陽成天皇(869~949)とは、日本の第57代天皇である。諱は貞明。
概要
百人一首13番の作者。父は清和天皇(第56代)、母は藤原高子。子に元良親王などがいる。
876年、父・清和天皇が退位したため、わずか9歳で即位する。政治の実権は、伯父で摂政の藤原基経が握った。しかし、884年に突然退位。表向きは、病弱で執政できなかった、乳母の子を殴り殺すなど乱行が絶えなかったなどとされているが、基経と対立して、天皇の座を追われたのがどうやら真相らしい。上記の説明から暴君と呼ばれることも多いが、こちらも彼の血筋が天皇家の本流から外れたことや、基経が天皇を光孝天皇に変えたことを正当化するために、悪行をでっち上げたと言われている(彼を暴君として描いた「日本三代実録」を編纂したのは、基経の子・時平であることも大きい)。また、母の高子は恋多き女性で、伊勢物語などで在原業平と駆け落ちした話などが有名である。そのため、陽成天皇の父親は清和天皇ではなく業平だったのではないか?という噂が当時からあったらしい。
退位後は和歌を詠むなどして長い余生を送り、数え年で82歳の長寿を保った(陰暦のため、生年が1年ずれているため)。生没年がはっきりしている天皇では、昭和天皇(満87歳)、後水尾天皇(数え85歳)に次ぐ歴代第3位である。若くして退位したため、60年以上も上皇の地位であり続けた。
百人一首における陽成院
天皇としてはパッとしなかった陽成天皇だが、百人一首には彼が詠んだ和歌が採用されている。彼が現在までに残した歌は、「後撰和歌集」にも選ばれた「筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」のわずか一首であるが、この歌のおかげで陽成天皇は、現在でもそれなりに知名度がある。この歌は后の綏子内親王(光孝天皇の娘)に宛てた歌として知られており、百人一首を題材にした漫画では、綏子と結婚する前に恋心が募り、この歌を詠んだというシチュエーションで描かれることが多かった。
これに対して、陽成天皇の知名度と人気を一挙に高めた漫画「うた恋い。」では、綏子と政略結婚した後に、複雑な心境を織り交ぜながら詠んだというストーリーになっている。原作では己の不運な境遇から屈折した皮肉屋として描かれており、これに対してアニメ版では、気になる子に意地悪したくなってしまうツンデレとしての比重が高まっているという多少の違いはあるものの、陽成院と綏子のエピソードはアニメ化される前から人気が高く、登場人物の公式人気投票でも、名だたる強豪を破って1位を獲得した。
アニメ版では、少年時代を金田アキ、青年時代を森久保祥太郎がそれぞれ演じている。
清和源氏? or 陽成源氏?
源頼朝・源義経などの源平合戦のヒーローを多く生み出した他、足利将軍家や武田家・佐竹家・今川家・細川家などの名家の祖ともなった清和源氏は、その名の通り清和天皇の末裔である。
ところが、実は清和天皇の子である陽成天皇の血も引いているという説が、近年挙げられている。清和源氏の祖である源経基の父は、陽成天皇の弟・貞純親王とされているが、実は彼の父親は貞純親王ではなく、陽成天皇の子である元平親王ではないか?という説が、明治時代に提唱された。
しかし、まだ陽成源氏説は、根拠に乏しいことなどから歴史学界の主流ではなく、今後の更なる研究と解明が求められている(源経基は、その生没年が子の源満仲と矛盾しているなど、かなり謎が多い)。もっとも、清和源氏の嫡流である河内源氏の歴史(源義家以降、ほとんどの一族が非業の死を遂げている)を見ると、血の気が多かったとされる陽成天皇の血筋だとしても納得できそうだが・・・
なお、陽成天皇の子である源清蔭や、陽成天皇の孫・元良親王の子である源佐芸らは、陽成天皇の子孫として源姓を賜り臣籍降下しており、陽成源氏自体は実在している。
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関連項目
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