381
31 ななしのよっしん
2012/07/18(水) 20:56:47 ID: 2Rb6ghT+Rn
32 ななしのよっしん
2012/07/28(土) 11:04:01 ID: gUgLmZEFvx
33 ななしのよっしん
2012/08/25(土) 06:58:36 ID: TT8hC9bfWa
>>12
まぁ頑張って薩摩から駆けつけたら、味方から戦力外通告された上戦場で孤立おまけに退路無し、この状況で全滅しなかっただけでも相当なもんだがな。
34 ななしのよっしん
2012/10/16(火) 21:43:33 ID: 27yzfiEQjf
いっそ本陣に突っ込んで家康の首を取る方が楽なんじゃないかとすら思える
35 ななしのよっしん
2012/10/22(月) 21:24:38 ID: jjjys4ZKzd
36 ななしのよっしん
2012/12/11(火) 22:10:50 ID: W+n9vxZnef
負け戦なのに派手に喧伝し過ぎ
井伊直政だって死んだの二年も後だし、ほとんど過労じゃん
37 ななしのよっしん
2012/12/11(火) 22:57:24 ID: 0JZa/jPWmY
38 ななしのよっしん
2012/12/12(水) 11:45:57 ID: inN7LI2ECw
同じ負けて逃げ帰るにしても、派手なことやっといた方が戦後処理で有利な交渉ができるという計算もあったのではないかと。
39 ななしのよっしん
2012/12/13(木) 03:29:16 ID: W+n9vxZnef
つまりパフォーマンスか
でもその為に弟の遺児を死なせるのはどうなのかなぁ
40 ななしのよっしん
2012/12/13(木) 06:20:32 ID: mBO1XcDXRa
単なる降伏だと領地失うどころか家の取り潰しもあり得たからな
牙を見せずに終結してしまった毛利家の悲運を見れば退き口の選択は間違いではなかった
41 ななしのよっしん
2012/12/13(木) 07:23:46 ID: MDbNFeWowd
>でもその為に弟の遺児を死なせるのはどうなのかなぁ
家を潰すよりはマシ
何よりもまず家を守るのが武士
負けるにしても負け方がある事を知らないようですな
42 ななしのよっしん
2012/12/13(木) 07:33:34 ID: yf+SeMGcrc
立花宗茂なんて嫁が東軍につけと懇願したのに西軍について
結局関ヶ原には参加できずに帰って降伏したら家取り潰しだったしね。
で、このダイナミック帰宅成功の裏には、朝鮮での大活躍を知ってる連中が
福島正則が抜かれた以外は誰も動かなくて、朝鮮の事を直接しらない徳川の
譜代連中しか追撃してこなかったからというのもあるらしい。
結局、家康も、大坂の事があったからにせよ薩摩で防備を固めた島津には
何の沙汰なく許してるから(毛利涙目)、強さを目に焼き付けさせるのには
大成功したのかなと。
43 ななしのよっしん
2012/12/13(木) 22:24:52 ID: W+n9vxZnef
>>41
そもそも負ける側に着いたのは誰の判断だよ
盛親みたいな世間知らずの若輩ならともかく
義弘のキャリアであの判断はどうなのよ
戦後交渉を仕切ってるのも別に義弘じゃないし
44 ななしのよっしん
2012/12/14(金) 10:01:06 ID: mBO1XcDXRa
>>そもそも負ける側に着いたのは誰の判断だよ
小早川らの内通なんかを全部看破できる後世の人間や神の視点があればな
ついでに言えば門前払い喰らって着かされたんだぜ
戦後交渉を思えばあの窮地で現場の判断は正しかったろうよ、哀しみの毛利やらを見てみろ
45 ななしのよっしん
2012/12/14(金) 11:47:30 ID: MDbNFeWowd
>そもそも負ける側に着いたのは誰の判断だよ
あの時点でどちらが勝つかなんて判断下せる奴なんて居ないよ
そもそも関ヶ原の戦いは当時としても異常な決着のつき方をしているんだよ
あんな短期間で勝敗が決するなんて誰も判断できないよ
なんというか当時の状況や武士特有のものの考え方を完全に無視した考え方だよね
そもそも島津が称賛されるのは、あの絶望的とも言える負け状況で作戦を実行、成功させた事にあるのよ
元々1500人でスタート、包囲時に300人の時点で士気が崩壊してまともな行動が取れないのが普通なの。もうこの時点でおかしい(褒め言葉)
攻城戦で守りについていた側ならありえるけど、野戦でこの状況は完全におかしい
それ以降の行動にについては説明済みなので書かないけど、この奮戦ぶりが賞賛されているのだよ
敗北側についたことが賞賛されているわけではない。したがって君の指摘は見当はずれも甚だしい
46 ななしのよっしん
2012/12/14(金) 11:57:33 ID: dJFuhEYoKk
自分は鹿児島出身だから、島津の話はいろいろと聞いてたけど、この話はすごいと思うしね。
かくいう自分も、3年前に母親が運転する車に乗ってるときに交通事故にあって車が横転しちゃったことがあるんだけど、その時は自分はほぼ無傷で脱出して、妹と母親も無事脱出できたんだけど、「普通の事故なら死人が出てる」って父親が言われたくらいだもん。
(乗ってた車は助手席がへこんでいて、かつ自分が乗っていたのは助手席だった)
そう考えると、薩摩人がどんだけ丈夫なんだよって突っ込みは間違いじゃないんだよね。
それに、この間中央競馬の騎手で最多騎乗記録を更新したのも鹿児島出身の騎手だし、鹿児島人って実は相当丈夫なんだねって思ってしまった。(そういえば、日本一の長寿の人も鹿児島の人だったような……)
だからこそ、この時の島津の行動の異常さが目立つわけだけど、そういうところから血をひいてるかもしれないんだなって思うと、自分は誇りに思うけどね。
しかし、この島津の退き口はいろんな意味で伝説に残るんだろうなあ。
鹿児島出身として語り継ぎたいと思いますよ。
47 ななしのよっしん
2012/12/14(金) 12:15:06 ID: cVEINXRMwR
語り継ぐのは良いけど、あまり美化しすぎると当然反発を生むということをお忘れなくね。
逆もまた然り、反発をすれば余計美化されてしまう。
こういう評価の変遷ってのは結構あるんだけどね。
戦国時代の人物なら徳川家康とかその際たる例だし。
48 ななしのよっしん
2012/12/14(金) 12:26:35 ID: LjF4MOiUsr
島津の退き口って、九州帰宅まででいいのかな?
関が原をダイナミックに脱出後も、これまた大変なんだよね。
堺までの帰路、人質救出、海路は海賊に追われたんだっけ?
関が原だけにポイントがおかれてそれは当然なんだけど、
その後のいきさつも地味にきつい話だと思う。
49 ななしのよっしん
2012/12/14(金) 12:32:46 ID: yf+SeMGcrc
>>43
島津義弘は徳川家康と誼を通じていて、伊集院の件で恩を感じてたから
何かあった時は援軍にかけつけるように要請されてたし応えるつもりでいた。
しかしいざ石田三成決起となって、西国唯一の徳川の出城である
伏見城に援軍として入ろうとしたら城代の鳥居元忠が入城をこばんで
鉄砲までうちかけてきた。
そのうち西軍が伏見に接近して事と、鳥居の仕打ちに「バカにするな」って
事になって伏見城を落としちゃったから西軍についたんだよ。
他の人も言ってるし、アメリカの陸軍のえらい人も関ヶ原は西軍の勝ちって
言ってるのがひっくりかえるんだから、序盤戦で趨勢なんか解るもんかね。
んな事言うならそもそも三成が義弘の意見を採用してれば勝てたかもしれんともいえるしな。
無知を自慢する前に調べることだ。
50 ななしのよっしん
2012/12/15(土) 14:36:48 ID: W+n9vxZnef
>>49
>>アメリカの陸軍のえらい人も~
アメリカじゃなくてドイツ陸軍だろ
鳥居とのやり取りも島津側が言ってるだけで、死人に口なしだな
51 ななしのよっしん
2012/12/15(土) 17:55:44 ID: qKCaIs0xrQ
あの頃の義弘の書状を見ると当時の義弘は国元に
「兄ちゃんお願いだからもっと兵送ってくれよ!」って懇願してるのが目立つね。
どっちにつくにしても、兵力が不足してたことを歯がゆく思ってたんだろうなあ。
あと、三成が義弘の夜襲案蹴ったとか義弘と三成が不仲で
義弘は嫌々西軍についたって話はどうも後世の創作っぽい(出典元が江戸時代中期以降のもの)
ここら辺の事は島津氏を研究してる桐野作人氏が詳しいけど。
ただ、この島津の退き口が当時としても相当インパクトあるものだったのも事実だろう。
52 ななしのよっしん
2012/12/17(月) 21:08:49 ID: dJFuhEYoKk
>>51
これ、無茶苦茶なオチなのが島津氏への処分だよなあw
家康は処分する気満々だったはずだけど、島津は「俺達悪くねーし」とか「金ないから上洛できない」とか、挙句の果てには「本領安堵が確約されなきゃ、京都は行かないよ!」って感じで、いろいろと無茶を言ってるんだよね。
結果的に、その無茶は通ったわけだけど、家康にしてみたらホントは残したくなかったのが島津だったと思う。
だから、家康の遺体は西ににらみを利かすように埋葬されてたんじゃなかったかな?
最後には、その家康の不安は260年後に当たるわけだけどね。
そう考えると、この島津の退き口ってインパクトだけじゃない。
むしろ、島津への脅威を全方向に与えたのが実際の功績なんじゃなかろうか(もちろん、朝鮮に行ってた大名には与えてたでしょうが、それ以外の大名にもって意味でね)。
53 ななしのよっしん
2012/12/18(火) 20:34:00 ID: W+n9vxZnef
260年後とか、それこそ結果論に過ぎる
200年以上先の事象を根拠に業績を否定される歴史上の偉人とかいねーよ
54 記事作成乙
2012/12/23(日) 21:44:33 ID: EoMI8cbB7A
>>50 ドイツだけじゃなくてアメリカやイギリスとかの西側の軍の将官たちも関ヶ原の布陣の図みて、みんな西軍が勝つっていってたんだよ。
55 ななしのよっしん
2012/12/24(月) 14:05:28 ID: KJ5f2eB0a4
(本体は無傷)な忠勝クッソ吹いたw
56 ななしのよっしん
2012/12/25(火) 11:54:40 ID: LjF4MOiUsr
ID: W+n9vxZnef
記事ができて割と初期からレスをされてますが、
知ってて書き込みしてるのか、
無知を撒き散らしているのか、
どっちにしても
荒れるように頑張って書き込みしてますね、釣れますか?
57 ななしのよっしん
2012/12/25(火) 21:36:05 ID: W+n9vxZnef
>>54
具体的なソースよろしく
>>56
別に事実とかけ離れた事を言ってるわけじゃないのに
何処に荒れる要素がある?
訂正を求める箇所があるなら具体的に言ってみ?
58 ななしのよっしん
2012/12/29(土) 00:35:13 ID: wM0tNeSi0i
見当違いなこと言ってドヤ顔してたら普通荒れます
訂正を求める箇所もなにも上で否定されまくりじゃあないかな?w
(本体は無傷)じゃねえよ なんで落馬して無傷なんだよふざけんなw
59 ななしのよっしん
2012/12/29(土) 01:04:47 ID: fDtxBs4sjI
>>50西軍が勝つと予想したのはドイツから日本の陸軍大学に教官として招かれたメッケル少佐ですね。
60 ななしのよっしん
2012/12/29(土) 01:27:26 ID: +5xlE0+HcM
>>58
擦り傷、小さな切り傷、軽い打撲
戦場でこの辺は『負傷』に数えられないだけでしょう
忠勝は落馬しても、擦り傷と軽い打撲程度のダメージしか受けてなかった=無傷という扱いなのかも
…いや、マジレスとはお恥ずかしい
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