- プロ野球選手一覧 > 渡辺俊介
渡辺俊介(わたなべ しゅんすけ、1976年8月27日-)とは、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
| 新日鐵住金かずさマジック 監督 | |
|---|---|
| 渡辺俊介 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 栃木県都賀町 |
| 生年月日 | 1976年8月27日 |
| 身長 体重 |
177cm 70kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2000年ドラフト4位 |
| 引退 | 2019年 |
| 経歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
球速はMAX130キロ前後と遅いが、地上5センチとも10センチとも言われる超低空リリースポイントから放たれるアンダー独特の浮き上がるストレートとストレートとほぼ同じ球速の高速シンカー、スローカーブを用いて打者を翻弄する。
また、その至上最も低い位置と言われるリリースの低さゆえ、調子の悪いときは手をマウンドにダフらせてしまうことがあるらしい。
2000年のドラフト4位で新日鉄君津から千葉ロッテマリーンズに入団。
ロッテ時代
2003年(3年目)から先発ローテーションに定着し、2004年には12勝を挙げる。
2005年には15勝4敗、防御率2.17という神成績を挙げ、チームの日本一に貢献した。
2006年は2段モーションの撤廃によるフォーム変更やWBCの疲れなどの影響のせいか、5勝10敗と不振に終わる。2007年は2桁勝利は逃すも9勝6敗防御率2.44と復活を果たし、2008年には13勝を挙げた。
2009年は再びWBCに出場。しかしシーズンでは見るも無惨語るも無惨な無援護っぷりを発揮し、3勝13敗と大きく負け越した。援護率2.55は規定投球回数に達した投手の中でぶっちぎりの最下位。クオリティスタート13回で白星がついたのが2回ってどういうことなの…。ちなみに13勝した2008年(4.17)より防御率は良かったりする(4.05)。
2010年、2011年はだいたい8勝9敗ぐらいの先発ローテーションとして回っていたが、2012年から成績が低下。
2013年オフ、メジャーリーグに挑戦するため自身の希望によりチームを退団。その後、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を交わした。
ロッテ退団後
こうしてサブマリンは海を渡ったが2014年のスプリングトレーニングで結果を残せず3月にレッドソックスを解雇される。その後はアメリカ、ベネズエラの独立リーグを転々としながら2015年まで海外でプレーした。
2015年12月、古巣である新日鐵住金かずさマジックに選手兼任コーチとして就任。2016年4月には解説者デビュー。以降社会人野球と並行してマリーンズ戦の解説も行う。
引退後
2019年からは現役を引退し、かずさマジックの投手コーチに専念。2020年からは同球団の監督を務める。
人物・その他
- 先発ローテーションを守っていた2003年から2011年までのうち、2006年(5勝10敗)、2009年(3勝13敗)とWBCに出場した年だけ極端に成績が悪くなっている(それ以外の7年間では通算73勝46敗と大きく勝ち越している)。
- また2004年、2005年には連続して援護率7点台という驚異的な数字を叩き出している反面、前述の2009年や、2006年(3.52)、2007年(3.79)のように、援護王な年と無援護な年がはっきりと分かれる傾向にある。
- ネット上などでの愛称は"スンスケ"。
- 里崎智也が「大天使」と呼ばれるきっかけとなったドラマ「打撃天使ルリ」に、実は渡辺も先発投手として出演している。
- 愛妻家(恐妻?)としても知られる、奥さんは社会人時代に知り合った。
- 補足としては、一部のファンなどでの間ではジャイロボーラーとしても有名。
成績
通算投手成績
| 通算:13年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 255 | 239 | 42 | 8 | 87 | 82 | 0 | 1 | .515 | 1578.1 | 385 | 846 | 694 | 640 | 3.65 |
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
- 3
- 0pt


