北条時宗(ほうじょう ときむね・1251~1284)とは鎌倉時代中期の人物である。
概要
鎌倉幕府の8代目執権。父親は第5代執権の北条時頼で、息子は第9代執権北条貞時。
治世中に元寇があり、撃退したことで知られる。
13歳の時に父・時頼が病没するが、早くもその翌年には執権を支える連署に就任し、元の国書が送られ国内が動乱の渦にまきこまれようとする中、わずか18歳で執権に就任。元の襲撃への対応や北条得宗家への権力集中の強化を行った。
元寇の直前には、朝廷への対応などで対立していた異母兄の北条時輔を粛清。文永の役では元軍の集団戦や博多焼き討ちなどに苦戦を強いられるが、その反省を活かすべく土塁を築くなど防衛を固める。これにより弘安の役では終始、優位に戦いを進め、後に神風と呼ばれる暴風雨による元軍の壊滅も相まって大勝利を収めた。
しかし、元寇による心労が祟ったのか間もなく病に倒れ、弘安の役の3年後に34歳の若さでこの世を去る。まさに元と戦うために生まれてきたような、短くも激動の生涯であった。
弘安の役の後に、両軍の犠牲者を弔う目的から円覚寺を建立、時宗自身もこの地に埋葬された。なお、歴史の教科書や資料集に載っている時宗の肖像画は僧体となっているが、時宗が出家したのは亡くなった当日のことである。
北条一族は、鎌倉幕府滅亡時にその多くが集団自決によってほとんどが死に絶えてしまったが、ごく一部がその難を逃れ、確かではないが現代も時宗の子孫がいるらしい。なお、戦国時代の後北条氏とは全く血縁関係はない。
明治になってから従一位を贈られ、戦前は元軍を破った英雄として祭り上げられたが、戦後は元との戦いを避けなかったと批判に晒された。なお、現在は評価も大分落ち着いている。
2001年には、NHK大河ドラマ「北条時宗」が放送された。主演は和泉元彌。詳細は北条時宗(大河ドラマ)を参照。
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