アローエクスプレスとは、1967年生まれの日本の元競走馬・種牡馬である。
主な勝ち鞍
1969年:朝日杯3歳ステークス、京成杯3歳ステークス
1970年:京成杯、NHK杯
原則として旧年齢で表記する。
父*スパニッシュイクスプレス、母*ソーダストリーム、母父Airborneという血統。父はグレイソヴリンの直系で、イギリスの2歳GⅠを勝った馬。日本に輸入されてからも種牡馬として実績を残したが早世した。
母は大種牡馬*ヒンドスタンやダービー馬バンブーアトラスが出ている牝系に属し、産駒からも重賞が出ていた良血。母父は英二冠馬だが種牡馬としては失敗だったらしい。
良血で馬体も立派なものだったが、脚が外向しておりデビューが不安視されたというアローエクスプレス。しかし3歳になり、開業したばかりの高松三太厩舎に預けられて調教が始まると異常な好タイムを連発する。新馬なら調教で1000m65秒を出せれば勝てるというところ、なんと1000m61秒で走破し高松が時計の故障を疑ったというエピソードがある。
厩舎所属で当時3年目だった柴田政人が騎乗し、9月の新馬戦(芝1000m)でデビュー。なんと58秒9という日本レコードタイで勝利を収める。3歳レコードではない。4歳馬以上も含めた日本レコードに並ぶ時計である。ありえん。
その後も怒涛の3連勝で朝日杯3歳Sに乗り込むが、ここで一度関東のトップジョッキーだった「闘将」加賀武見に乗り替わる(3戦目にも柴田が盲腸炎に罹患した関係で加賀が代打騎乗していた)。脚部不安に悩む中ではあったが芝1600mの3歳レコードをコンマ8秒更新し、半馬身差で勝利。最優秀3歳牡馬を手にする。
4歳初戦は柴田に再び手が戻り京成杯に出走。ハナ差でギリギリ勝ちをものにする。柴田にとっては初の重賞勝利であった。
一休みして皐月賞トライアルのスプリングSに出走。ここでアローエクスプレスはライバルと初めて顔を合わせる。3歳戦で9戦7勝と圧巻の成績を残した関西の強豪タニノムーティエである。アローエクスプレスはいつも通りの先行策を取ったが、ゴール寸前でタニノムーティエに差し切られ初の敗戦を喫してしまう。
とはいえ6戦5勝のパーフェクト連対。大本命として堂々と皐月賞に出走する。しかし、その鞍上には柴田ではなくトップジョッキー加賀がいた。このレースを前に、馬主の伊達秀和が乗り替わりを指示していたからである。
入厩した時から「この馬でクラシックを」と強く望んでいた柴田にとっては相当なショックで、深酒をしたあげく師匠の高松の元へ駆け込み「自分が何かミスをしたか」と泣きながら詰め寄った。高松も「自分が一番乗せてやりたいが、馬主もファンも納得しない。アローエクスプレスは俺の馬ではなく関東のファンの馬だから関東の代表が乗るんだ。悔しかったら加賀を超えろ」と泣きながら説得したという。
ただ、馬主の伊達からすれば、クラシックを見習いから抜け出したばかりで実績もない騎手に任せるのは不安だったというのは想像に難くない。アローエクスプレスは独学で血統を研究し輸入したソーダストリームが6頭目にしてようやく生んだ牡馬で、伊達にとっても期待の存在であったからなおのことである。
その皐月賞は加賀武見がいつも通りの先行策で臨んだが、重馬場が影響してかタニノムーティエとの叩き合いの末クビ差で敗戦。NHK杯では2馬身差でタニノムーティエを下すが、ダービーはレース前からイレ込んでおり5着。タニノムーティエに二冠を許す悔しい結果となる。
秋はセントライト記念を感冒で回避し京都杯でタニノムーティエと再戦。しかしアローエクスプレスは2着、タニノムーティエは夏に喉鳴りを発症しており7着と惨敗。菊花賞も9着に撃沈しクラシックは無冠に終わってしまう。なお、タニノムーティエも菊花賞で11着と惨敗し引退している。
この後、有馬記念ではようやく大舞台で柴田に手綱が任されたがスピードシンボリの4着。その後脚部不安で1年の休養を余儀なくされ、翌年のスプリンターズSで復帰するがまたも4着。これ以上無様な姿は見せたくないとして引退となった。
種牡馬としては宿敵タニノムーティエを完全に逆転。血統やスピードも手伝って内国産種牡馬としては異例の人気を集め、二冠牝馬テイタニヤ、桜花賞馬リーゼングロス、オークス馬ノアノハコブネなどを輩出する活躍。1980年、81年にはクモハタ以来23年ぶり、内国産馬として史上2頭目のリーディングサイアーとなった[1]。母父としてはGⅠ馬こそいないもののマチカネタンホイザなどを輩出してそこそこの活躍を挙げた。活躍馬に牝馬が多く、後継種牡馬には恵まれなかった。現役時に重賞1勝のリードワンダーが重賞勝ち馬を多数出して気を吐いていたがそれも続かず、父系としては残っていない。
アローエクスプレスを下ろされた柴田は、その悔しさをバネに大成、1767勝を挙げる大騎手となった。また、高松三太もアローエクスプレス以後有力馬が預託されるようになりトップトレーナーに成長。馬主の伊達秀和も、*ソーダストリームの牝系から活躍馬を次々に送り出し、自らの研究を証明した。なお、柴田は1978年にファンタストで皐月賞を勝ちクラシック初制覇を果たしているが、そのファンタストは高松厩舎の所属で伊達の持ち馬。しかも*ソーダストリームの孫という、アローエクスプレスと縁の深い馬だった。
アローエクスプレス自身は1988年に種牡馬を引退。1991年3月5日に老衰で世を去った。ライバルのタニノムーティエが天に召されてからわずか24日後のことであった。
ちなみに、産駒のアローハマキヨ(1979年生まれ。引退後シャルロットと改名)は2019年に満40歳を迎えた日本一の長寿馬である。同年8月3日に老衰のため亡くなった。
*スパニッシュイクスプレス Spanish Express 1962 鹿毛 |
Sovereign Path 1956 芦毛 |
Grey Sovereign | Nasrullah |
Kong | |||
Mountain Path | Bobsleigh | ||
Path of Peace | |||
Sage Femme 1954 鹿毛 |
Le Sage | Chamossaire | |
Miss Know All | |||
Sylvia's Grove | Fairway | ||
Trustful | |||
*ソーダストリーム Soda Stream 1953 栃栗毛 FNo.3-e |
Airborne 1943 芦毛 |
Precipitation | Hurry On |
Double Life | |||
Bouquet | Buchan | ||
Hellespont | |||
Pangani 1945 栗毛 |
Fair Trial | Fairway | |
Lady Juror | |||
Clovelly | Mahmoud | ||
Udaipur |
クロス:Precipitation 5×3(15.63%)、Fairway 4×4(12.50%)、Bachelor's Double 5×5(6.25%)
ない・・・。仕方ないのでアローエクスプレスの出番も多いライバルの動画で
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最終更新:2025/03/27(木) 04:00
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