パパイラス(Papyrus)とは、1920年生まれのイギリス生産・調教の競走馬・種牡馬である。
現役の英国ダービー馬として初めて大西洋を渡りアメリカに挑戦した。
父Tracery 母Miss Matty 母父Marcovilという血統。
父TraceryはセントジェームスパレスS、サセックスS、セントレジャーS、エクリプスS、チャンピオンS優勝とマイルから長距離まで走った一流馬で種牡馬としても成功した。
母Miss Mattyは未勝利馬。
母父Marcovilは8戦4勝で7ハロンと9ハロンのステークスウィナー。
パパイラスはノッティンガムシャーのジョン・ロビンソン卿によって生産された。パパイラスは中型で額に星を持った上品な馬だったという。
1歳時にパパイラスはドンカスターセールで3500ギニーで豪農ベンジャミン・アイリッシュの代理人のバジル・ジャーヴィス調教師に購入され、ニューマーケットで訓致を受けた。
パパイラスは仕上がりが早く、ロイヤルアスコット開催のニューS(現:ノーフォークS)ではTown Guardの3着に敗れたが、クリテリオンSでそのTown Guardに勝利した。その他にプレンダーガストSやルースSなどに勝利し、この年で8戦6勝を挙げたが、このときはまだジムクラックSなどに勝利したTown Guardがこの年の最高の2歳馬とみなされていた。
パパイラスはTown Guardへのダービーでの再戦に備えて十分に冬期休暇を取った後、5月2日の2000ギニーSから始動した。しかしここでは調整不十分なこともあって4着に敗れた。その後ダービーに向けてチェスターでのダービーと同距離の12ハロンのチェスターヴェースに出走し持ったまま3馬身差で楽勝した。
本番のエプソムでのダービーステークス、この年は寒くて霧がかかった天候のため「オーバーコートダービー」と呼ばれるようになった。ウェールズ皇太子を含む25万人が見守る中、レースでは最後の直線でパパイラスとPharosの2頭が抜け出したが、壮絶な死闘のあとPharosが力尽き1馬身差でパパイラスが勝利した。3着にはこの年の凱旋門賞馬Parth、Town Guardは着外に敗れた。パパイラスに騎乗したドノヒュー騎手は1921~1922年に続くダービー3連勝を飾ることになった。
8月になってパパイラスはアメリカ最強馬とのマッチレースを受け入れることが発表された。現役の英ダービー 馬が大西洋を渡るのは初のこととなった。
8月28日に行われたデュークオブヨークSではパパイラスがCraigeleyrにアタマ差で敗れたが、ドノヒューが1位入線馬Craigeleyrの「強引な進路取り(boring)」を理由に異議を申し立て、これが受理され1着に繰り上がった。
2週間後のセントレジャーではレース中に複数の切り傷を負い、最後の直線でParthと叩き合っているところを牝馬Tranquilに差され2着に敗れた。
アメリカの代表馬は10月6日にケンタッキーダービー・ウィザーズS・ベルモントS優勝のZev(ゼヴ)に決定していた。またZevとのマッチレースは10万ドルに膨れ上がっていた。
10月20日に行われるベルモントパークでのダートのマッチレースに備えるため、セントレジャーを終えた陣営は船にジャーヴィス調教師とドナヒュー騎手、2人の馬丁、帯同馬Bargold、厩舎の猫、そして特別な飼料を乗せ旅立った。しかしやはりここまでしても長旅と初のダートもあって不安視された。7万人の観衆が押し寄せたレースではスタートは互角だったが、慣れない不良馬場のダートからだんだんと後れを取り、さらに先行したZevの土を浴びて戦意喪失。5馬身差で敗れることとなった。この後英ダービー馬がアメリカの競走を勝つのは45年後の1968年Sir Ivorまで待たなくてはならない。
シーズンの終わりにはパパイラスはアイリッシュ氏からジョン・ホーヌング氏に売却された。
この年の最初のレースではPoisoned Arrowに敗れた。アスコットゴールドカップではフランス調教のMassineにはるか後方の着外に終わった。エクリプスSでは3歳馬Polyphontesの2着に敗れた。ニューマーケットでのジョッキークラブカップでは半馬身差で牝馬のTeresinaに敗れたが、凱旋門賞馬Parth(3着)には一応先着した。関係者はこの年は半分の力も出せていないと語った。そしてこの年で引退することとなった。
通算18戦9勝。
パパイラスはサセックスのグリンステッドスタッドで供用された。種牡馬としてはそこそこの成功を収めたが大物は出てこなかった。ポーランドジョッキークラブから購入の申し出があったが、ホーヌング氏は断っている。1940年にホーヌング氏が死去したときに遺言通りジャーヴィス調教師が引き取り、パパイラスはその翌年の1941年に死亡した。
初年度産駒でいくつかのステークスを勝利したOsirisがその後大西洋を渡ったカナダで4回のリーディングサイアーとなった。
またパパイラスはPrincequilloの母父となり、それを通してSecretariat、Sham、Kris S.などの祖先となった。Shergarの血統表にも名前が残っている。
Tracely 1909 黒鹿毛 |
Rock Sand 1900 黒鹿毛 |
Sainfoin | Springfield |
Sanda | |||
Roquebrune | St. Simon | ||
St. Marguerite | |||
Topiary 1901 黒鹿毛 |
Orme | Ormonde | |
Angelica | |||
Plaisanterie | Wellingtonia | ||
Poetess | |||
Miss Matty 1914 黒鹿毛 FNo.16-f |
Marcovil 1903 栗毛 |
Marco | Barcaldine |
Noyitiate | |||
Lady Villikins | Hagioscope | ||
Dinah | |||
Simonath 1905 鹿毛 |
St. Simon | Galopin | |
St. Angela | |||
Philomath | Philammon | ||
Chrysalis |
クロス: St. Simon=Angelica 3×4×4(25.00%)、Hermit 5×5×5(9.38%)、Solon 5×5(6.25%)
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最終更新:2024/12/21(土) 23:00
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