本記事では2を解説する。元は区別と同じく中立的な意味だったが、近年は不当なものを差別と呼ぶことが多い。ここでもそれに倣ならう。
減らすべき理由
その社会の現在の価値観に反していて減らすべきことが「不当」と呼ばれる。差別は一般に不当なものを指すので、減らすべきとなる。大多数の人は昔なら苦境に立たされていたはずで(昔は貧富や身分で下位の者が大多数)、現代の価値観による差別削減の恵みを深く受けている。
必要?減らさなくていい?
「差別は必要」「差別は減らさなくていい」と思う人は、差別ではなく別の概念を考えている。
例えば差別と言えば「ポリコレで騒がれること」と思うかもしれない。しかしそれは「差別かどうか」「差別削減のためになるか」を問うべきもので、差別自体を軽んじるべきではない。
自分・家族・友人とか自国民の重視や優先を、差別だと考える人もいるかもしれない。しかし、それは今の価値観で不当とされていないので差別ではない(あまりに極端だと不当だとして差別になる)。仲間をいくらか優先することまで差別だと思うなら、現実とかけ離れた価値観を前提してしまっている。また、特別な相手との関係が生む価値(愛情等)も重要なので、不当で差別とすべきかは理論的にも疑わしい。
言い換えれば、差別ではない事柄を差別だと主張する者の存在がこういった主張の根底となっている。
なくならないから削減努力もいらない?
差別がなくならない(ゼロにならない)ことは、削減努力が無意味という結論にはつながらない。事故や病気や凶悪犯罪がゼロにならないからといって、安全運転や体調管理や犯罪防止が無意味にはならない。たとえゼロにできなくても、現状を維持したり少しずつ減らすための努力には意義がある。
相対的だから無意味?
「他の時代や他の社会で正当」だから「現代のこの社会でも正当」とはならない。また、社会の価値観は変わっていくが「変わったから間違い、無意味」ともならない。一方で、他の価値観も参考になりうる。
個人の価値観で考えるとわかりやすい。他の人と違うから間違いだとはならない。経験を経て変わったから今の価値観は間違いだとか無意味だともならない。価値観には個別性と歴史性があるのである。また、他の人と対話して互いの価値観に影響を与え合うのもおかしくはない。自分が直接経験していないことも想像したり学べるのが人類である。
定義
差別は次のように定義できる(野口道彦大阪市立大学名誉教授によるもの)。
差別の定義は難しいと言われるが、これなら概ねカバーでき、わりと分かりやすいと思う。
(1)は、個性による区別に見えて社会的カテゴリーによる差別が入っている場合などがある。
(2)「合理的に考えて状況に無関係」かは意見が割れやすいが(1)や(3)とごちゃ混ぜになっているよりはずっと見通しがよくなるだろう。問題の切り分けは大切である。
もし差別ではなく適切な区別なら、取り払うと逆に弊害が生じる。
具体例
先の定義を簡潔な表現にして考えてみる。
- (1)個性でなく属性によって
- (2)的外れな理由で評価して
- (3)違う扱いをすること
(1)+(2)なら偏見、(1)+(3)なら属性による正当な区別、(1)+(2)+(3)なら差別となる。
未成年は選挙権がない:区別
(1)年齢という属性により、(3)選挙権を与えないという違う扱いをしている。
しかし(2)的外れな理由は当てはまらない。未成年より成人のほうが社会を知っているという的確な理由があるからである。
個人差を踏まえて試験で選挙権を与える案もあるが採用できない。勉強の環境や資質で選挙権の得やすさが変わってしまい、国民全員が平等な権利で選ぶことによる政府の正統性が揺らいでしまうためである。
20歳未満の酒・煙草禁止:区別
(1)年齢という属性で、(3)違う扱いをしているが、(2)的外れな理由が当てはまらない。子供は判断力が不利なので大人の判断も入れるべきだし、成長期はアルコールやニコチンの有害性の影響が大きいので、許可しない理由として的確である。
男性が女性より筋肉への負荷が高い役割を任される:区別・差別
(1)属性による(3)違う扱いは当てはまる。
(2)的外れな理由が当てはまらない。男性は女性より筋力が高いため、筋肉への負荷が高い役割を任せるのは妥当な役割配分である。よって区別である。
ただし、男女の筋力差を問題にするほどでない場合は、(2)的外れな理由も当てはまり差別となる。同じ待遇なら高負担な男性が不利となり、給与などで差がつくと一部の仕事を任されない女性が不利となる。
採用時の資格・経験・世代の影響:区別・差別
(1)属性による(3)違う扱いは当てはまる。(2)的外れな理由かが問題となる。
資格・経験・世代が業務に関わるものなら、的確な理由のため区別である。業務との関連が不明な資格・経験とか根拠なき世代評価が採用・不採用に影響すると、差別に当たる。
恋人や夫婦間の性別役割分担:区別・差別
ここでは差別という概念を問題の分析に用いるが、話し合うときなどは、差別という批判的な色を帯びた言葉は避けるべきかもしれない。それで思考が硬直化したら本末転倒である。
なお協力関係でも利害対立は生じうる。親しき仲にも礼儀ありと同様に、正当性は安定した深い関係を築くのにも重要だろう。また(2)的外れな理由に基づく分担は不合理な選択であり二人にとって損である。
さて、(3)違う扱いは当てはまる。(1)属性によるか、(2)的外れな理由か、を考える。
互いの個性や事情で決めた分担なら(1)属性によるものではなく区別である。社会の扱いや身体的要因等から(1)属性で判断しても、二人の価値観に合っていて合理的なら(2)的外れな理由ではなく区別である。
頭の中のイメージから性別で区切って判断し、現実の自分や相手を十分に見て決めていない場合、互いにとって長期的によくないだろう。
例えば性的なことは伏せられるため偏見がありがちかもしれない。互いを大切にするなら、望みや気持ちが伝わるよう上品でも遠回しでも伝え方を工夫していくこと、伝え合うことの重要性を確認し合うべきだろう。個人的事情は人それぞれで、理解を深めていく積み重ねが欠かせない。
差別の概念で考えたが権力闘争のような発想が適さないのはもちろんで、互いを生かすという芯を持ち、互いに判断を柔軟にしていくべきものだろう。
ハラスメント
差別があろうとあるまいと、本人の意に反することを強いるハラスメントは許されない。男女のどちらにも公平に暴力を振るうことは、暴力を正当化しないように。
男性嫌悪、女性嫌悪(ミサンドリー、ミソジニー):?
(1)性別という属性で分ける点は当てはまる。しかし(2)的外れな理由と(3)違う扱いは、いろいろな意味で用いられる言葉なので一概には言えない。
嫌悪や愛好の感情を内心で持つのは自由で、それだけなら(3)違う扱いにはならない。差別どころか区別とも言えないが、(2)的外れな理由による偏見で好き嫌いの感情を持つことはありうる。
ただ、好き嫌いの感情を伝えたり態度に出すことは、やり方や状況により精神的な加害にもなるだろう。そうなると(3)違う扱いにも当てはまって差別となる。
業務に支障が無いのに、自分の男性・女性への好き嫌いの感情で採用を判断したら、(2)的外れな理由で(3)違う扱いとなり差別である。業務に影響しそうな事情があれば(2)的外れな理由でないかもしれないが、内容によっては個人的な偏見や感情を仕事に持ち込んだことになり、社会的に許容されないだろう。
言論や創作など不特定多数への表現では、虚偽・偏見の拡散や差別の肯定がなければ好き嫌いを述べても問題なく思える。しかし実際は、虚偽や偏見は無自覚なので拡散を避けられない。また、性別への好き嫌いを述べると、自分で選べないアイデンティティを一方的に肯定・否定することになり、人々を感情的にしばって苦しめ反発される(人類の半分なのでその人数も多い)。
性別などの巨大で人格に食い込む属性(民族や国籍や人種とかも)で分けて好き嫌いを述べること自体、なるべく避けるべきである。社会的リスクからも、そういう表現をする必要があるか熟慮すべきだろう。
性差別への強い反発心からの言動が、別の性差別になることもある。それへの反発がさらに別の性差別になることもある。差別とは何かを理解していれば、感情はともかく道理としては、それらは全部だめだとわかるだろう。差別を定義から抽象的・普遍的に考えることにはそういう意味がある。なお差別する行為への軽蔑は、(1)属性によるものでなく(2)的外れな理由でもないので、差別ではない。
ブラック・ライブズ・マター
主に白人警官による黒人に対する過剰な取り締まりによる殺害に抗議をするために活動しているが、警官以外の白人による黒人への差別にも抗議を行っている。2012年に発生したトレイボン・マーティン射殺事件に端を発して活動を始めた。2020年5月に発生したジョージ・フロイド殺害事件において、ブラック・ライブズ・マターが盛んに唱えられるようになり、全米各地で大規模な抗議デモが引き起こされるようになった。その影響は米国外にも広がり、イギリスでは奴隷貿易に関わった歴史的人物の像が引き倒されるという出来事があった。
ドナルド・トランプ前大統領を含むブラック・ライブズ・マターを批判する人々は、この運動が暴力的であり、「分断を加速させる」と主張している。また、上記のトレイボン氏およびジョージ氏はともに犯罪者であり警官の指示に反発したことが射殺に繋がっており、そもそも不当な扱いでは無かったという主張も行われている。
日本における差別
「人種差別」は、人種構成がほぼ単一だったこともあって、日本においては殆ど問題視されていない。
一方で、性別、身分、出身地による差別は盛んに行われていた。なかでも現在の日本社会においては、部落差別が最も問題視されてきたといえる。
ただし、社会制度・習慣の丸っきり違う欧米と比べることはできないにも関わらず、差別の基準の多くを欧米から見出そうとする輩が後を絶たないので、日本が世界各国と齟齬を生じているかのような側面も一方では存在する。
不当な差別解消を試みたと思われる例
具体例
- 黒人への過剰な優遇→プアーホワイトの発生
- 男性によるセクシャル・ハラスメントのみの問題化→女性によるセクシャル・ハラスメントの看過
- 企業採用枠における障害者枠・女性枠などの増設→健常者・男性の採用減少
- 在日韓国人・中国人の優遇化→日本人を超える、不当に優良な待遇(在日特権)
- 痴漢犯罪の捜査において、被害者である女性の有利性のみが過剰に高まる→冤罪の発生
など。
いずれも程度によるが、特にプアーホワイト(白人貧困層)の発生は社会問題となり、アメリカ社会を揺るがす大問題となった。これらは、いずれも、本来解消するはずだった不当差別問題を悪化させる原因となるため、注意が必要(ただし上述の例が全て本当に「逆差別」なのかは精査が必要。そう主張する人間がいるに過ぎない可能性もある)。
不当な差別の解消は必要だが、安易な解消運動は必ずしも正しく作用するとは限らない。
社会は概ね正当な差別の構造で社会が安定化しているので、(公民権運動にともなう暴動等)差別解消運動による一時的な騒乱を指して「社会を騒がせた」と批判するなど、結局は不当な差別の温存に繋がる可能性も考えられる「社会問題化批判」もまた同時に存在する。「逆差別」や「差別解消運動の失敗」という批判的論理もまた、個別に精査しなければ、差別による受益者側の言い逃れや不当差別的構造の強化になってしまう場合もあるのが難しいところである。
関連動画
関連項目
- 人権
- 男女平等
- 偏見 / レッテル貼り
- 日本国憲法 - 第十四条で差別を禁じている。
- 国際反ホモフォビアの日
- 本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進に関する法律
- ポリティカル・コレクトネス
- 社会問題
- 鄧艾(庶民の出自、吃音、ハンデがありながら三国志屈指の名将として活躍。政争で処刑される。)
- 加藤純一差別発言まとめ
- 人権屋
- アパルトヘイト
- 学歴差別
関連リンク
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