在原業平(ありわらの なりひら、825~880)とは、平安時代前期の貴族・歌人である。
概要
百人一首17番の作者で、六歌仙、三十六歌仙の一人。在原行平の弟。
「伊勢物語」の主人公のモデルとされている。
第51代天皇・平城天皇の第一皇子・阿保親王を父に、桓武天皇の皇女・伊都内親王を母に持つ高貴な家柄の出身だが、祖父・平城天皇が起こした薬子の変によって家運が傾き、臣籍降下して在原氏を名乗る。第55代天皇・文徳天皇の第一皇子・惟喬親王に仕えた。
平安時代きっての美男子・プレイボーイとして知られており、藤原高子や恬子内親王など、様々な女性との浮き名を流した。これらのスキャンダルが災いしたためか、若い頃はなかなか出世できず、主君である惟喬親王が藤原良房の圧力で立太子できなかったこともあって、政治的に不遇だったと言われる。晩年にはようやく運が向いて、天皇の書記官である蔵人頭に就任するが、その翌年に病没した。官職は近衛府を中心とした武官のコースを行き、在原氏の五男であることから「在五中将」と呼ばれた。
古今和歌集をはじめ、彼の詠んだ和歌の多くが勅撰和歌集に載せられている。百人一首に採用された「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」は、屏風に描かれた紅葉の風景を即興で詠んだ歌とされるが、藤原高子との恋を暗に示したという説もある(この解釈は、漫画「うた恋い。」の超訳でも話題となったが、それ以前にも学研のまんが百人一首辞典などで採用されている)。また、上方落語「千早降る」は、この歌をパロディにしたものである。
彼の作品は非常に多いため、代表作は他にも多数ある。伊勢物語の「東下り」にも使われた「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」は、カキツバタの五文字をを句読に入れて詠んだ歌で、古文の教科書では必ずと言ってもいいほど登場する有名な作品である。
このように、伊勢物語の中に登場する歌も、業平が詠んだ作品が多い。しかしここで注意したいのは、必ずしも伊勢物語のエピソード全てが、業平の話というわけではないことである。「芥川」「東下り」などは、業平のエピソードを基にしているのは間違いないが、日本初の幼馴染物語である「筒井筒」などの出典は、無名の庶民を題材にした民間説話と考えられる。
古今和歌集を編纂した紀貫之は、業平を「その心余りて言葉足らず(情感があふれているが、言葉が足りない)」と、遍昭と反対の評価をしている。その一方で、詠んだ歌のバックストーリーや前書きを記した詞書は一人だけ詳しく説明されるなど、数多い歌人の中でも破格の扱いを受けている。
なお、武田信玄を何度も破った戦国時代のスーパー爺こと長野業正は、業平の子孫を称した。また、とうきょうスカイツリー駅の旧名にもなった業平橋は、もちろん彼の名から付けられている。
関連動画
関連静画
関連項目
- 百人一首
- 百人一首の一覧
- 六歌仙
- 三十六歌仙
- 在原行平(兄)
- 桓武天皇(曾祖父)
- 平城天皇(祖父)
- 藤原敦忠(曾孫)
- 陽成天皇(主君)
- 菅原道真(親友)
- 長野業正(子孫)
- ちはやふる
- うた恋い。
- 諏訪部順一 / 高森奈津美
- とうきょうスカイツリー駅(旧業平橋駅)
- イケメン
- 2
- 0pt