神クソアニメとは、新次元へ到達した何かである。
「クソアニメ」。この言葉はアニメを貶めるストレートな言葉……と思われがちである。
だが、クソアニメという言葉には他の「駄作」といった評価とはまた異なる、一種の趣が生まれている。
誰もが認めるクソアニメとしては『MUSASHI-GUN道-』などが挙げられるだろう。詳細は該当記事を参照して欲しいのだが、ただの「駄作」にこれほどのカルト的人気が集まるだろうか?
そう、クソアニメとはストレートな罵倒以外にも、褒め言葉として使われる場合があるのだ。「いわゆる良作、アニメとしてよくできた作品と比較すると確かにクソとしか言いようがない存在ではあるが、毎週見てしまう」「だんだん中毒になってきた」「もうこのアニメなしでは生きていけない」などの症状を発させるような危ないアニメが多々ある。中毒者たちは感嘆をこめて、こう呟くのだ。
「ああ、クソアニメだ」と。
だがこれでは単純な罵倒としての「クソアニメ」なのか、賛辞や愛を込めた「クソアニメ」なのか非常に分かりづらい。 荒れる原因にもなりかねない(というか実際なってる)。そこで新たなる基準、矛と盾、清と濁を同時に咥え込む、最高の賛辞としての称号が生まれたのである。
それが、「神クソアニメ」である。
このタグが付いているアニメは愛されていると言ってもいいだろう。
愛されてはいるが、「単純に良作」だと思っている人との間でまた軋轢が生まれる可能性もあるので、使用の際には注意が必要である。
では、どのようなアニメが具体的に「神クソアニメ」なのだろうか?
関連する表現には「バカアニメ」「上級者向けアニメ」「超越者向けアニメ」「変態アニメ」「B級アニメ」などがあるのだが、「神クソアニメ」はこれらの概念の一部あるいは複数を含んだ、より抽象的なものであると考えられる。 特に「バカアニメ」「上級者向けアニメ」「B級アニメ」が比較的近いと思われるが、「製作者本人はいたって真面目」な場合や、「作画等のクオリティに関しては非常に高い」場合もあり、一概には語れない。
特に「上級者向けアニメ」はなかなか難しく、少し前にアニメ『惡の華』助監督が『あいうら』を「上級者向け」と表現した事例があった。 『惡の華』が「変態アニメ」に属することは間違いない。だが「あいうら」はどこに属するのだろうか?やはり上級者向けだろうか?そして、この二つのアニメは「神クソアニメ」なのか?視聴者の判断に任せる。前者は神クソアニメとは言えないが、後者は神クソアニメに近いと編者は思う。
実際問題、「神クソアニメ」が定着しているとは言いがたく、むしろ「クソアニメ」単品で使われることが多い。「神クソアニメ」の初出は不明だが、twitterで検索してみると2010年8月の段階で既に使われている。ニコニコのコメントで「クソアニメ」を見かけたときは、こき下ろすつもりなのか「神クソアニメ」の意味で使われているのかを冷静に見極めよう。例えば「クソアニメwwwww」と「これクソアニメだな」では、全く「クソアニメ」のニュアンスが異なると言えるだろう。
まあ、とにかく……
楽しんだもんの勝ちである。
そして、奴が来た。
聖剣使いの禁呪詠唱(ワールドブレイク)、通称ワルブレである。
このアニメの登場は、神クソアニメ界に大いなる衝撃を与えた。
例えば、DMMニュースでも『中二病クソアニメか確信犯か!?「聖剣使いの禁呪詠唱」が謎すぎる』という記事が投稿され、そこでは以下のように同作品は語られている。
全部マジである。この記事の投稿者、こき下ろしながらも結構な愛を持って同アニメを観ている。
同作品は例えば『ボボボーボ・ボーボボ』や『探偵オペラミルキィホームズ』のようにおバカな空間が繰り広げられるギャグアニメでは決してない。……いや、バカなのだ。バカなのだが……「バカアニメ」と呼ぶのは少し違う(気がする)。
「全く面白さが分からない」という感想と「腹筋がヤバイ」という感想、評価は概ねこの二つに分かれている。
整合性を求める者に怒りを、果て無き地平を求める者に笑いを……
納豆やくさやのような強烈な臭いを放ち、捉えられた者は逃れられず中毒に陥る。
そう、これぞまさに……
「神クソアニメ」なのだ。
あまりに衝撃的な登場を果たしたこのアニメは、多くの視聴者の腹筋をワールドブレイクし、神クソアニメ界に清涼な一陣の風を吹かせたのである。
今後の同アニメの活躍に期待を禁じ得ない。
Twitterにて以下の様なツイートが投稿され、4000以上ものRTを叩きだした。
あまりにも暇なのでクソアニメ診断作った。6個以上該当でクソアニメ。あなたの推しのアニメは大丈夫? pic.twitter.com/rv94XHIfwS
— えふにゃん (@reva_nira) 2015, 2月 17
貼り付けられた画像の中にあるリストは、以下の様なものである。
1.学園系かつ能力系である
2.何らかの事情で世界がヤバく、それに関わっている
3.主人公は特別な人間である
4.古い知り合い、初対面から何故か主人公の事が好き、初対面で何故か主人公を敵対視、いずれかの転校生が存在する。(主人公が転校生の場合いずれかがクラスメイトに居る)
5.女の子と同じ部屋または家で生活している
6.特に努力をした訳でもなく主人公が覚醒するシーンが1回以上ある
7.敵の時はやたら強かったが味方になると特に見せ場の無いかませキャラが存在する
8.世界を選ぶか1人の女の子を選ぶかみたいなシーンが存在する
9.主人公は特に理由もなく3人以上の女の子に好かれている
このリストは大いに議論を産んだ。例えば、『魔法少女まどか☆マギカ』は以上の条件にかなり当てはまっているにも関わらず、「名作」と認識されているではないか、などなど……。
このリストを作った「えふにゃん」氏は今期の神クソアニメ5本(聖剣使いの禁呪詠唱、銃皇無尽のファフニール、アブソリュート・デュオ、新妹魔王の契約者、ISUCA)のファンであり、その共通項からこのリストを発想したそうだ。
これが何を意味するのか。
このリストが意味するのは、『涼宮ハルヒの憂鬱』以降ライトノベル、アニメ世界が直面してきた「学園系」「異能系」の終着点(限界)なのである。悪く言えば「粗製濫造」とも批判されかねないような「同じような設定」がよく見られるというのは、特にライトノベル系のアニメでよく見られてきた光景である(「石鹸枠」の記事も参照)。
やはりライトノベル自体が「厨二病男子」という存在を大いに対象にしている以上、「厨二病男子的性欲」とこれらの設定は切り離せない。『魔法少女まどか☆マギカ』が全くこのリストによって分析できない理由があるとしたら、厨二病男子的な性欲が作品内に存在しない点にあるだろう。
閑話休題。
つまるところ、上記のリストは現状の「よくあるラノベ」リストであると言い換えてもいいかもしれない。
さて、「よくあるラノベ」と「クソアニメ」、あるいは「神クソアニメ」がどのように繋がるのだろうか。
極めて単純に言えば、「また似たような展開、設定かよ。(悪い意味で)クソアニメだな」という評価を得やすいのが、上記の特徴を備えたアニメであると言うことも出来るだろう。
だが、編者はそれが全てであるとは到底思えない。むしろ、そういった認識で「クソアニメ」という言葉が使われることは少ないのではないか?(編者の主観が大いに入ることを許して欲しい)
この「よくある展開リスト」に描かれる展開は、限界点にある。ジャンルとして飽和地点まで来ているのだ。例えば、「パンをくわえた女の子と曲がり角でぶつかる」は、現状では「ベタさ」を視聴者や読者に提示するメタ要素、ギャグとして以外作品で描かれ得なくなっている。
同様に、限界を迎えた上記の「リスト」にある要素も、その一部が誇張され、戯画化され、あるいは突き抜けてゆく。例えて言うなら『魔法科高校の劣等生』は、上のリストにある3番「主人公は特別な人間である」という要素をあまりに突き抜けさせた結果、清涼な笑いを産んだ作品として記憶に新しい。
さて、当記事でも扱っている『聖賢使いの禁呪詠唱』はいかがであろうか。
そう、全ての要素が誇張され、戯画化され、突き抜けているのだ。これは明らかに意図的なものであり、罵倒の意味で「クソアニメ」と呼ぶのは適当ではないだろう。
だが。……そのバカバカしさに送られる好意を持った言葉が、今のところ生まれていないのである。
「(神)クソアニメ」という言葉を除いては。
結論を言おう。
「(神)クソアニメ」は罵倒かもしれないし褒め言葉かもしれない。しかし、もう一つの側面を同時に持ち合わせているのだ。
「ジャンル名」という側面である。思い出してみて欲しい。皆さんの中にもジャンル「クソアニメ」として表現できるアニメが幾つかあるのではないか?
日常系、セカイ系という言葉のように、作品を批評するための言葉として立ち現れる「クソアニメ」という言葉。
時折「クソアニメ」という言葉の内包する宇宙に思いを馳せてみて欲しい。きっと、貴方の眼前に深遠なる世界が広がるであろう……。
あったらいいのにな。
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最終更新:2024/05/25(土) 05:00
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