- プロ野球選手一覧 > 吉田修司
吉田修司(よしだ しゅうじ、1966年11月29日-)とは、愛知県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
豊川高等学校硬式野球部 ピッチングコーチ | |
---|---|
吉田修司 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県江南市 |
生年月日 | 1966年11月29日 |
身長 体重 |
177cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1988年ドラフト1位 |
引退 | 2007年 |
経歴 | |
選手歴
|
|
プロ野球選手テンプレート |
滝高校から北海道拓殖銀行に進み、ソウルオリンピック代表に選ばれる。1988年のドラフト会議で、川崎憲次郎を外した読売ジャイアンツから外れ1位として指名されて入団。入団会見で「巨人に指名されましたが、本当は中日ファンでした」と言い放った伝説がある。
しかし巨人では全く芽が出ず、1994年に横浜戦で1イニング10失点と打ち込まれたことで、シーズン中に岸川勝也とのトレードで福岡ダイエーホークスに移籍する。
ダイエーでも最初はパッとしなかったが、31歳になる1997年にようやく中継ぎで一軍定着、49試合に登板して防御率3.40の数字を残すと、その後は遅咲きの左腕リリーフとしてチームに欠かせない存在になる。
1998年には63試合に登板して最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。
1999年は藤井将雄、篠原貴行、ロドニー・ペドラザと、2000年は渡辺正和、篠原、ペドラザと強力リリーフ陣を組み連覇に多大な貢献をした。2000年は城島健司と最優秀バッテリー賞を受賞、1億円プレイヤーになった2001年は2度目の最優秀中継ぎ投手に輝く。
2003年には史上初の通算100ホールドを達成し、1998年から2003年まで6年連続50試合登板を果たして「鉄腕」と呼ばれた。
ところが、さすがに勤続疲労がたたって2004年に左肘を故障し、2年間一軍登板無しに終わる。
2006年、一軍復帰を果たしたが防御率2桁に終わり、オフに戦力外通告。
2007年、オリックス・バファローズに拾われ背番号13を貰う。この年復活を果たし、36試合で防御率2.61と好成績を残したが、チームの若返りの方針のため出番を失った。1年で戦力外通告を受け、オファーがなく現役を引退した。
引退後
TVQやJ SPORTSでホークス戦の解説者を担当しながら、茨城ゴールデンゴールズで選手としてもプレーしていた。
2013年、福岡ソフトバンクホークスに二軍投手コーチとして復帰。2014年をもって退団し、2015年は東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍投手コーチ(ブルペン担当)に就任したが、1年で退団。
2018年11月から、愛知県の豊川高校硬式野球部でコーチを務める。
元チームメイトの的場直樹が戦力外通告を受けトライアウトに挑戦した際、的場の練習を手伝っている様がTBSの「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」で紹介された。
通算投手成績
通算:16年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 533 | 2 | 0 | 37 | 32 | 23 | 10 | .536 | 610.1 | 261 | 511 | 264 | 242 | 3.57 | 1.40 |
関連コミュニティ
関連項目
- 1
- 0pt