ハンス・ヨアヒム・マルセイユとは、「アフリカの星“Stern von Afrika”」と呼ばれた第2次世界大戦時のドイツ空軍エースパイロットである。
概要
ハンス・ヨアヒム・ヴァルター・ルドルフ・ジークフリート・マルセイユ
Hans-Joachim Walter Rudolf Siegfried Marseille
1919年12月13日~1942年9月30日
アドルフ・ガーランドと同じく、17世紀末にフォンテーヌブローの勅令で迫害されドイツに逃れたユグノーの末裔。
1938年に空軍に入隊。この頃から軍規違反の常習者だったという。
バトル・オブ・ブリテンで初陣を飾り、7機を撃墜してエースとなったが、命令無視という軍務規定違反を犯したうえその後の素行不良もあり、各地をたらいまわしにされ最年長の少尉候補生のままだった。しかしその後エドゥアルト・ノイマンの元でその才能を認められ、さらに元々あまり状態がよろしくない所でかなりフリーダムな状態だった北アフリカ戦線に配属されたのが良かったのか北アフリカで才能を発揮し、あっという間にルフトバッフェ最年少の大尉となる。
この時僚友に「敵機の動きが見えるようになり、あらかじめどこへ撃っておけば当たるか分かるようになった」と語っており、実際に彼の偏差射撃はまるで敵機から当たりにいっているようだったと評されている。
1942年9月30日に新型機Bf109G-2/Tropに乗って出撃。エンジントラブルが多かった為、今まで無視して搭乗していなかったが、エースが新型機に乗っていないことに怒ったケッセルリンク元帥の命令で渋々搭乗することとなった。
案の定エンジンにトラブルが発生、脱出には成功するものの直後に機体に衝突して墜落死した。
余談
- 「10分間に8機撃墜」、「1日に17機撃墜」、「1ヶ月に54機撃墜」などの凄まじい戦果を誇る。
- 1機を撃墜するのに要した弾数は平均してわずか15発。
- 愛機のメッサーシュミットBf109F-4/Tropには必ず「黄色の14(ゲルプ・フィアツェン)」を描いていた。
- 9月3日に柏葉剣ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章の受賞が決まっていたが、本人がヒトラーから直接授与されるルールの為、渡される事は無かった。そのため受賞した最高位勲章は柏葉剣付騎士鉄十字章に留まっている。また、ドゥーチェことベニト・ムッソリーニにも面会し勲章を受けている。
- なお、生涯撃墜数は158機ですべて英米機。
史上最高撃墜記録を有する「黒い悪魔」ことエーリヒ・ハルトマンは終戦とともにソ連の捕虜となった際の尋問の際、「撃墜したのはごく少数のアメリカ機を除き、全てソ連機だ。マルセイユというパイロットは西部戦線で50機以上のイギリス機を落としている。英機1機はソ連機3機に相当すると見ていたので、筆頭撃墜パイロットではない」としてマルセイユを認め、かつソ連を挑発する発言をしている。 - いくつかのプロパガンダ番組に出演しており、見た目の良さも相まって女性ファンが多く、彼の死には多くのドイツ人女性が涙したと言われた。
- 戦死のすこし前、婚約者と結婚するための休暇がほしいと発言し、華麗な死亡フラグを立ててしまっている。
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関連項目
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