U-883とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が建造・運用したIXD/42型Uボートである。1945年3月27日竣工。終戦間際での就役だったため戦闘航海は行わず、5月5日にクックスハーフェンで降伏、12月31日、デッドライト作戦で海没処分された。
概要
南大西洋とインド洋での作戦を考慮して設計された航洋型Uボート。IXD/42型は前級IXD型とほぼ同一であるが、エンジン出力が強化されて4400馬力から5400馬力に向上している。ちなみに42型とは1942年設計を意味する。
78隻の建造が計画され、U-883、U-884、U-885、U-886、U-887、U-888が起工したものの、XXI型及びXXIII型の建造を優先するため、1943年9月30日にIXD/42型の建造中止命令が下ってU-883とU-884以外は全て建造中止、そのU-884も造船所内でアメリカ軍の爆撃を受けて就役不可となり、唯一竣工まで漕ぎ着けたのはU-883だけであった。
要目は排水量1616トン、全長87.6m、全幅7.5m、最大速力19.2ノット(水上)/6.9ノット(水中)、乗組員57名、急速潜航秒時35秒、安全潜航深度100m。兵装は533mm魚雷発射管6門、魚雷22本、10.5cm甲板砲、37mm対空機関砲、20mm対空機関砲。
艦歴
1942年4月2日発注、1943年7月27日にヴェーザー社のブレーメン造船所にて、ヤード番号1091の仮称を与えられて起工するが、既に連合軍によるブレーメン空襲が始まっており、8月には第381爆撃隊が正確な対空砲火やドイツ空軍機の迎撃を掻い潜ってブレーメン造船所を爆撃している。
9月30日、新型のXXI型とXXIII型の建造を優先するべくIXD/42型の工事中止が言い渡され、この時点で起工出来ていなかった、もしくは起工間もない姉妹艦は全て建造中止、工事が進んでいたU-883も11月6日に一度ストップした。資材の供給が実現可能と判断されて1943年末に工事再開。1944年4月28日に進水し、5月1日からハンス・ルートヴィヒ、ガウデ大尉が一時的に艦長へと就任する。
連合軍の爆撃は続き、6月24日は213機のB-17がブレーメンを襲い、6月29日から翌30日にかけての空襲でヴェーザー社の造船所に甚大な被害が及び、7月29日の空襲では港内に停泊中だった魚雷艇T-2が撃沈、船台に部品を設置するのに不可欠な100トンの浮きクレーンも大破し、キールのドイチェヴェルケAG社から代わりのクレーン船が来るまで工事が更に遅延している。8月18日夜より274機によるブレーメン大空襲が行われ、僅か34分間で1120トンの爆弾が市街地西部の人口密集地に投下、1059名の死者と5万名の難民、住宅8248棟倒壊の大惨事を招いたのである。当然U-883の工事にも大きな遅延が発生した。
生まれる前から様々な困難に直面しつつも、1945年3月27日に無事竣工を果たす。初代艦長にはヨハネス・ウーベル予備中佐が着任する。竣工と同時に訓練部隊の第4潜水隊群へ所属。
しかしU-883が就役した頃には既に戦局は絶望的となっており、西からは連合軍が、東からはソ連軍が大挙してドイツ本国に押し寄せるという、地獄絵図が繰り広げられていた。またU-883には悲しむべきもう一つの現実があった。ドイツ海軍はXXI型とXXIII型を主力Uボートに定めて全力生産中で、IXD/42型には何ら期待が掛けられていなかったのである。誕生するにはあまりにも遅すぎた。
3月30日、ブレーメンの潜水艦建造所がアメリカ軍第303爆撃航空団38機の空襲を受け、U-72、U-329、U-430、U-870、U-886が一挙に撃沈された他、建造中だった姉妹艦U-884が造船所内で大破する被害が発生。燃料不足等の理由でU-883はブレーメンから動く事が出来ず、ただただ敵の破壊に身を任せるしかなかった。
連合国との交渉の切り札とすべく、戦闘可能なUボートはドイツを脱出してノルウェーに向かうよう指示が出される。加えて4月26日、イギリス軍がドイツ軍守備隊を撃破し、4月下旬よりブレーメン市街への突入を始めたため、半ば追い立てられるようにブレーメンを出発。水路の先にあるブレーマーハーフェンに退避する。
5月4日、ブレーマーハーフェンを出発してノルウェーに向かうが、同日15時14分、自殺したヒトラー総統に代わって、新たに総統となったカール・デーニッツ元帥が全てのUボート艦長に戦闘中止を発令したため、急遽クックスハーフェンに寄港。続いて翌5日早朝、自沈を意味する暗号レーゲンボーゲンの命令が下されるも、午前8時にUボートを含む全てのドイツ海軍部隊の降伏が発効され、ブレーメン北方のクックスハーフェンでU-883はイギリス軍に投降。U-291、U-779、U-1103、U-1406、U-1407、U-2341、U-2356も一緒に投降しているが、このうちU-1406とU-1407は投降を良しとしないグルンペルト中尉によって連合軍の許可なく自沈させられている。
5月8日にヴィルヘルムスハーフェンへ移動して連合軍の指揮下に入った。U-883は生き残った約470隻のうちの1隻であった。
6月21日にU-2336、U-2341、U-2351、U-2356、U-3008とともにヴィルヘルムスハーフェンを出港、6月27日に北アイルランドのリサハリーへ到着し、そこでU-883はイギリス軍に引き渡された。操艦していたドイツ人乗組員は全員捕虜となっている。イギリス軍はU-3008と係留されているU-883を数枚撮影しており、そのおかげで艦の形状がハッキリとしている。イギリスは政治的判断から、ドイツより接収したUボートを全て処分する事とし、デッドライト作戦を計画。12月30日、イギリスのフリケード艦コスビーに曳航されてリサハリーを出発してモヴィルへと移動。
1945年12月31日午前10時15分、アイルランド北西部の北大西洋にて、イギリス駆逐艦オファーとジアロスの砲撃を受けて撃沈された。
関連項目
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