りは低コストであった。簡単に造る事が出来たため、V2ロケットより遅く開発スタートしたにも関わらず、先に実用化へと漕ぎ着けている。1942年12月24日、ウゼドムで最初の動力飛行が行われた。1943年中頃までには飛行距離が240kmに達し、標地点の800m以内に着弾できるようになった。これは当時としては驚異的な命中率である。この実験の成功でドイツ空軍は色めきだち、ただちに量産命が下った。これだけの航続距離があれば、フランスのパ・ド・カレー地方からロンドンを直接狙えた。V1ロケットは新たに編成された、マックス・ワハテル大佐率いる第155高射砲連隊に委ねられ、さっそく訓練を開始。それと行してトート部隊と呼ばれる4万人の隊員が、発射用カタパルト64基と予備32基の建造に全力を注いだ。これらのカタパルトは全てロンドンに向けられていた。計画では1943年12月に攻撃する予定だったが、生産が間に合わず延期となった。大立つカタパルト工事は到底隠しきれるものではなく、イギリス諜報機関によって位置を特定されて熾爆撃を受けた。直してもすぐに爆撃され、攻撃計画は全く進展しなかった。そこで第155高射砲連隊は、見えないようにカムフラージュした新式の発射台を生産。1944年4月には発射台も飛行爆弾作戦状態になった。

唸る飛行爆弾

1944年6月6日連合軍によるノルマンディー上陸作戦が開始された。この報に驚いたドイツ空軍は最終準備を急ピッチで進め、ついに6月12日に実戦投入。10基のV1ロケットが発射されたが、最初の一回だったため上手く行かなかった。4基のみがイングランドに到達し、ロンドンに着弾したのは1基だけだった。イギリス科学顧問であるチャーウェル卿は「大山鳴動してネズミ一匹」とV1ロケットの出来を馬鹿にした。ドイツ空軍は失敗を教訓に組織を改め、効率的にV1ロケットを発射できる体制を築き上げた。一日のうちに110発から140発を撃てるようになり、ロンドンに飛来するロケットの数は増加した。だが連合軍の侵攻により8月下旬頃には制圧され、発射数は減少。これを補うため、第三爆撃航空団第三連隊のハインケルHe177を投入。V1ロケットを搭載できるよう機体を改造し、ロンドンサウザンプトングロスターに向けて中から投下した。

しかしV1ロケットの飛行速度は640キロであり、戦闘機で迎撃可だった。イギリス軍は沿部に阻塞気球、対空砲、対ロケットを設置し、スピットファイアテンペストVといった高速戦闘機を準備。V1ロケット側に迎撃手段はく、一度発見されたら撃墜は免れなかった。また機のHe177もレーダーを避けるために間の低飛行をしなければならず、かなり危険であった。9月になると沿の発射拠点は全て陥落し、第三爆撃航空団もオランダからドイツ西部へと撤退。以降は航空機による発射が中心となっていく。本来カタパルトから発射するものを理やり中投下に切り替えたため、動作不良を起こすV1ロケットが全体の3分の1から3分の2に達した。あまりにも命中率が悪いので、イングランド南部だけでなく北部の都市も攻撃対になった。イギリス軍の迎撃により、1945年1月10日までに77機を喪失。残った101機も燃料不足から作戦を中止せざるを得ず、機上からの投下はこれで終わった。以降は改良して航続距離を増加させたV1ロケットを使用し、オランダから再びロンドンを狙った。V1ロケットによる攻撃は3月30日まで続けられ、275発が発射された。ところがイギリス軍の防体制により、ロンドンに届いたのは13発のみだった。この攻撃を以って、V1ロケットは使用されなくなった。

総生産数3万257発中、ロンドンに向けて放たれたのは9251発。このうち対空砲火で1971発、阻塞気球で278発、戦闘機による迎撃で1979発が撃墜されている。ロンドンに着弾したのは2419発とされ、残りは東南部に着弾したとされる。ここだけ見ると迎撃不能V2ロケットべて芳しくない戦果だが、実はロンドン市民恐怖のどん底に突き落としていた。パルスジェットエンジンから発せられる音は迎撃を容易なものにした一方、爆弾が着弾する前触れとして市民恐怖させた。その音から連合軍は「ブンブン爆弾」と呼称していた。当初、V1ロケットがドイツ軍兵器だとは分からず、イギリス軍機に撃墜されたドイツ軍機が落ちてきたものと考えられていた。しかし何度も落ちてくるうちにドイツの新兵器だと知った。

何度も飛来するV1ロケットに不安を覚えたイギリス政府は、人口密集地から市民を遠ざける政策を発表。毎日のように市民電車外へと避難し、最終的に200万人がロンドンを脱した。多くの人命を救ったが、消火をする人がいなくなった1500戸の屋と5万4000戸の民家が破壊された。最終的には死者は6184名、負傷者は1万7981名にのぼった。ロンドン市民悪夢はV1ロケットだけでは終わらなかった。入れ替わりに迎撃不能V2ロケットが飛んでくるようになり、その発射施設が制圧されるまで怯え関連作品

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