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福岡ソフトバンクホークスとは、日本のプロ野球パシフィック・リーグに属する球団である。本拠地は福岡ドーム(福岡PayPayドーム)、二軍・三軍は筑後市にあるタマホームスタジアム筑後(2016年から)。
略称は「ソフトバンク」「ソフバン」「SB」「鷹」「ソ」など。スポーツ新聞などでは「ソフトB」「ソフト」と書かれることもある。帽子のロゴは「Sh」。
南海時代から二度の身売りを経ながら70年以上も同じチーム名を使い続けていることもあって、ファンの間では「ホークス」と呼ばれることの方が多い。
概要
| パシフィックリーグ | |
|---|---|
| 福岡ソフトバンクホークス | |
| 基本情報 | |
| 創設 | 1938年 |
| 本拠地 | 福岡PayPayドーム |
| 一般略称 | ソフトバンク |
| アルファベット | H |
| 優勝回数 | |
| リーグ優勝 | 22回 (1リーグ制2回、パ・リーグ20回) |
| 日本一 | 11回 |
| セ・パ交流戦 | 8回 |
| アジアチャンピオン | 0回 |
| 経歴 | |
| 球団組織 | |
| 運営母体 | ソフトバンク |
| オーナー | 孫正義 |
| プロ野球球団テンプレート | |
プロ野球黎明期からの長い歴史を持つ球団。強豪球団として毎年上位争いをする黄金時代(1946年~1970年代後半・1998年~)と、弱小球団として万年下位に沈む暗黒時代(戦前および1970年代末~1990年代後半)がはっきりと分かれているのが特徴。他の球団と比べても優勝監督は長期政権を取る傾向にあり、南海時代の鶴岡一人は23年、ダイエー~ソフトバンク時代の王貞治は14年に渡って監督を務めた。
地元九州での人気は非常に高く、ダイエー時代からパ・リーグでは随一の観客動員数を誇る。所属選手にも九州出身者や九州の高校・大学・社会人チームを出た選手が多く、九州ブランドを重視している。近年は内川聖一(大分)、帆足和幸(福岡)、鶴岡慎也(鹿児島)、中田賢一(福岡)、又吉克樹(沖縄)など他球団の九州・沖縄出身選手がFAで移籍してくることも多い。逆に言うと九州出身選手以外はなかなか来てくれない。
また、かつて南海ホークスが本拠地としていた関西にも根強いファンが多いほか、TOKYO MXの放送枠を球団が買い取って主催試合の地上波中継を行っているため、関東圏にもファンは多い。主力にイケメン選手が多いため、若い女性ファンの多い球団でもある。
南海からダイエーへの身売りによる大阪から九州への本拠地移転に際し、地域密着を掲げて九州での不動の人気を獲得した経営戦略は、後の日本ハムファイターズの北海道移転を初めとしたパ・リーグの地域密着方針の先駆けである。
かつては日本一ホームランが出にくいと言われる福岡ドームを本拠地としながらも、王監督時代は「ダイハード打線」に代表されるような強力打線を売りとしていた。秋山・工藤政権以降はどちらかといえば投手力を含めた守備のチームで、リリーフ陣の充実度と内野の守備力は球界屈指。基本的に選手の能力任せのチームなので、打線や投手陣の歯車が噛み合えば手が付けられないほどの強さを誇るが、戦力が整わない状態になると意外な脆さをみせるシーズンもある。特に00年代後半あたりは、毎年開幕前の予想では優勝候補の筆頭に挙げられ、シーズンでは評判倒れの戦力詐欺になりがちだった。故障者の続出も毎年の恒例行事で、ヤ戦病院並の惨状になることも珍しくない。
2011年からは、若手選手の実戦経験の場を増やすため、育成選手を大幅に増やして本格的な三軍制を導入。2016年には新球場を建設して二軍・三軍の本拠地を移転し育成環境を整え、潤沢な資金力をバックに補強と育成を両立した充実の戦力で、2011年以降で7度の日本一、2017年から2020年まで日本シリーズ4連覇と球界を牽引している。
セ・パ交流戦を大の得意としており、2023年までの19年間で優勝(最高勝率)8回という圧倒的な強さを誇る。2011年には最高勝率記録となる勝率.818(18勝4敗2分)をマークするなど、セ・リーグの各球団から怖れられている(ただし阪神タイガースだけはほぼ互角の戦績を残している。鷹虎決戦の項を参照)。毎年交流戦の時期は戦力が揃っており、交流戦が終わってから失速し始めるのがお約束。
ダイエー時代から使われている球団歌の「いざゆけ若鷹軍団」は福岡ではもはや県民歌のような扱いである。ダイエーからソフトバンクに球団が売却された際、福岡の商工会議所の会頭が孫正義オーナーとの宴席で「いざゆけ若鷹軍団」を歌い上げ、「この曲を変えたら福岡市民全員を敵に回すと思って下さい」と脅した曲を変えないよう要望したという噂もある。福岡県民ならずとも、ダイエー時代にダイエー及び関連企業の店舗で飽きるほど聞いて覚えてしまった人も多いだろう。
ホークス主催オープン戦はほとんど福岡ドームで行われる。たまに宮崎などでオープン戦をする場合があるが、2010年は主催試合全てが福岡ドームと、福岡ドーム偏重な日程を組んでいる。九州で人気が高いだけに、もう少し九州でオープン戦を開いてほしいところ。公式戦は主に北九州、熊本(藤崎台)、鹿児島(鴨池)などで地方主催試合を組む。北九州の試合は色んな意味で荒れた展開になるため、ファンは戦々恐々。
南海時代後期は超ド貧乏球団だったが、ダイエー以降は基本的にパ・リーグの中でも随一の金持ち球団で、ダイエー時代やソフトバンク身売り直後には年俸数億円の大物外国人を連れてくることが多かった。その一方、ソフトバンク初期は大型の複数年契約が重なったこともあって現有戦力の高年俸だけでいっぱいいっぱいになり、補強には非常に消極的な球団になっていた。そのため、2010年オフからはベースを抑え出来高を重視した複数年制を導入。相次いで大型補強を敢行するなど、フロントの方針に変化が見られはじめた。秋の風物詩に業を煮やしたのが理由だけど。なお金持ち球団のわりに戦力流出が多いのはダイエー時代からの伝統である。そんなこんなでソフトバンク身売り直後は赤字だったが、現在は年俸総額がぶっちぎりの12球団トップでありながら球団単体で年間数十億円の黒字を出すまでに至っている。
2004年からは毎年7月に「鷹の祭典」というイベントを行っており、福岡ドームの来場者全員にレプリカユニフォームを配布するという太っ腹なことをやっている。2006年からは選手がこの期間のみ特別ユニフォームを着用するようになり、福岡ドームはその年限定の特別ユニフォームを着たファンで埋め尽くされる。2012年からは東京ドームでも鷹の祭典が開催されており、関東圏のファンを喜ばせている。2014年からは大阪ドームでも鷹の祭典を開催している。ホークスの応援席がカラフルなのは毎年ここで配られるレプリカユニフォームの色が違うせい。
「世界一の球団を目指す」と豪語する孫正義オーナーは、球団にとっては"金は出すが口は出さない"という理想のオーナーを地でいく存在であり、また大事な試合には頻繁に観戦に訪れ、勝利するとベンチに現れ大喜びしている姿がしょっちゅう見られる。優勝や日本一時には監督に続いて胴上げされるなど、選手からも愛されている様子。
かつて福岡は西鉄ライオンズ(太平洋クラブ・クラウンライター)が本拠地としており、当時の福岡には西武ファンが多かった。福岡ダイエーホークス初代監督の杉浦忠(南海ホークス監督から留任)が1年で勇退すると、フロントは西武ライオンズのスター選手であった田淵幸一を監督に就任させた。1992年のオフに西武ライオンズから管理部長の根本陸夫を引き抜く。根本は1993年シーズンから2年間監督も兼任してチームを分析し、ホークスを「西武式」に作り変えるためのチーム改造を断行した。手始めに1993年オフに秋山幸二らを獲得する超大型トレードを西武ライオンズとの間で断行し(秋山幸二・渡辺智男・内山智之←→佐々木誠・村田勝喜・橋本武広)、翌1994年オフには引退・監督就任を拒否した石毛宏典と、エースの工藤公康を同じく西武からフリーエージェントで獲得した。
このように、埼玉西武ライオンズとは縁が深く、ホークスにとってはなかなかシーズンで勝ち越せなかった宿敵でもある。また南海時代に同じ関西を本拠地としていたオリックス・バファローズは、阪急ブレーブス時代から不思議といろいろな因縁がついて回っている(オリックス・バファローズの記事参照)。
2012年から2014年にはニコニコ生放送にてホームゲーム全72試合を無料配信。映像・音声はCS放送(2012年は日テレ+、2013年~2014年はFOX SPORTS)のものをそのまま使用した。2015年は楽天を除くパ・リーグ他球団ともどもディレイ放送のみ。2016年は二軍戦の中継のみとなり、2017年の宮崎キャンプ中継を最後にニコ生からは撤退した。
マスコット

(※ダイエー時代)
ハリーホークを筆頭に、「ホークファミリー」と呼ばれる12球団最多の総勢8体のマスコットがいる。
前身は平和台球場時代に存在したホーマーホークら4体。ハリーはホーマーの弟という設定である。
1992年に福岡ダイエーホークスが本拠地を福岡ドームに移した際に誕生。福岡ソフトバンクホークスとなった現在もカラーリングをオレンジから黄色に変更して健在である。ただ人数が多すぎるせいか、メインを張るハリーホークとハニーホーク以外のホークファミリーに関しては、他球団ファンからは無論、ホークスファンからも認知度は高くない。
デザイナーはイラストレーターの坂井永年。本人もその縁でかホークスファン。ハリーホークの誕生秘話は本人のブログ記事
にまとめられている。
一時期はソフトバンクのお父さん犬がマスコット的な扱いを受けることが多く、ハリーホーク自体の影もちょっと薄くなっていた。
詳しくは「ホークファミリー」「ハリーホーク」の記事もそれぞれ参照。
他に2012年からは内川聖一をモデルにした「ウッチーくん」、松田宣浩がモデルの「マッチくん」、森福允彦がモデルの「チョメちゃん」、本多雄一がモデルの「ポンちゃん」という4体の着ぐるみが新たに登場。2013年には5体目として攝津正がモデルの「セッツくん」が登場した。ちょっとキモい。
さらに2015年からは謎のキャラクター「ふうさん」も登場。選手着ぐるみもさらに増えているのだが、公式サイトに詳細がないため全部で何人いるのかファンもよくわかっていない。
開幕戦の呪い
2000年から2012年まで、ダイエー・ソフトバンクと開幕戦を戦ったチームはその年Bクラスになるというジンクスが存在した。2010年の日本ハムは前年優勝からのBクラス、2011年のオリックスは前年の日本ハムともども最終戦で3位から4位に転落となかなか強固なジンクスだったが、2013年に東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一になったことでこのジンクスは13年で途切れた。
| 2000年代 | 2010年代 | 2020年代 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000年 | ロッテ | 5位 | 2010年 | 日本ハム | 4位[※1] | 2020年 | ロッテ | 2位[※3] |
| 2001年 | オリックス | 4位 | 2011年 | オリックス | 4位[※2] | 2021年 | ロッテ | 2位 |
| 2002年 | 日本ハム | 5位 | 2012年 | オリックス | 6位 | 2022年 | 日本ハム | 6位 |
| 2003年 | ロッテ | 4位 | 2013年 | 楽天 | 1位・日本一 | 2023年 | ロッテ | 2位 |
| 2004年 | オリックス | 6位 | 2014年 | ロッテ | 4位 | 2024年 | オリックス | 5位 |
| 2005年 | 日本ハム | 5位 | 2015年 | ロッテ | 3位 | 2025年 | ロッテ | 6位 |
| 2006年 | ロッテ | 4位 | 2016年 | 楽天 | 5位 | 2026年 | 日本ハム | |
| 2007年 | オリックス | 6位 | 2017年 | ロッテ | 6位 | |||
| 2008年 | 楽天 | 5位 | 2018年 | オリックス | 4位 | |||
| 2009年 | オリックス | 6位 | 2019年 | 西武 | 1位 | |||
※1…3位から最終戦でロッテに逆転された。
※2…3位から最終戦で西武に逆転された。
※3…開幕延期前の日程でも開幕戦はロッテ。
2008年9月24日ニコニコ生放送
2008年9月24日、ニコニコ生放送において、Yahoo!動画との提携により初の野球中継が実現。対戦カードは福岡ソフトバンクホークスvsオリックス・バファローズだった。
奇しくも前日、ソフトバンクの王貞治監督が今期限りでの退任を表明。当該試合はソフトバンクの今季本拠地最終戦であるとともに、王監督政権下での本拠地最終戦ともなった。また、前日の段階で埼玉西武ライオンズがリーグ優勝マジックを1としており、同日のロッテ戦に西武が勝つか、2位のオリックスがこの試合に敗れるかで西武のリーグ優勝が決まるという試合でもあった。こんな試合を引き当てたのは偶然か、はたまた運営の強運か?
先着1万名限定との告知だったが、実際には延べ4万人が視聴、総コメント数は35万を突破する盛況ぶりを見せ、荒らしなどの問題はあったものの中継自体は概ね好評を得た模様である。
なお、試合は4-1でオリックス・バファローズが勝利。西武がロッテに敗れたため、西武の優勝決定は26日の日本ハム戦に持ち越されることになった。ソフトバンクは王監督の本拠地最終戦を白星で飾れず6連敗。この敗戦で11年ぶりのBクラスが確定することとなった。また、試合後の王監督の退任セレモニーも合わせて中継された。
余談であるが、動画上部にときおり現れる運営のコメントはややホークス寄りであった(ホークスの攻撃時、フェンス際への大飛球に「惜しい」とのコメントのあと、「そして、セーフ」と後付けのフォローが入っていた)。
この中継の成功が、その後の東北楽天ゴールデンイーグルスとの提携、そしてソフトバンクやDeNA、オリックスのニコ生配信に繋がっていった…のかもしれない。
関係者
首脳陣
※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。
| 一軍 | 二軍 | 三軍 |
|---|---|---|
| 四軍 | コーディネーター | |
所属選手
※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示
があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。
| 支配下選手 | |||
|---|---|---|---|
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
|
|||
| 育成選手 | |||
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
オーナー・会長
球団スタッフ
- 明石健志(データサイエンス(R&DスキルC/打撃))
- 新垣渚(野球振興部(巡回コーチ))
- 金澤健人(データサイエンス(二軍))
- 嘉弥真新也(野球振興部) ※ジュニアチーム監督兼務
- 川原弘之(データサイエンス(R&D投手))
- 鍬原拓也(チーム広報(一軍))
- 永井智浩(編成育成本部長兼スカウト部部長)
- 西田哲朗(チーム広報(一軍/チーフ))
- 福元淳史(関東地区担当スカウト)
- 椎野新(四軍用具担当兼サブマネージャー)
- 高橋純平(野球振興部)
- 帆足和幸(野球振興部(ディレクター))
- 水田章雄(球団職員)
- 柳瀬明宏(一軍打撃投手兼チーム広報)
- 山崎賢一(副寮長)
- 山本省吾(スカウティングスーパーバイザー)
- 吉本亮(プロスカウト)
- 李杜軒(国際スカウト(台湾担当))
ジュニアアカデミーコーチ
記事のあるOB・移籍選手・関係者(南海・ダイエー時代を含む)
歴史
南海軍~南海ホークス時代
詳細
1938年に南海軍として創設されたのが始まり。戦時中に親会社の南海鉄道が吸収合併で近畿日本鉄道になったため、球団名もそれに伴って近畿日本軍→近畿グレートリングと改称された。戦前は4位が最高と下位に沈んでいたが、終戦後のプロ野球再開初年度である1946年に初優勝を果たす。
1947年シーズン中に南海が南海電気鉄道として再分離したため、再び親会社が南海に戻り南海ホークスと改称された。この当時は大阪府を本拠としており、1950年には大阪球場が完成。テレビでのプロ野球中継が本格化するまでは大阪(阪神)タイガースを凌ぐ人気を誇り、名将・鶴岡一人監督、次いで選手兼任の野村克也監督のもと、パ・リーグ初年の1950年から野村監督解任の1977年までの28年間で優勝10回、日本一2回、Aクラス24回 という抜群の成績を残した。
しかし、1977年シーズン終盤に野村克也プレイングマネージャーが「公私混同」問題で解任されると、ワンマンオーナーの川勝傅は球団経営への意欲を失い、南海ホークスは超ド貧乏球団に転落する。1978年以降はBクラスが定位置となり、在阪テレビの阪神タイガースへの偏向もあって球団の人気も低下。川勝以外の経営陣は球団を手放したいとずっと考えていたため(関西国際空港開業に伴う難波駅の拡張工事で、大阪球場が邪魔になったという事情もある)、川勝が逝去した1988年にダイエーへの球団譲渡を成立させた。球団名も福岡ダイエーホークスとなった。
福岡ダイエーホークス時代
福岡ではかつて西鉄ライオンズが確固たる地位を築いていたが、「黒い霧事件」で人気、実力ともに急激に低下し、紆余曲折あって西武ライオンズとして埼玉に移転(1979年~)した経緯があったため、福岡の者にとっては約10年ぶりの地元球団となった事もあって歓迎ムードで迎えられた。初年度(1989年)から4年間は平和台球場を使用していたが、1993年には日本一の面積を誇る福岡ドームも完成し、評判の悪かった「ガッチャマンヘルメット」も廃止して白と黒を基調とした新ユニフォームになった。
同時に、チームの基盤づくりのために西武ライオンズから根本陸夫を引き抜いた。根本はそのまま監督に就任し、一年目は戦力を見極めるためにあえて大きな補強をしなかったが、その年のオフにフリーエージェントで松永浩美を獲得し、チームの顔であった佐々木誠とエースの村田勝喜を放出して古巣西武ライオンズから秋山幸二らを獲得した(世紀のトレード)。翌1994年は4位ながら同率2位の2球団とはゲーム差なしという好成績を収め、オフには元巨人軍の王貞治の招聘に成功し、根本はユニフォームを脱いでフロント入りした。
根本は西武時代から大トレードやドラフトの囲い込み戦略などで「球界の寝業師」として辣腕をふるっているが、ダイエーでも強行指名や太いパイプを駆使し、時には親会社まで動かし、上述の秋山や石毛宏典、工藤公康を獲得して強豪西武の血を入れることでチームに蔓延していた負け犬根性を払拭するとともに、ドラフトでは小久保裕紀、城島健司、藤井将雄、井口資仁、松中信彦、柴原洋、斉藤和巳といった後の主力選手を多数獲得、強豪ホークスの礎を作り上げた。その功績は「根本マジック」として伝説となり、今でも昔からのホークスファンの間では語り草となっている(根本氏はホークスの優勝を見届けることなく1999年4月末に死去)。
1998年
2年目の柴原洋と井口忠仁がレギュラーに定着。柴原は1番・センターに定着して規定打席に到達し打率.314をマーク、井口は低打率ながら21本塁打を放って「恐怖の9番打者」と呼ばれた。
混戦模様のリーグの中、シーズンを通して大きく貯金を稼ぐこともなかったが大きく借金を重ねることもない戦いを続け、9月半ばには日本ハムファイターズの大失速で一瞬だけ首位にも立った。しかしクローザーの岡本克道の離脱などで終盤の戦いに勝ちきれず優勝争いから脱落。それでもオリックス・ブルーウェーブと同率3位となり、南海ホークス時代から続いていた20年連続Bクラスからようやく抜け出した。
1999年
チーム防御率4位・同得点4位と抜けた戦力ではなかったが、工藤公康、若田部健一、永井智浩、星野順治の先発二桁勝利カルテットに加え、中継ぎで最高勝率を獲得した「死神」篠原貴行、抑えにはまったロドニー・ペドラザ、藤井将雄、吉田修司ら磐石の中継ぎリレーを形成。ダイエーホークスとして初のリーグ優勝を果たすと、日本シリーズでは中日ドラゴンズも破り実に35年ぶりの日本一に輝く。
2000年
小久保裕紀が復調、松中信彦が覚醒して30本100打点コンビを形成するも、城島健司が故障離脱、投手陣は二桁勝利投手が0人という前年同様微妙な戦力ではあったが、投壊の日ハム・貧打の西武を退けてリーグ2連覇を達成。
この年、前年に中継ぎエースとして活躍した藤井将雄が病に倒れる。リーグ制覇の胴上げの中、若田部健一の持った背番号15のハリー人形の姿は感動を呼んだ。チームのV2を見届けた藤井は現役選手のまま肺癌で逝去。日本シリーズでは球団が日程確保を怠る大チョンボをやらかして変則日程による開催となり、FA移籍した工藤の所属する巨人に2勝4敗で敗れる。
2003年
主砲・小久保が開幕前に怪我で離脱するが、井口資仁・村松有人の覚醒と川崎宗則の台頭もあり、"ダイハード打線"と名付けられたチーム打率.297(日本記録)という圧倒的破壊力の打線と、斉藤和巳・杉内俊哉・和田毅・新垣渚の充実の先発陣でリーグを独走で制覇。日本シリーズでは阪神タイガースにお互いの本拠地のみで勝利するという対戦結果(いわゆる「内弁慶シリーズ」)となり、4勝3敗で日本一となっている(余談であるが、日本シリーズの対戦相手だった1999年の中日、2003年の阪神の監督は同じ星野仙一である)。
しかしこの年のオフ、小久保が不可解な無償トレードで巨人に移籍。さらに村松有人がFAでオリックスに移籍(「天然芝の球場でプレーしたい」という名目だったが、実際はフロントへの不信感からの移籍だったと言われている)と、フロントと選手間の溝が浮き彫りになる。
2004年
近鉄とオリックスの合併に伴う球界再編の動きの中、親会社のダイエーの経営悪化により、一時はロッテとの合併の噂まで持ち上がる。結局ダイエーは球団経営から撤退、ソフトバンクが球団経営権を引き継ぎ、福岡ソフトバンクホークスが誕生した。
福岡ソフトバンクホークス時代
詳細
2005年~2009年
2005年(89勝45敗2分、1位2位) 監督:王貞治
球団売却と前後して主力の流出が相次ぎながらも厚い選手層で優勝争いを続けていたが、2004年から始まったプレーオフの悲劇がホークスを襲う。2004年はレギュラーシーズンを1位通過するも、プレーオフ2勝3敗で西武ライオンズに敗退。これが全ての始まりだった。
ソフトバンク1年目となる2005年は、FAで大村直之、新外国人としてトニー・バティスタとホルベルト・カブレラを獲得。退団した井口資仁の穴を埋めて余りある大型補強をもって迎えた。
その分厚い戦力通り、シーズンはほぼ順風満帆だった。投手タイトルをほぼ総なめにする大活躍を見せた杉内俊哉を筆頭に、斉藤和巳、和田毅、新垣渚の四本柱が揃った先発陣に加え、シーズン中に馬原孝浩が守護神に定着。打線も二冠王の松中信彦、打撃3部門全て2位の活躍を見せたフリオ・ズレータら中軸に加え前年テスト入団の宮地克彦らが脇を締め、圧倒的な強さで勝ち続けた。最終的に89勝45敗の勝率.664、積み上げた貯金は実に44。最強打線を誇った2003年に勝るとも劣らない最強チームだった。
ところが、1勝のアドバンテージを得られる2位との5ゲーム差に僅かに届かず(4.5ゲーム差)、終盤に自打球で戦線離脱した城島を欠いたプレーオフでは、またしても2勝3敗で今度はコバマサナイト千葉ロッテマリーンズの前に敗れた。
2006年(75勝56敗5分、3位) 監督:王貞治→森脇浩司(代行)
城島健司がFAでメジャー移籍し退団。加えて前年3番打者を務めたトニー・バティスタを解雇したため、1点を確実に取りに行くスモール・ベースボールへの転換を掲げて迎えたシーズン。しかし、開幕前に第1回WBC監督を務めた王貞治監督がシーズン中に倒れ、森脇浩司監督代行の下での戦いとなる。
斉藤和巳を筆頭とした投手陣の奮闘で、西武・日本ハムと三つ巴の熾烈な優勝争いを繰り広げるが、バティスタに代わる3番打者を結局シーズン通して固定できず、加えて城島の抜けた打線は破壊力を欠き、スモール・ベースボールは単なる貧打に終わった。結局終盤に息切れして最後の最後に6連敗、3位でシーズンを終える。
プレーオフでは2位西武に勝利する(ちなみにこれが2011年にCSを突破するまで唯一のプレーオフ・CSでの勝ち上がりであった)ものの、日本ハムの勢いの前に屈し敗退。第2戦、0-1のサヨナラ負けで敗退が決まった瞬間、マウンドに崩れ落ちて立ち上がれなくなった斉藤和巳の姿は彼がすっかり見えなくなってしまった今もホークスファンの瞼に焼き付いている。
2007年(73勝66敗5分、3位) 監督:王貞治
4年前、不可解な無償トレードで巨人に放出された小久保裕紀がFAでチームに復帰。トレードで多村仁、ヤクルトを退団したリック・ガトームソンを獲得。大物ルーキー大隣憲司も加わり、圧倒的優勝候補と目された。
ところが、シーズンが始まってみれば多村・小久保とも期待されたほどの打棒は見せられず、松中に至ってはレギュラー定着後最低の数字となる大不振に陥り、球界最強クリーンナップのはずだった「TMK砲」は見事に空回った。川崎宗則が故障で長期離脱、さらにエース斉藤和巳が肩を痛めて本来の投球ができず、新垣渚は暴投王ARAKAKIと化す。ガトームソンはドーピング違反騒動を起こし、大隣は黄金ルーキーとしての期待に応えられず、前年リリーフで奮闘した藤岡好明と柳瀬明宏は不調で結果を残せずに終わる。
杉内俊哉が復活、馬原孝浩がセーブ王に輝き、水田章雄がリリーフとしてフル回転するなどしたが、結局チームは波に乗れないままレギュラーシーズン3位に終わり、クライマックスシリーズでは2位のロッテに敗北。4年連続プレーオフ敗退となった。
2008年(64勝77敗3分、6位) 監督:王貞治
王貞治監督がラストシーズンとの覚悟を持って臨んだ2008年。しかし斉藤和巳が開幕前の手術で結局シーズンを棒に振り、和田、馬原、大村、小久保を故障で欠いて開幕を迎える。
開幕戦は楽天に柴原洋の逆転サヨナラ3ランで勝利するという劇的な形でスタート。小久保の復帰や、松田宣浩、久米勇紀ら若手の台頭もあり、セ・パ交流戦では熾烈なデッドヒートを制し、ソフトバンクとなってから初の「優勝」を手にする。
しかしセ・パ交流戦後は、前年から続く故障禍、リリーフ陣の夏バテ、北京五輪への主力派遣などで戦力が低下。西武にじわじわと引き離されながらもなんとかCS圏内は確保し続けていたが、9月に入ると糸が切れたように記録的な大失速。瞬く間に順位を転がり落ち、9月24日の本拠地最終戦に敗れ11年ぶりのBクラスが確定。その後は楽天と一進一退の最下位争いを続けたが、最終戦の直接対決に延長12回サヨナラで敗れ、1996年以来12年ぶりの最下位に沈んだ。
野球板的には「ドミンゴwwwwwwwww」で始まり、プロブロガーが誕生し、ストレート 140km/h 真中中央 ゴロ(二併打)で終わるという色んな意味で濃い年であった。
この年、1995年から14年間監督を務めた王貞治監督が、体調不良と成績不振を理由に退任を表明。後任には総合コーチの秋山幸二が昇格し、2009年からは秋山新監督のもとチーム再建に挑む事になった。
2009年(74勝65敗5分、3位) 監督:秋山幸二
秋山政権1年目。リリーフ陣の立て直し、城島健司の移籍以来固まらない正捕手の固定、3番打者不在の解消など課題を多く抱えて開幕を迎える。多村が開幕前に当然のように離脱、開幕戦では新3番打者のはずだった松田が骨折と不穏なスタートを切り、開幕からしばらくは勝率5割前後をうろうろし続けた。
しかし、松田の離脱によって急遽獲得したホセ・オーティズが抜群の勝負強さで長年の懸案だった3番打者に定着。さらに3年目の長谷川勇也が一時期首位打者争いをするなど覚醒。田上秀則が攻守両面で大きな成長を見せ城島移籍以来最大のウィークポイントだった正捕手問題に決着をつけるなど、打のニューヒーローが続々と登場。投手陣も前年の弱点だった救援陣にルーキーの攝津正と新外国人のブライアン・ファルケンボーグが加わり、守護神・馬原孝浩へ繋ぐ勝利の方程式「SBM」が確立した。
多村・松田が復帰した交流戦では不動のオーダーと盤石の投手陣で快進撃を続け連覇を達成。一気に日本ハムとの首位争いに参戦したが、交流戦の終わり頃から夏場にかけて、和田、松田、オーティズらが立て続けに故障離脱。先発の駒不足も露呈し、終盤には投げすぎの影響かファルケンボーグの離脱と馬原の大炎上でSBMも空中分解。9月に入ってハムが失速した際もお付き合いしてしまい、結局猛烈な追い上げを見せた楽天に抜かれ3位に終わった。
CS?なかったよ
2010年代
詳細
2010年(76勝63敗5分、優勝したけどCS敗退) 監督:秋山幸二
シーズン開幕前にシアトル・マリナーズに移籍していた城島健司が日本球界に復帰すると発表。古巣であるホークスが獲得に名乗り出るかと思われたが、何故か見送った。田上ェ・・・
ちなみに城島本人はソフトバンクからオファーがあれば、最優先で受けるつもりだったとのこと。
シーズン開幕後には松中、田上、長谷川、ホールトンらが不振に陥ったものの、前年4勝の和田が復活し杉内とともに勝ち星のデッドヒートを繰り広げ、SBMを擁するリリーフ陣には甲藤啓介が加わりSBM48としてさらに盤石となる。打線も川崎や小久保が開幕から好調でチームを牽引し、松田や小久保が離脱してからも多村仁志がスペらず打線の核として奮闘。途中加入のロベルト・ペタジーニも打線の穴を埋め、西武・ロッテと熾烈な優勝争いを繰り広げる。西武ドームでの西武戦が大の苦手だったために、一時期西武に突き放されるが、途中入団の金澤健人、4年目の森福允彦らが台頭して12球団最強のリリーフ陣を形勢し西武に追いすがった。
9月に入ると例年通り失速。西武にマジックも点灯し、今年もここまでかと誰もが思った、残り6試合から奇跡が起こる。福岡ドームでの西武との最終3連戦を、全て逆転で3連勝。3.5ゲーム差を一気にひっくり返し、残り2試合でマジック2を点灯させる。9月25日、日本ハム戦で杉内がダルビッシュに完封で投げ勝ちマジック1。そして翌日、デーゲームで西武が敗れたため楽天との最終戦の試合中に7年ぶりのリーグ優勝が決まった。最終的に西武とのゲーム差は0、勝率2厘差(ソフトバンク.547、西武.545)という大接戦のシーズンを制し、チームは歓喜の美酒に酔った。
ところが、1勝のアドバンテージを得て迎えたクライマックスシリーズでは、驚異的な勝負強さで勝ち上がってきた3位ロッテを迎え撃ち、3勝1敗で王手をかける。しかし打線の不振は明らかであり、チームを優勝に導いた原動力であった杉内や攝津、ファルケンボーグが打たれ、王手をかけた状態からまさかの3連敗。6度目の挑戦にして、またしても日本シリーズの夢はホークスの手からするりと逃げていった。
2011年(88勝46敗10分、完全優勝・CS制覇・日本一、アジアシリーズ制覇ならず…) 監督:秋山幸二
詳細はプロ野球2011を参照
内川聖一、細川亨、アレックス・カブレラと補強を敢行。日本ハムと優勝争いを繰り広げ、8月下旬に梨田昌孝監督の退任報道をきっかけに失速し、以降はゲーム差を広げて10月1日にリーグ2連覇を達成する。最終的に11球団全てに勝ち越した。
クライマックスシリーズでは秋の風物詩の象徴の松中信彦の活躍で西武に4連勝、日本シリーズでは第7戦で中日を下し、4勝3敗で8年ぶりのに日本一を達成した。直後のアジアシリーズでは決勝戦で敗れ、日本勢の連覇はならなかった。
2012年(67勝65敗12分、3位) 監督:秋山幸二
詳細はプロ野球2012を参照
2011年の圧勝もあり、優勝候補に挙げられて開幕したが、セ・パ交流戦で11位に低迷し、日本ハムと西武の背中を追いかけながら、一進一退の展開が続いた。貯金2の3位でシーズンを終えた。
クライマックスシリーズでは西武を下したが、日本ハムに敗れた。
2013年(73勝69敗2分、4位) 監督:秋山幸二
詳細はプロ野球2013を参照
2008年以来となるBクラスに低迷した。長谷川勇也が首位打者・最多安打のタイトルを獲得。
2014年(78勝60敗6分、優勝・CS制覇・日本一) 監督:秋山幸二
詳細はプロ野球2014を参照
オリックスと最後まで優勝争いを繰り広げ、10月2日の最終戦での直接対決(10.2決戦)に勝利したことで3年ぶりの優勝。
日本シリーズでは2003年以来となる阪神との対決になり、初戦を落とした後は4連勝し、秋山幸二監督の花道を3年ぶりの日本一で飾った。
2015年(90勝49敗4分、優勝・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康
詳細はプロ野球2015を参照
工藤公康政権1年目。柳田悠岐が3番に入り、トリプルスリーを達成。横綱相撲と言うべき強さで他球団を寄せ付けず、90勝を挙げ圧勝した。
2016年(83勝54敗6分、2位) 監督:工藤公康
詳細はプロ野球2016を参照
前半戦で貯金30を積み上げ首位を独走していたが、後半戦で日本ハムの猛追を振り切れず、最大11.5ゲーム差を逆転される歴史的V逸。
2017年(94勝49敗0分、優勝・CS制覇・日本一 ) 監督:工藤公康
詳細はプロ野球2017を参照
前半は楽天と競り合い、夏場に突き放すと、最終的には九州移転以降で最多となる94勝を挙げて圧勝。デニス・サファテがセーブのプロ野球記録を更新。
2018年(82勝60敗1分、2位・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康
詳細はプロ野球2018を参照
故障者の続出と主力の不調で、8月上旬で借金持ちという大苦戦。8月半ばから新戦力の台頭で西武を猛追するが、逃げ切られ2位に終わった。しかしCSでその西武を撃破して、球団史上初の下克上を達成。日本シリーズでも広島を破り、終わってみれば2年連続日本一に輝いた。
2019年(76勝62敗5分、2位・CS制覇・日本一) 監督:工藤公康
詳細はプロ野球2019を参照
前年以上の故障者続出に苦しみながらも8月まで首位を走ったが、9月に西武の勢いをかわしきれず最大8.5ゲーム差を逆転され2年連続のV逸。しかしCSで西武を圧倒して4タテし2年連続の下剋上を決めると、2000年のON対決以来となった巨人との日本シリーズも4タテで圧勝。球団史上初の3年連続日本一を達成した。
2020年代
2020年(73勝42敗5分、優勝・CS制覇・日本一 ) 監督:工藤公康
詳細はプロ野球2020を参照
9月まではロッテと競り合い、10月にプロ野球新記録の月間22勝・貯金18を叩き出して一気に突き放し、最終的には2位に14ゲーム差をつけて圧勝し3年ぶりのV。CS・日本シリーズも全勝でロッテ・巨人を圧倒し、パ・リーグ初の日本シリーズ4連覇。前年からポストシーズン16連勝、2018年から日本シリーズ12連勝を達成した。
2021年(60勝62敗21分、4位) 監督:工藤公康
詳細はプロ野球2021を参照
投打とも主力の不調と長期離脱とでシーズンを通して全く歯車が噛み合わず、13年ぶりの借金で終了、8年ぶりのBクラスに終わった。この年限りで工藤公康監督が退任。
2022年(76勝65敗2分、2位) 監督:藤本博史
詳細はプロ野球2022を参照
2023年(71勝69敗3分、3位) 監督:藤本博史
詳細はプロ野球2023を参照
2024年(91勝49敗3分、優勝・CS制覇) 監督:小久保裕紀
詳細はプロ野球2024を参照
2025年(87勝52敗4分、優勝・CS制覇・日本一) 監督:小久保裕紀
詳細はプロ野球2025を参照
2026年(??勝??敗?分、?位) 監督:小久保裕紀
詳細はプロ野球2026を参照
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